特急「たんば」のクロに乗って福知山に着いた後、猛然とダッシュして向かった先は……北近畿タンゴ鉄道宮福線の切符売り場。10:18発の113Dに乗って北近畿タンゴ鉄道初訪問を決め込むためですが、嗚呼……山陰線内で踏切の非常ボタンが押されたばっかりに、まさかこんなあたふたとした乗換を強いられるとは (T_T)。それでもまぁ何とか間に合えば救いがあるというものでしょう。一応、もし間に合わないとしても27分後に「はしだて1号」があり、どのみち宮津から先は舞鶴・天橋立のいずれの方向に向かうにしても同じ列車になるのですが、やはり未体験ゾーンの山越え新線である宮福線を初めて乗る以上、電車特急ではなくオリジナルのDCに乗りたいというのが人情のはず (^^;)。
それはさておき、今回113Dに使用されていたのは、宮福線用の小振りでシックなDC・MF100/200形ではなく、スカイブルーに緑赤帯が独特のテイストを放つKTR800形でした (トイレ無し。有りバージョンは700形)。ひとくちに北近畿タンゴ鉄道といっても、新線・宮福鉄道として先行開業しつつも人口密度が極めて低い宮福線と、国鉄赤字ローカル線の転換線でありながらもそれなりに沿線人口がある宮津線とでは来歴・性格が異なり、そのことが宮福線用のMF100/200と宮津線用のKTR700/800の車体長の違い (前者→16m。後者→20m) にも現れていると思われますが、時間帯によっては福知山~宮津・天橋立間の短絡線としてそれなりの客が入る宮福線においては、助っ人としてKTR700/800形が運用される……ということなのかも知れません。個人的には、車体が長いに越したことはなく、スカイブルーのKTR700/800はかねてから乗って撮ってみたかった車両ですので、これで来てくれてラッキー♪という気分になったのでした (笑)。
定刻通りに発車したKTR800は、しばらく山陰線と並走したのち、宮福線用車庫がある荒河かしの木台付近からいよいよ由良川沿いに高架とトンネルの連続へと分け入って行きます。時折現れる交換駅は、電車が高速で通過できるよう非常に立派なつくりとなっており、北越急行 (乗ったけどまた撮ってない……^^;) を思い出す雰囲気。やけに立派な駅前広場がある大江を過ぎ、やがて集落も消えますと、いよいよ大江山口内宮から峠越えの長大トンネルに突入……。百人一首の「大江山、いく野の道の遠ければ、まだ文も見ず天橋立」という歌が詠まれた昔に比べれば、DCに乗っての山越えなどわけもなく楽勝な世となりましたが、それでもKTR800のエンジン音はいよいよ激しくトンネル内に響き、スピードは全く上がらず……やはり難所であることが見て取れます。やっとのことでトンネルを抜けたところにある辛皮駅は、まさに秘境と呼ぶべき山里の中にひょっこりと現れ、景色を眺めてホッと一息……。ここからは下り坂につき快調に飛ばし、やがて遠くに日本海も見え、本州を横断して来たのだなぁ……という感慨が湧いてきます。
というわけで、47分間の山越えの旅を終えて宮津に到着~。西舞鶴行のKTR707が抜けるような青空をバックに長時間停車中で、思わず激写しまくったのでした (1枚目)。いや~この塗装、爽やかな空気や豊かな山河に実に良く似合うような気がします……。それに、デカ目ライトの貫通顔が凛々しく、今は無き伊豆急1500系風の窓もなかなか良い感じです。しかし、ここまで乗ってきたKTR803 (2枚目) が相当傷んでいるのも否めず、新造からいつの間にか約20年を経て、第3セクターの常として苦しい経営状態の中、保守管理の労を想像せずにはいられないのでした。
ちなみに宮津駅は、宮福鉄道が開業した当時の遺構として、跨線橋が中央で仕切られているのがミソ (片側は自由通路&北口から宮福鉄道駅舎へ行く客用。もう片側は宮福←→JR乗換用)。宮福線内列車が到着する4番線に隣接した宮福鉄道旧駅舎 (?) は現在無人ゆえ、DCから下車する際に運賃精算 or 切符提示が必要です。