私のスポーツ指導熱は生まれついたものなのかもしれない。
最重度障害の養護学校に赴任したにもかかわらず、なんとかスポーツ指導をしたいといつも考えていた。
そこに入った情報が「東京都障害者スポーツ大会」の存在である。これは毎年秋に、駒沢オリンピック公園を使って開かれている大会である。その存在を知った私はさっそく受け持ちの子ども達を鍛えに鍛えた。
とは言え、障害の重さははんぱじゃないぞ・・・・・
出場させることにしたのは2人。一人は脳性まひで右手右足が使えない子。もう一人も脳性まひで、座位も取ることのできない子。移動は電動車椅子にひもで身体をしばりつるようにして動く。
片まひの子は「卓球」に出した。
車椅子の子は「電動車椅子スラローム」という種目に出した。これは数ヶ所に置いたコーンをジグザグに回りながらタイムを競うという健常者競技には見られない種目である。
障害者スポーツは、健常者以上に身体の個性に差があるので、障害の程度に応じて種目レベルがある。卓球の場合は、手も足もまひがある両片まひの部に出場させた。
卓球は私の専門であり、私の得意なサーブで勝負をさせることにした。必殺サーブをひとつ身につければ、障害者大会では絶対に勝てると確信した。養護学校はスクールバスで通学しているので、放課後の練習はできない。なので休み時間に練習。ラリーなどどうでもいい。サーブ練習とスマッシュ練習あるのみ。
「電動車椅子スラローム」はF1と同じである。
いかに性能の良い電動車椅子に乗っているかで勝負が決まる。幸いなことに、私の教え子の電動車椅子は業者が電圧調整を間違えたのか、ものすごくスピードがあり、笑い話だが校内では「電動暴走族」と言われて衝突を恐れられていた。(本当は絶対に衝突しないから安全です)
あとは0コンマ1秒でも早く操作できるかどうかである。
この二人を擁して、障害者スポーツ大会は卓球で銅メダル、電動スラロームで金メダルを獲得した。
私が卓球の現役時代に夢の夢だった東京都大会のメダルを二人の教え子が手にすることができた。指導者冥利に尽きる経験であった。
今、北京でパラリンピックが行われているが、障害児学校にずっと勤務していたとしたら、もしかしたらパラリンピック選手を育てていたかもしれませんね。
(つづく)