午前中に移動教室準備のためドンキホーテで大量のドロップと梅しばを購入、その後職場へ。若干の準備をし午後に辰巳小に移動して練習参加。
昨日のブログで「なんで○○なんだ!よりも、○○したのはなんで?」と書いたばかりなので、すぐに実践する。これって以前自分がやっていたことなのだが、本当に忘れていたんですな。記録しておくって大事!
「今、レシーブを外にとばしてしまったのはなんで?」
と問いかけると、子どもたちは少し考えてから、
「ボールが変化したので、つられて面が外に向いてしまったからです。」
「じゃあ、次はそれを気をつけよう。」
「今お見合いをしてボールを落としたのはなんで?」
「・・・・・私が声を出さなかったからです。」
「ならば声を忘れないようにしよう。」
「スパイクがアウトになったのはなんで?」
「・・・・・分かりません。」
「助走の足が逆で、ジャンプのタイミングを間違えているからミスする。正しいステップで10回練習して。」
気の長い指導の連続でしたが、間違いなく「考える練習」をしていました。
ところで、木場のイトーヨーカドー内のスポーツ店掲示板に、辰巳ジャンプの宣伝ビラを貼ってもらうように保護者の方々が動いてくれました。このブログでも、トップ記事に募集案内が来るようにしようと思います。
10月は新入部員募集月間です。
高等部の担任になった私は学年の先生たちにいろんなことを教えていただきながら楽しい教員生活を送っていた。そのひとつが修学旅行である。教員1年目が高等部の3年担任。そして高1~3まで同じ学年を継続して受け持ったので、修学旅行には2度行った。
1回目が新潟、2回目が仙台であった。
どうしてこういう場所設定になるかというと、どちらも新幹線で行ける場所ということである。車椅子で、重度重複障害を持つ子ども達を輸送するには新幹線のような座席のゆったりとした、しかも速い電車を使わなくてはならない。
そして障害者を受け入れてくれるホテルも大都市でしか見つからない。
新潟でも仙台でも、地元の高校生との交流会がメインイベントであった。こういう交流を快く受けてくれる高校というのは私立の女子高が多い。赤十字(レッドクロス)の活動を部活動で行なっている学校が私立に多いからだろう。
障害の軽い生徒たちは目を輝かしていた。
何しろ日頃の学校生活ではなかなか交流のできない健常者の女子高生が相手である。ちょっとしたデート気分を味わっていたのではないだろうか。それも良し。ワクワクする体験を旅行中にできること。修学旅行の醍醐味でしょう。
新潟は弥彦のスカイラインから見えた「佐渡島」
仙台の松島で乗船した遊覧船。
その美しさは今でも心に残っている。
養護学校の修学旅行のもうひとつの特徴がある。
「裏・修学旅行」とでも言おうか。
普段は子どもから目が離せず、旅行もできないお母さん達が、私たちが修学旅行に子ども達を連れて行っている3日間、子ども達の世話から開放され、同じ新潟や仙台ではあるが別行動で旅行をし、心身を癒すわけである。
旅行後に話を聞いたところによると、ハイヤーをチャーターしていろんなところを見物できたと喜んでいた。
三位一体の教育(子ども・親・教師)・・・今考えると養護学校はそういう面が本当に強い。そうでないと教育が成り立たなくなる。だから「障害児教育は教育の原点」と言われるのかもしれない。
(つづく)
電動車椅子という乗り物は楽しい乗り物である。
指先ひとつでどこでも動いていける。
改造をすることができるので、手で動かせない人でも、あごを使って動かすことができる。
私が尊敬している卒業生の一人に、世界初の「車椅子お笑い芸人」である「ホーキング青山」がいる。彼もまた、あごで電動車椅子を動かして、地球上のどこにでも出かけていく。お笑い芸人らしく、乙武さんの「五体不満足」をパロッって「笑う五体不満足」なる本も出版し、かなりの売上を出した。
この話題は後日くわしく書こうと思う。
さて、電動車椅子であるが、私もこれに乗って2時間ほど町を散歩したことがある。自分の生徒の乗り物を貸してもらったのである。操作は簡単なので、健常者ならば誰でも運転できる。
運転していて最も感じたことは、やはり人の視線であった。予想はしていたが、通り過ぎる人の100%が私を見ていた。電動車椅子に乗っている人たちはこの視線をいつも感じながら移動しているんだなぁと、分かったような分からないような気持ちがしたものだ。
電車に乗せてほしいというのも本当に勇気がいると思った。
「腹を決めてやるしかない」
そんな気持ちであった。なにせ電動車椅子に人が乗ると100㎏を超える場合もある。人間の力で持ち上げるには重過ぎる。
エレベーターに乗るのもけっこう難しい。
信号で間に合うと思って渡っても間に合わなかったこともある。
もし途中でバッテリー切れしたら一貫の終わりである。(車用のバッテリーのみで動いているので、動き続けて2時間くらいが限度かな)
この電動車椅子体験は、やってみないと分からないことが世の中にはたくさんあることの一例だと思っている。
(つづく)
かなり前の話になるが、「牛乳パックを使った船作り」という大して目に付かない題名の論文が新人奨励賞として、日本で3人選ばれる中に入った。養護学校から小学校に転勤し、自分の取り組んだ4年間の実践を社会的に問うてみたいと思って応募した実践論文である。
養護学校の授業は学習指導要領を基にできない実態が生徒にある。すべての発想は「ひとりの子ども」から始まる。「始めに子どもありき」である。
養護学校では落ちこぼれがいない。その子にあった授業を行なうからであり、他の子と比べても意味がないからだ。
養護学校には教科書がない。すべての授業は私たち教員が創り上げる。だから毎日打ち合わせがある。小学校では時間がないとみんな愚痴る(私自身もそうだ)が、養護学校の教員のように毎日6時まで打ち合わせをしている教員もいるのだ。(ただし今も養護学校がそうなのか把握はしていないし、そういう勤務実態が良いとは言い難い。)
そんな格闘の中から生まれてきたのが、牛乳パックで人が乗れる船を作ってプールで実際に乗ってみるという授業であった。
乗るのは車椅子の子や脳性まひ、てんかんなど、不安定な舟に乗せるなど到底考えられない子たち。それでも生活経験を積ませるためには乗せてみる。論文受賞の理由はただただその奇抜な発想が審査員の注目を集めただけだったと認識している。つまりアイデア性の受賞と思われる。
どうしてこういう発想が出てきたのかというと、私自身の子ども時代の楽しかった体験を障害児にもさせてあげたかっただけである。
牛乳パックではなかったが、ベニヤ板の舟を池に浮かべて、それに乗って遊んでいたことは、本当に楽しい記憶として私の脳裏に刻み込まれている。
心身に障害があることで、そうしたダイナミックな経験をするチャンスがなく高等部まできた子ども達。安全第一で育てられてきた子ども達。
そうではないでしょ。
できそうもないことでもやってみて、失敗したら考え直してという繰り返しをすることが人を大きく育てるのではないの?
そんな思いを強く持って授業をしていた。
このころの私は、たぶん養護学校の高校生相手に「ガキ大将」を演じていたのだ。
だから授業中にも社会経験を積ませるためと、カラオケに行ったし、「あのお菓子を買って来い」と町に出たこともない子を一人で買い物にも行かせていたのだ。
もちろん安全を確保しての上だが。
(つづく)