先日ウロウロした大名古屋圏は、割と大きな駅の周辺でも目ぼしいメシ屋やコンビニが見当たらないことがあり、鉄活動中に空きっ腹を抱えることになりますが、バスに乗って郊外へ出るとあら不思議、ロードサイド型のメシ屋が大繁盛。そこで路線バスの車内から、しばしば現れるラーメン屋の看板を眺めて悔しさを感じていたところ「ベトコンラーメン……何それ?」。ベトコンといえば、世間一般的にはベトナム戦争時の南ベトナム解放民族戦線を指し、越南共産の意ですので、ラーメンに使うネーミングとは到底思えず、ベトベトスープのコンニャク入りラーメンのようなナゾな食い物が超地域限定で存在するのだろうかと思ったのですが (^^;)、ネットで検索したところ……何と!本当にベトコンの勇猛果敢な闘いぶりに感激して名付けたものとは……。
というわけで、しばらく間が開いてしまったベトナム鉄の続き、いよいよ超期待の満鉄客車に乗車です! 客車は6両あり、満鉄客車が2両、そして素性が不明な中国客車が4両連結され、満鉄客車のうち窓間隔が広い1両(上の画像)は乗務員控室及び大荷物の客用であり、一般客は窓間隔が狭い2両目に乗車することになっています。満鉄客車にはもう1両、半室が簡素な食堂車に改造された1両があるとのことですが、残念ながらこの日は連結されておらず……。残り4両の行商客用客車は、1950年代以降製であればソ連技術を参考にしたリブ付き車体となると思われますので (CNR21・22系客車)、恐らく40年代までの作品と思われます。窓周りやオープンデッキ周りの構造は恐らくベトナムに来てからの改造によると思われ、詳細は一切不明ですが、もしこれらが当初満鉄・華北交通・華中鉄道で鋼体化改造されたものであれば、これも日本の息がかかったシロモノと言えましょう。日本の35系客車の窓割りと似ているあたり、個人的に非常に気になるところです。
それはさておき、いよいよ一般客用客車の車内に入りますと……壁面はエメグリ色のペンキで塗りつぶされ、椅子もベトナム硬座車で一般的な木製椅子に交換されていますが、恐ろしく高い丸天井が印象的なインテリアは……まさに大満鉄そのもの! 嗚呼……北東アジアの曠野に生を享けて以来約70~80年になる車両に、今こうして南国の地で乗っているという巡り合わせの妙! たとえ傀儡国家のスローガンと言われようとも、王道楽土を夢見て日々驀進した客車が、21世紀においてもこうしてベトナムの片田舎で質朴に生きる人々を乗せ、稀にやって来る物好きな日本人をして遙かなる歴史の有為転変へと誘っているという……。
しかし、ロマンに浸ることが出来るのはあくまで停車しているときのみ (滝汗)。いざ動き出してみますと、老朽化した車両と保守不十分な線路の組み合わせのため、せいぜい時速20~30km程度しか出ないにもかかわらず激しく振動し、とりわけベトナムで後付けされた鋼製の日除けや投石避けがバリバリと音を立て、客車らしいジョイント音を楽しむどころではありません。往路の列車で持ってきた商品をハロン駅のホームで売ったあとの行商人が金勘定をしながら大声でしゃべくっていますし……(苦笑)。
そんな超ノロノロの田舎列車旅も、ハノイ~ドンダン線(中国に通ず)とのジャンクションであるケップ駅に到着して暗くなる頃から雰囲気が一変! 行商人も一般旅客もほとんど下車して一片の静寂となった客車内には暗い照明が灯り、とくにデッキには白熱灯……。漆黒の闇を行く客車には生暖かい夜風が吹き込み、満鉄客車の最後の通常営業運転列車として相応しい夜汽車の雰囲気に包まれます……。時折並行する国道を駆けるクルマに散々追い抜かれるごとに、激動の20世紀史の生き証人がこうして見捨てられたように走っていることの不可思議を感じるとともに、その壮絶な歴史が間もなく終わろうとしていることに(10年はもたないでしょう)万感の思いがこみ上げてくるのを感じました。
かくして列車は20時55分、定刻よりも数分遅れて終点のイェンビエン(安園)駅に到着。僅か数人の客が下車しますと、客車内の照明は全て切られ、深緑色の編成は申し訳ばかりの照明に照らし出されるのみとなりました。その,疲れ果てながらも矜恃に満ちた車体を最後に眺めたのち、イェンビエン駅前でロンビエン行バスに乗り込んで怒濤の一日を終えたのでした。
※途中、ウォンビ駅の東でメーターゲージとの平面交差があり結構ビックリしますが、これは近くの炭鉱から火力発電所への運炭鉄道で、ググッてみたところ中国の電力関連企業が投資中。緑色の産業用DLがホキを牽引する画像が出て来ます。撮りたいかも……(笑)。