地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ハノイ懐旧鉄散歩 (9) 満鉄客車の旅

2012-04-25 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 先日ウロウロした大名古屋圏は、割と大きな駅の周辺でも目ぼしいメシ屋やコンビニが見当たらないことがあり、鉄活動中に空きっ腹を抱えることになりますが、バスに乗って郊外へ出るとあら不思議、ロードサイド型のメシ屋が大繁盛。そこで路線バスの車内から、しばしば現れるラーメン屋の看板を眺めて悔しさを感じていたところ「ベトコンラーメン……何それ?」。ベトコンといえば、世間一般的にはベトナム戦争時の南ベトナム解放民族戦線を指し、越南共産の意ですので、ラーメンに使うネーミングとは到底思えず、ベトベトスープのコンニャク入りラーメンのようなナゾな食い物が超地域限定で存在するのだろうかと思ったのですが (^^;)、ネットで検索したところ……何と!本当にベトコンの勇猛果敢な闘いぶりに感激して名付けたものとは……。
 というわけで、しばらく間が開いてしまったベトナム鉄の続き、いよいよ超期待の満鉄客車に乗車です! 客車は6両あり、満鉄客車が2両、そして素性が不明な中国客車が4両連結され、満鉄客車のうち窓間隔が広い1両(上の画像)は乗務員控室及び大荷物の客用であり、一般客は窓間隔が狭い2両目に乗車することになっています。満鉄客車にはもう1両、半室が簡素な食堂車に改造された1両があるとのことですが、残念ながらこの日は連結されておらず……。残り4両の行商客用客車は、1950年代以降製であればソ連技術を参考にしたリブ付き車体となると思われますので (CNR21・22系客車)、恐らく40年代までの作品と思われます。窓周りやオープンデッキ周りの構造は恐らくベトナムに来てからの改造によると思われ、詳細は一切不明ですが、もしこれらが当初満鉄・華北交通・華中鉄道で鋼体化改造されたものであれば、これも日本の息がかかったシロモノと言えましょう。日本の35系客車の窓割りと似ているあたり、個人的に非常に気になるところです。



 それはさておき、いよいよ一般客用客車の車内に入りますと……壁面はエメグリ色のペンキで塗りつぶされ、椅子もベトナム硬座車で一般的な木製椅子に交換されていますが、恐ろしく高い丸天井が印象的なインテリアは……まさに大満鉄そのもの! 嗚呼……北東アジアの曠野に生を享けて以来約70~80年になる車両に、今こうして南国の地で乗っているという巡り合わせの妙! たとえ傀儡国家のスローガンと言われようとも、王道楽土を夢見て日々驀進した客車が、21世紀においてもこうしてベトナムの片田舎で質朴に生きる人々を乗せ、稀にやって来る物好きな日本人をして遙かなる歴史の有為転変へと誘っているという……。
 しかし、ロマンに浸ることが出来るのはあくまで停車しているときのみ (滝汗)。いざ動き出してみますと、老朽化した車両と保守不十分な線路の組み合わせのため、せいぜい時速20~30km程度しか出ないにもかかわらず激しく振動し、とりわけベトナムで後付けされた鋼製の日除けや投石避けがバリバリと音を立て、客車らしいジョイント音を楽しむどころではありません。往路の列車で持ってきた商品をハロン駅のホームで売ったあとの行商人が金勘定をしながら大声でしゃべくっていますし……(苦笑)。
 そんな超ノロノロの田舎列車旅も、ハノイ~ドンダン線(中国に通ず)とのジャンクションであるケップ駅に到着して暗くなる頃から雰囲気が一変! 行商人も一般旅客もほとんど下車して一片の静寂となった客車内には暗い照明が灯り、とくにデッキには白熱灯……。漆黒の闇を行く客車には生暖かい夜風が吹き込み、満鉄客車の最後の通常営業運転列車として相応しい夜汽車の雰囲気に包まれます……。時折並行する国道を駆けるクルマに散々追い抜かれるごとに、激動の20世紀史の生き証人がこうして見捨てられたように走っていることの不可思議を感じるとともに、その壮絶な歴史が間もなく終わろうとしていることに(10年はもたないでしょう)万感の思いがこみ上げてくるのを感じました。
 かくして列車は20時55分、定刻よりも数分遅れて終点のイェンビエン(安園)駅に到着。僅か数人の客が下車しますと、客車内の照明は全て切られ、深緑色の編成は申し訳ばかりの照明に照らし出されるのみとなりました。その,疲れ果てながらも矜恃に満ちた車体を最後に眺めたのち、イェンビエン駅前でロンビエン行バスに乗り込んで怒濤の一日を終えたのでした。
 ※途中、ウォンビ駅の東でメーターゲージとの平面交差があり結構ビックリしますが、これは近くの炭鉱から火力発電所への運炭鉄道で、ググッてみたところ中国の電力関連企業が投資中。緑色の産業用DLがホキを牽引する画像が出て来ます。撮りたいかも……(笑)。



manaca・TOICA直通記念・大名古屋鉄

2012-04-24 00:00:00 | ノンジャンル


【JR東海】313系3000番台(前パン・ボックス席)のブツ4新快速というマニアックな列車が存在するとは……思わず悩殺。313系にハマるかも (笑)。



【名鉄】銀とスカーレットの混結は、イメチェンを図る名鉄のいまを象徴? 3150・3300系は快適ですが、もうちょっとワルっぽさが欲しいですね (^^;



【名古屋市交】ついにN3000形の量産が始まった鶴舞線車両陣。たま~に運が良ければ、中間に3000形を組み込んだ3050形凸凹編成・3159Fが出現☆



【近鉄】PiTaPa陣営の東の出店につき、manaca・TOICAは使えませんが、来年を待ちきれず「我々も入れてくれ!」とブッ飛び走行で自己主張中?

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 全国各地にて急速に普及しつつある鉄道ICカードは、基本的には同じシステムを利用しているため、例えばSuicaとPASMOのように相互利用が拡大しつつあり、来年には琴電IruCaのようなマイナーな存在を除いて全国のカードが相互利用化されるようです。そして去る土曜日、その一里塚として中京圏におけるTOICAとmanacaの相互利用が開始されました。
 たまたま去る週末に名古屋で用事があり、ついでに乗り撮り鉄活動もくっつけて久しぶりに名古屋で鉄活動をした私としては、まず何よりもこれまでストックしていたトランパスが去る2月を最後に使用不可となっていることに衝撃を受けたのですが (滝汗)、まぁ考えてみればICカードの方が何かと便利であるわけで、滞在初日の先週金曜日はさっそくmanacaをゲット。金山駅で名鉄の出口とJR連絡口を間違えてイキナリ扉を閉められながらも、「明日以降はもうmanacaで通過しようとして閉められることはないのだなぁ……」と思うにつけ、それはそれで貴重な経験を味わう一幕もありました (笑)。そして土曜日、あら不思議……本当にmanacaでJRCの電車に乗れるようになったではありませんか! こんな感じで時代の節目をビンビンに感じつつ、急速に変わりゆく大名古屋エリアの鉄道シーンを久々に集中的に味わい、ここしばらく新幹線で通過ばかりで後ろ髪ひかれまくりだった気分を大いに慰めたのでした……。
 そこで今後は、滞在3日間(うち1日は朝夕のみ)に撮影したカットを少しずつ備忘録としてアップして参りますが、何分膨大なカット・様々な車両に及び、シリーズ記事を仕立てると合計20数回になりそうです (汗)。多忙のためあくまで断続的アップになりそうですが、適宜ご笑覧頂ければ幸いです。
 なお土曜日の晩には、いつもお世話になっております「ぱれっと」様とお会いしまして、間もなく消えゆく大名古屋ビルヂングの地下街にて、日本全国鉄道完乗の偉業をお祝いしつつ、味噌カツ賞味&鉄な会話を楽しんだのでした。どうも大変お世話になりました~m(^^)m


相互利用初日である21日の9時過ぎ、名古屋駅ではこんなことをやってました。



自動改札機がマスメディア陣に囲まれて超パニック (笑)。



変化が激しい名駅界隈、ネーミングが超名物なこのビルは間もなく解体……。


鉄コレ流電飯田快速色を塗装変更N化する (上)

2012-04-23 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 昨日まで3日間、JRC総本山たる名古屋に出かけておりました。しかし、撮影した膨大なカットの整理とレタッチはこれからです (滝汗)。そこで東海エリアつながりで、既に仕込んでおいた鉄コレ飯田線流電セットの話題をアップ致します。
 先月スカ色と飯田快速色が同時発売となった鉄コレ流電セット、折角のモールドの素晴らしさにもかかわらず結構曲者であることにつきましては、既に個人的にスカ色への色差し苦心惨憺記としてグダグダと綴った次第です (苦笑)。一方、1960年前後の飯田線において見られた飯田快速色バージョンにつきましては、まず何よりも最大の問題として、ブルーの選択がアレではないか?という疑問が頭の中をグルグルとせざるを得ません (@_@)。
 この飯田快速色、私が生まれる前に消えてしまいましたので、実際にどうであったか知る由もありませんが、少なくともGMカタログ所収の「決定版!旧国線区別塗色変更一覧」、及び鉄コレのパッケージの説明のいずれにおいても「黄柑色+青2号」であったと触れられています。黄柑色は基本的にGMのそれを使えば良いとして、それでは「青2号」とはどんな色か……? そこでネット上で「青2号」と検索しますと、Wikipediaでは「RGB=50,76,81」と説明され、自PCのPhotoshop LEにこの数値を入力しますと、曰く言い難いダークな紺色とグリーンの中間色となります。なるほど……今回の鉄コレでは、この色をそのまま塗っているらしい……?



 しかし青2号は「ウルトラマリン」とも呼ばれる以上、海っぽくなく地味過ぎる色では疑問符が湧きますし、現行になる前の初代スカ色として使われ、あるいはブルトレ塗装のEF58にも採用されていたらしいとなりますと、一層「これで良いのか?」と思わずにはいられません。そこで、当時の飯田快速色をカラーフィルムにとどめた極めて貴重な記録をかき集めてみますと、管見の限り
 (1) RP誌1983年5月号(飯田線特集)……75頁・沢柳健一氏撮影。
 (2) RP誌2011年6月号別冊『鉄道青春時代・国電Ⅱ』
   ……8頁・久保敏氏撮影。
 (3) J.W.Higgins『昭和30年代鉄道原風景・国鉄編』JTB、96頁。
 (4) 沢柳健一『旧型国電50年Ⅰ』JTBキャンブックス、32頁。
 (5) 沢柳健一『旧型国電50年Ⅱ』JTBキャンブックス、11頁。
……といったものに行き当たります。このうち、(1) と (4) は全く同じ写真で、恐らくネガフィルムかエクタクローム系のポジで撮影しているためか、約30年間にフィルムの劣化が進んだらしく、(1) では紫味が強い鮮やかなブルーであるはずが、(4) では鉄コレのそれに近い重い色として印刷されています。まぁ (1) も撮影されてから約20年少々を経て赤かぶりが生じているのではないか?と推察されますが、それなりに彩度を保っていることに鑑みますと、何とか赤かぶりをPC上で除きながらも車体全体から鮮やかさが失われている (4) は、どうも本当の色ではないような気が……。そして、(5) に収録されている2枚の画像も、全体的に赤緑かぶりと彩度低下が進行したコマを何とかPCで修正しようとしているものの救い切れていないという印象があります。これに対し、絶対的に劣化に強いコダクロームで撮影された (3) は、車体が鉄粉で汚れながらも総じてスカ色ブルーよりも彩度と明度が高いブルーであることが見て取れますし、所収の古い画像がコダクローム系の発色で揃っている (2) に至っては、よりクリアな発色で美しいブルーを纏った流電の見事な姿を目にすることが出来ます。
 というわけで、飯田線快速色のブルーを再現するならば、教条主義的に暗すぎる色を塗るのではなく、『旧型国電50年Ⅱ』の塗装イラスト集やGMカタログに載っている通り、適度に華やかさがありながらも明るすぎず、かといってスカ色ほど暗くないブルーを塗るのが正解なのだろう……という見解に至った次第です。そこで、タミヤの《TS44》ブリリアントブルー、とクレオスの《65》インディブルーを比較したうえで、後者をチョイスして塗ってみました。う~ん、鉄道が陸上輸送の王者だった約半世紀前、飯田線が最も輝いていた時代の雰囲気が眼前に……(*^^*)。そして、鉄コレ購入時点そのままの個体(撮影のため、パンタのみPS11に変えております)と並べてみますと、印象の違いは余りにも明らか! 塗り替えた方が明らかに《快速》してます♪
 さてと、快速編成にするには少なくともあと3両塗り替え。先は長いです (汗)。

小田急3車種さよなら海老名イベント (下) HiとR

2012-04-20 00:00:00 | 大手民鉄 (小田急)


 小田急の歴史における大きな転換点となった、3車種一斉離脱・ロマンスカー運行形態大幅再編ダイヤ改正が実施されて以来、早いもので約一ヶ月が経ちました。この改正を江ノ島賎民としての立場からとらえてみますと、とにかく夕方の江ノ島線ホームウェイの本数が増え、しかも発車10~15分前でも特急券にありつけるようになったのみならず、平日最終便を除けば大和で緩急接続がきっちり確保されるようになったことから、新宿近辺での所用ののち帰宅する際に非常に気分良くロマンスカーを利用できるようになったのは革命的変化としか言い様がありません。ま、使い勝手の良さが次第に認知されて来ると、特急券の競争率もジリジリと上がって行くことになるでしょうが,少なくとも従来ダイヤでは平日の江ノ島線ロマンスカーは本当に座席数が限られていたため、発車1時間前でも既に売り切れ表示が出ている(しかも大部分が新百合や相模大野までの客……)ことが常であり、「さっさと降りる連中に比べれば特急料金を多めに払ってやるのに・・」と悔しい思いをすることが多かった改正前と比べると、全く福音の限りであります。



 しかし、フツーに小田急を日々利用し、行き交う列車をぼんやり眺めているだけでも、別の非常に大きな変化に気づかずにはいられません。……そう、車両に使われている色が減ったなぁ~ということ。10000・20000、そしてJRC371系といった特急車三陣営が消えただけでもかなり賑やかさが減り、ロマンスカー全体の雰囲気として一気に慎ましやかな雰囲気が増したと思うのは私だけでしょうか? 勿論、それでもロマンスカーの塗装と言えば初代3000形以来のオレンジ系旧塗装しかなかった時代(=10000形の登場前)と比べれば塗装の種類は増えていることは言うまでもありませんが、それでもバブリーな時代を色濃く残す塗装の車両が走らなくなっただけでこれほど印象が変わるものか……と思う今日この頃です。乗るのであれば30000形がベスト、暖かさと機能美という点では60000形も素晴らしい(但し座り心地は……-_-;)と思っている私ではありますが、バブル2車種の引退後に今さらながらそこはかとない寂しさを感じるというのも不思議なものですね……。
 というわけで、先月下旬の海老名まつりの際に撮影した画像のうち、Hi・Rを撮影した画像をまだレタッチしていなかったのを思い出し、先頭部分の周囲に張り巡らされた虎ロープを必死に消すなどしてみました……(^_^;)。あの壮絶な人出を思い出すにつけ、開場直後を狙って辛うじてこのようなカットを撮影出来たことの超幸運ぶりを改めてかみしめまくりです……(滝汗)。
 なお今のところ、5000形を含む引退3車種は相模大野の処刑台に運び込まれておらず、恐らく喜多見か海老名の奥深くに仕舞われているものと思われますが、果たして今後どうなるのでしょうか? 20000形がウワサ通りに富士急に行くとしたら、最近の富士急の流れからして○トーカ化という運命をたどることになる可能性が高いことを考えるにつけ、このまま解体されることによって美しい姿のみをファンの心にとどめるのも悪い話ではないのではないか?と愚考しなくもありません。

第三ジャカルタ炎鉄録 (41) 東急8039F

2012-04-19 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 池多摩線の7910Fでステンレスシルバーまっさら姿が復活したというわけで、改めてひしひしと思い出すのは東横線8039F復活リバイバル急行の感動、そしてそれなりに長期にわたった銀色オンリー姿での通常運転の勇姿であります。池多摩線には急行というものが存在せず、ATCを装備しない7700系が今さら東横線や田園都市線で急行・快速運転できるとは到底思えませんので、8039Fで実施されたような真紅の急行サボを正面左側に掲げてのリバイバル急行を7910Fで実施することは恐らく望めないでしょう(いやその前に……東急は8000系さよなら運転のときを遥かに上回るデヤさよなら運転の際の人出に恐れをなし、大々的なイベント運転自体をやらないという可能性すら頭をよぎります -_-)。それだけに、8039Fのリバイバル急行は永遠に不滅の伝説的出来事として未来永劫語り継がれるのではないか?と予感しなくもありません。
 というわけで、断続的にご紹介して参りました2011年夏のジャカルタ撮り鉄記録もいよいよ終盤に突入、まさにその伝説の主役である東急8039Fの勇姿をどうぞ♪



 8039Fは一昨年の初夏に検査を受けて以来、青と黄色のカラーリングを纏っており、とりわけ正面は「覆面レスラー顔」(この表現は確か、元『JABOTABEK RAILNEWS』→現『Tokyo Railway Labyrinth』管理人でおられるYopie様が創始されたものであったはず)となっていますが、8039Fの覆面レスラー顔はラインが直線的で非常にシャープな印象となっています。8039Fは、もともと2003年頃に5050系の登場とともに真っ先に廃車となり、跡形もなく消え去る予定だったはずが、奇跡の検査によって不死鳥の如く蘇った時点で「伝説」を創始したことは未だ記憶に新しいところですが、その後この「8039F伝説」はリバイバル急行の主役となることによって大々的に補強され、さらにジャカルタ移籍後にはブルー濃淡の神秘的カラーリングとなることでますます輝きを増し、やがて色が変わりながらもジャカルタの東急8000系列の中で最もシャープなデザインを保っていることによって、今日まで連綿と受け継がれていると言えましょう。それゆえに、ジャカルタを訪れる全ての東急ファン(といってもその数はごく僅かですが……^^;)は8039Fがやって来れば誰もが狂喜せざるを得ず、躍進する大都会ジャカルタの様々な風景と、経済発展の一端を担って日々ラッシュ輸送に邁進する8039Fの麗姿をどう組み合わせて表現するかに心を砕かずにはいられないのです……(*^^*)。
 しかし、時の流れは実に早いもので、間もなく8039Fは検査期限を迎えることになります。既にジャカルタの東急8000系列の標準色となったこのカラーリングを、8039Fは入場後も果たしてそのまま保つことになるのでしょうか? あるいは、かりに帯色が変わるとしても、女性専用車ド派手ラッピングを施されずに引き続き伝説の主、いや「神」にふさわしい尊厳ある姿であり続けることが出来るのでしょうか? 既に8007Fや8604F (そしてJALITA8613F) がド派手ラッピングとなっているだけに、非常に気になるところです……。ちなみに、昨年夏の訪問時には8007Fは入場中につき全く撮影出来ませんでしたので、今連載でのご紹介は省略させて頂きます (^^;)。