地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

秋の夜長の八王子物語 (上) 秩父7502F甲種

2010-10-20 00:00:00 | 貨物列車 (甲種輸送)


 先週金曜日に長らく住み慣れた (?) 恩田を離れて長津田検車区に送られた東急8083F改め秩父7502Fは、昨日ついに長津田から甲種輸送されて熊谷へ向かいました。個人的には仕事の都合上残念ながら、7000系や7501Fの際のように長津田で「三途の川」=東急・JR連絡線を通過するシーンを拝むことは出来なかったのですが、是非7502Fに反射円盤が取り付けられているシーンは撮っておきたいものだ……と思いまして、仕事の帰りに遠回りして八王子に寄り道した次第です (^^;)。
 まずは井の頭線沿線の用務先から明大前に向かい、7000系準特急の豪快な飛ばしっぷりを楽しみつつ京王八王子に到着。徒歩数分でたどり着いたJR八王子駅の跨線橋から貨物用の中線群を見下ろしてみますと……ををっ!横浜線5番線の隣りに確かに7502Fが留置されていました……。



 そこで早速、手提げカバンの中に忍ばせておいたEOS 5D MⅡを取り出し、ホームの灯りに照らし出された7502Fの一度限りの旅姿を激写! しばらくすると急に三脚を持った如何にもな人々が増え始め (まぁ自分もそうですが。^^; →でも三脚は持参せず)、気がついてみるとJRF塗装のEF65が姿を現して連結準備が始まる気配でしたが、個人的にはハードな仕事の後でヘロヘロ、空腹も限界間近ということで、とりあえずデハ7502とクハ7702の両エンドを撮ったことに満足して横浜線の客となったのでした (笑)。
 これから7702Fは広瀬川原で検査・下回りの塗装を経て試運転を行い、来月中頃には営業運転を始めることになるのだろうと予想されますが、これで秩父7000・7500系は出自・顔・ライトの位置により4種類の異なるスタイルを擁するグループとなるわけで……7000系の登場当初でも予想だにしませんでした (^^;)。

新ジャカルタ炎鉄録 (13) 橙色抵抗非冷房

2010-10-19 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 (頂いたコメントへのレスは少々お待ち下さい m(_ _)m)
 オレンジ色の切妻電車といえば……そういえばジャカルタの非冷房抵抗制御車もありました (相当無理があるつながりのような……^^;)。今夏のジャカルタ・シリーズで既に触れました通り、KCJでは非冷房エコノミーのイメージアップを狙って続々と白+オレンジ帯への塗装変更を進めていますが、まだまだオレンジ旧塗装車も見られます。とにかくまぁ、いろいろな塗装をコロコロと試しては変更し……というのがジャカルタの流儀であり、それを逃さないようなるべく頻繁に訪れなければならないという気分にさせられます (笑)。
 それにしても、ラッシュアワーに非冷房エコノミーを撮影すれば、必ずと言って良いほど屋根や側面に乗客が鈴なりになっているシーンを目にするものですが (1枚目のカットでは、私に気づいた兄ちゃんがポーズまで決めてくれていますし……^^;)、連結器やジャンパ栓受け・スカートの上にビーサン履きで立ち、正面窓の金網にしがみついているという、さながらスパイダーマン同然の若者が少なくないことには仰天させられます……(滝汗)。連結器、左右にガタガタ揺れてアブナイのではないかと……(@o@)。そして今回は、連結器の上に籠を載せている兄ちゃんもいてビックリ仰天! う~む、これも全て慣れなのでしょうか。



 屋根乗車や連結器乗車はとても怖くて出来ない私ですが、今回はボゴールからデポックまでの約30分間、まさに振り落とさんばかりのスピードで突っ走るオレンジ編成の全開状態ドアステップに立って握り手にしがみつくという体験をしました (^^;)。その時はちょうど折悪しく、雨の都ボゴール恒例のスコールが降り始め、チレブットに着くまで滝のような雨が叩きつけまくり……。外の熱帯雨林は豪雨で霞み、超満員の車内は猛烈な湿気で修羅場 (何せダイヤがガタガタだったため、その非冷房エコノミーは40分遅れで、ボゴール駅のホームも列車を待つ客で凄まじい光景だったのです……)、ドア周辺は涼しいけどずぶ濡れ……(T_T)。日本に帰る飛行機に乗る8時間前に何をやっているんだオレ……という感じでしたが、まぁこれはこれで究極のジャカルタ電車体験と言えましょう (滝汗)。MT54とMT55を足して2で割ったようなモーター音も、このようなヤバい乗り方をすればこそビンビンに聞こえまくりというものですし……(紳士淑女・良い子の皆様は決して真似されませんよう)。
 ともあれ、輸送力が圧倒的に不足している状況の下で危険乗車が絶えないという状況は、日本中古冷房車のさらに急速な増備でなるべく早急に解消されることを祈る反面、運賃が圧倒的に安い非冷房エコノミーに頼る客層は今後どうなるのだろうかということも脳裏をよぎります。既に主要駅で非接触電子カードによる自動改札の設置工事が進み、それは明らかに複数の運賃体系には馴染まないと思われますので、近い将来には非冷房エコノミー・急行電車運賃が廃止され、エコノミーAC運賃へと収斂して行くことが予想されますが、さてどうなるのでしょうか……?

オレンジ201系・のんびり大阪環状線を行く

2010-10-17 00:00:00 | 国鉄型車両


 今日は中央快速線の残り1本となった201系が長野へ廃車回送ついで団臨として運行され、約30年にわたる歴史に終止符を打つことになるとのことですが、まずは何事もなく有終の美を飾って欲しいものです。個人的には、201系は顔がイマイチなため大して撮っておりませんが、お茶の水~新宿間で割と頻繁に利用しておりましたので、あの電機子チョッパ音とモーター音のハーモニーに親しみを抱いているのは確かです。モーターに近いドアにもたれかかり、四季折々に美しく移ろい行く外堀の風景を眺めながら……。とくに毎年春が巡るごとに、桜が満開を迎えた外堀が夕暮れ時を迎えて一面の淡い紫色に染まる中、疾走する201系が桜吹雪を巻き起こし……そんな絶妙すぎる光景を車内から秘かに愛でるのは、ある意味で東京の春の夜を楽しむ究極の選択ではないかと思っておりました。というわけで、そんな思い出をひっそりと胸に秘めつつ、静かに「お疲れ様」と申し上げたいものです。



 そしてこれからは、オレンジ色の201系といえば大阪環状線を意味する時代へ……。そういえば大阪環状線も、桜ノ宮駅脇の鉄橋ではバックに大阪城を控えた実に見事な桜の海を眺めることが出来ますし、「八百八橋」なナニワの街をのんびりぐるっと一周しながら様々な街の表情をあの走行音とともに楽しむというのは、関東人から見てもなかなか粋であるように思えます。もっとも、側面や車内は大幅にリニューアルされていますが……まぁ201系の真髄はやはりあの「音」にあると思っていますので、まいっか……と (^^;)。勿論、大阪環状線では103系が来る方が嬉しいのですが (^^;;)。
 さてそんな201系、鉄コレでは試作編成10連が発売されるということで、Wパンタの中間車も再現されているという余りのマニアックぶりに思わず予約してしまったのでありました (汗)。今後はこんな感じで、昭和50年代の割と新しい (?) 通勤型電車が鉄コレとしてリリースされる度合いが増しそうですね……。東急8500系が出たこともありますし……。

東急恩田通信・クハ5858副直工事 (?) 編

2010-10-16 02:00:00 | 大手民鉄 (東急)


 長らく恩田で改造工事を受けていた8083F改め秩父7502Fは、リンク頂いております『弐自宅Explorer』様でも伝えられております通り、昨日無事長津田検車区に送られました。いつもお世話になっておりますKuching kampung様から一昨日の晩に頂いた情報によると「デヤサンド7502Fがまだ出場線にいる」とのことでしたので、「これはいよいよ週末の金曜日に長津田送り→19日に甲種という手順か……。仕事の都合上、デヤサンドが本線を走る時間には撮影出来ないものの、せめて出場線から出て来るところを撮れないものか」と思い、昨日は仕事前に恩田に寄り道 (^^;)。果たせるかな、Y000系に乗って恩田で下車したところ、デヤのパンタが上がった状態でしたので「よしっ!これはいずれ入換が始まる!」と期待したのですが、それも束の間……結局デヤはブレーキを確認するためにちょこっと前後に動いたのみで、出場線から編成丸ごと出て来るシーンを拝むことなく時間切れとなってしまったのでした……(号泣)。
 思えば昨日の朝は、鷺沼の保安機器故障のため田都が大いにダイヤ乱れを起こしており (最近ダイヤ乱れ起こり過ぎだろ、この路線……と思うのは私だけでしょうか)、こどもの国線には目の前で逃げられ、次のこどもの国行きは小学校2校分のガ○、もとい良い子のみんなで超満員……。そもそも中央林間から乗ったのも50050系腰痛製造車 (帰りに大手町から乗った急行も……)。そんな「のっけから終わっている」一日に、易々と美味しいシーンにありつけるわけがない……という苦々しい教訓をかみしめた次第です (爆)。



 そんな「超ハズレ」な昨日の恩田訪問にあって、入場間もないクハ5158がジャッキアップされて台車を外されているシーンを目にすることが出来たのは、とりあえず「貴重な見どころ」でした。いや……これが5050系ではなく9000系であれば嬉しかったのですが、とりあえず5050系ということで申し訳程度に記録写真を (汗)。
 それにしても、通常の検査で恩田に入場した車両は遅かれ早かれ入場線へと取り込まれるのが通例ですが、何故そうではなく前処理場でジャッキアップ→台車外しという手順を踏んでいるのか……ということを考えるにつけ、唯一思いつくのは「副都心線直通改造を加速させるべく、東急車輌に送るだけでなく恩田でも工事を分担する」という作戦でしょうか。私は理系人間ではありませんので、具体的に保安機器の増設などを行う際に床下廻りをどれだけいじる必要があるのか知る由もありませんが、まぁとりあえず台車もすっかり外して防水カバーをかけてしまうあたり、それなりに長丁場で大がかりな工事であることが仄見えるわけでして……。それほど大きな工事を5050系に施すとすれば、やはり副都心線直通改造なのだろうと思う次第です (実際どうなのか知る由はありませんので、あくまでシロウトの邪推ということで、サラッと読み流して頂ければ幸いです m(_ _)m)。
 ともあれ、こうして恩田の屋外構内は5050系2編成、目黒線3000系1編成、8093Fがギッシリと詰め込まれ、ひところの8000系列ワールドとは全く異なる様相を呈しているのでありました……。とくに現在目立つのは東横線用ピンク色帯ということで、これは来月のAPEC横浜会議を控えた東横&みなとみらい線まつりといったところでしょうか? (そんなわけないって ^^; →ちなみに現在、神奈川県内の鉄道駅や繁華街、それに米軍基地&自衛隊の周辺は、全国からかき集められた応援部隊の警官の皆様でいっぱい……汗)。

北近畿タンゴ鉄道の旅 (1) KTR700・800

2010-10-15 12:00:00 | 地方民鉄 (近畿)


 特急「たんば」のクロに乗って福知山に着いた後、猛然とダッシュして向かった先は……北近畿タンゴ鉄道宮福線の切符売り場。10:18発の113Dに乗って北近畿タンゴ鉄道初訪問を決め込むためですが、嗚呼……山陰線内で踏切の非常ボタンが押されたばっかりに、まさかこんなあたふたとした乗換を強いられるとは (T_T)。それでもまぁ何とか間に合えば救いがあるというものでしょう。一応、もし間に合わないとしても27分後に「はしだて1号」があり、どのみち宮津から先は舞鶴・天橋立のいずれの方向に向かうにしても同じ列車になるのですが、やはり未体験ゾーンの山越え新線である宮福線を初めて乗る以上、電車特急ではなくオリジナルのDCに乗りたいというのが人情のはず (^^;)。
 それはさておき、今回113Dに使用されていたのは、宮福線用の小振りでシックなDC・MF100/200形ではなく、スカイブルーに緑赤帯が独特のテイストを放つKTR800形でした (トイレ無し。有りバージョンは700形)。ひとくちに北近畿タンゴ鉄道といっても、新線・宮福鉄道として先行開業しつつも人口密度が極めて低い宮福線と、国鉄赤字ローカル線の転換線でありながらもそれなりに沿線人口がある宮津線とでは来歴・性格が異なり、そのことが宮福線用のMF100/200と宮津線用のKTR700/800の車体長の違い (前者→16m。後者→20m) にも現れていると思われますが、時間帯によっては福知山~宮津・天橋立間の短絡線としてそれなりの客が入る宮福線においては、助っ人としてKTR700/800形が運用される……ということなのかも知れません。個人的には、車体が長いに越したことはなく、スカイブルーのKTR700/800はかねてから乗って撮ってみたかった車両ですので、これで来てくれてラッキー♪という気分になったのでした (笑)。



 定刻通りに発車したKTR800は、しばらく山陰線と並走したのち、宮福線用車庫がある荒河かしの木台付近からいよいよ由良川沿いに高架とトンネルの連続へと分け入って行きます。時折現れる交換駅は、電車が高速で通過できるよう非常に立派なつくりとなっており、北越急行 (乗ったけどまた撮ってない……^^;) を思い出す雰囲気。やけに立派な駅前広場がある大江を過ぎ、やがて集落も消えますと、いよいよ大江山口内宮から峠越えの長大トンネルに突入……。百人一首の「大江山、いく野の道の遠ければ、まだ文も見ず天橋立」という歌が詠まれた昔に比べれば、DCに乗っての山越えなどわけもなく楽勝な世となりましたが、それでもKTR800のエンジン音はいよいよ激しくトンネル内に響き、スピードは全く上がらず……やはり難所であることが見て取れます。やっとのことでトンネルを抜けたところにある辛皮駅は、まさに秘境と呼ぶべき山里の中にひょっこりと現れ、景色を眺めてホッと一息……。ここからは下り坂につき快調に飛ばし、やがて遠くに日本海も見え、本州を横断して来たのだなぁ……という感慨が湧いてきます。
 というわけで、47分間の山越えの旅を終えて宮津に到着~。西舞鶴行のKTR707が抜けるような青空をバックに長時間停車中で、思わず激写しまくったのでした (1枚目)。いや~この塗装、爽やかな空気や豊かな山河に実に良く似合うような気がします……。それに、デカ目ライトの貫通顔が凛々しく、今は無き伊豆急1500系風の窓もなかなか良い感じです。しかし、ここまで乗ってきたKTR803 (2枚目) が相当傷んでいるのも否めず、新造からいつの間にか約20年を経て、第3セクターの常として苦しい経営状態の中、保守管理の労を想像せずにはいられないのでした。
 ちなみに宮津駅は、宮福鉄道が開業した当時の遺構として、跨線橋が中央で仕切られているのがミソ (片側は自由通路&北口から宮福鉄道駅舎へ行く客用。もう片側は宮福←→JR乗換用)。宮福線内列車が到着する4番線に隣接した宮福鉄道旧駅舎 (?) は現在無人ゆえ、DCから下車する際に運賃精算 or 切符提示が必要です。