ここ数日の中国が本朝に対し見せつけている異常な「文攻武嚇」ぶりは、中国史の教科書あたりで読んだ毛沢東時代、とくに文革期の「打倒米帝・打倒ソ連修正主義」のスローガンに似て凄絶なものがあります。もちろん「日本に妥協的な裏切り者=漢奸」扱いされれば彼の国では生きて行けないという、1995年以来の愛国主義教育で極めて強まってしまった問題がありますので、「表態」(態度表明)を強いられた政府やメディアからして集団ヒステリーな状態になっていることが見て取れ、「反ファシズム」などと言いながら中国自身が滅茶苦茶ファシズムの罠に陥っているとしか思えません。そんな言い草をいちいち受け容れては、本朝の国家主権と尊厳が立ちゆかないという問題がありますので、これはもうチキンレース状態になるのもやむを得ないでしょう。以前から何となく分かっていた潜在的問題が、ついにリアルになったということで。とゆーか、中共自身が日本に圧力をかけるつもりで自ら煽ったこの芝居、ネット上の「略奪放火何でもあり」な凄惨な画像を見るにつけ、既に中共自身がコントロールを失っている状態なのではないかと (棒読み)。
そんな世情をへっぽこブログのテキトー管理人なりに眺めるにつけ、誠に残念ながら、少なくともこの国は完全に、日本人にとっての旅行市場ではなくなった……と思います。かつて日中友好全開の時代、中国の遙かなる大地への旅を誘うテレビ番組を見過ぎ、『地球の歩き方』中国編を読み過ぎた結果 (あと、ヨーロッパやアメリカに行く金は全然ないこともあって ^^;;)、何度もフラフラと中国の田舎で貧乏旅行を楽しんだことがある私としては、曰く言い難い寂しさを禁じ得ません。
もちろん、当時も勿論いろいろ歴史がらみの問題はありましたが、少なくとも旅をしていて不愉快になることなんて、壮絶な「ニーハオ・トイレ」 (笑) や、列車の切符がロクに手に入らない「没有」「無座」攻撃、それに列車・バス乗車時の押しくらまんじゅう闘争 (誰も列を作ろうとしない) 以外さほどありませんでした。あ、いやいや、こう書いているうちに他にもいろいろ思い出して来ましたが、それはこちらが用心すれば防げる問題でもあるので省略。そういえば、「金儲けは反革命だった時代の名残で、革命的に無愛想な服務員」の釣り銭投げ飛ばし攻撃もありましたが、それは慣れれば何でもありません (笑)。というわけで、総じて日本人だと言えばどこでも必ず親切にしてもらえましたし (本当です)、何と言っても古き良き風情がそこらじゅうに充満していたのが楽しかったのです (まぁとにかくボロかったですけど)。
しかし今や、都会の余りにも広すぎる道は歩行者の存在を拒むかのようにクルマで埋まり、味のある街並みは荒々しい勢いで「おから建築」の安普請ビルに変わってしまい、SLはおろか緑亀様 (東風4型) や緑皮車までもが急激に減っているとは……。その一方で物価は相当高くなってしまいましたので、そんな国に観光に行きたいという気分自体が萎えてしまったのは私だけではないでしょう。そんな折にこんな事態。嗚呼、90年代中頃までの楽しい中国よカムバァァック! (-_-
というわけで、昔のポジを引っ張り出して、マクロレンズを使ってお手軽にデジタル化するお遊びの一環として、泣く子も黙るカラカラに乾いたド田舎・甘粛省で撮影したSLをアップしてみましょう (フィルムはカラーですがモノクロ化しています)。1枚目は90年に嘉峪関市内(万里の長城の西端)でレンタサイクルで移動中に撮影した解放型。砂漠のど真ん中に忽然と建設された工業都市から、祁連山中にある鏡鉄山鉱山へ向かう産業路線をオーバークロスするところですが、ちょうどヤードの入換中で、解放型 (さてこれは満鉄工場製?それとも戦後製?) がしずしずとやって来ましたので、辺りを見回した上で速攻でパチリ (^^;)。いっぽう2枚目は、96年に包蘭線の白銀西駅で硬臥車内から撮影した建設型ですが、ここから先の支線は、中国SL迷な日本人鉄の間では非常に有名な機密路線ということで、まぁこんなカットも貴重?……なわけないか (^^;;)。ともあれ、この当時は原則鉄道撮影禁止なのでは?と思っていたことに加え、個人的にも基本的に非鉄期で、貴重なポジフィルムはほとんど名所旧跡や街並み撮影に回してしまっておりましたので、鉄道写真は他人の視線を忍んでこっそり撮影したごく僅かなカットしかないことが本当に悔やまれます……(当時の西北地域で撮影したのはマジでこれくらいです。滝汗)。