地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

2012年夏のフィリピン (斎藤幹雄様ご撮影)

2012-07-26 00:00:00 | 頂き物画像


 日々刻々と変わりゆく東南アジアの日本中古車最新事情をレポートされたRM誌・斎藤幹雄氏のレポートをご覧になった方も多いかと存じますが、如何せん日本と比べて……良く言えば臨機応変・悪く言えば出たとこ勝負のやっつけで事が運ぶ国が多いだけに、RM誌最新号の記事が最新の事情を反映しているとは限りません (汗)。そこで当の斎藤幹雄氏が、先日フィリピンに弾丸取材ツアーを敢行されたのですが、その際に撮影された最新超驚愕画像の数々を昨晩当方にお送り頂き、しかも有難いことに当ブログへの掲載許可を頂きました! というわけで、何はさておき速報アップすることにより、ご興味をお持ちの奇特な方への参考に供したく存じます。
 まずは203系から。非電化のフィリピン国鉄で、中古通勤電車を使って快適なマニラ首都圏近郊輸送を提供する……という、一見するとかなり無理がありそうに見えながら、実は同時に一時期の豊肥線熊本口のように思えなくもない計画が実行に移され、ついに去る7月10日から2編成が営業運転に入っているとのことですが、計画では203系10連を2分割して生まれる4~5連の本数よりも手持ちの電源車の方が少ないため、一部の203系に発電機を搭載するという (勿論発電機室は封鎖) 魔改造が施されました☆ その結果モハ203-10が、ご覧の画像の通り何とも壮絶な面構えとなったという……。これは撮りたい……(笑)。



 もっとも、5連は発電しても冷房分の電源を供給しきれないためか (?)、当面送風のみ使用というトホホな現状となっているようで、冷房車ではない以上通常の冷房コミュータ運用には入らず、朝ビーニャン→トゥトゥバン、夜トゥトゥバン→ビーニャン間の12系運用の代替として走っているようです。それでも初期故障が相次いでいるためか、ボロボロになり過ぎた12系が3日に1回ほどピンチヒッターとして登用されるとか……。
 そんなお話を伺っていると、「つくづく車両不足から抜けられない体質なのだなぁ……203系も果たして大丈夫なのだろうか?」と未訪問者なりに不安を覚えるのですが (^^;)、実際にDCは相当深刻な様相を呈しつつあるようです……。何と、毎週3往復「マヨン・リミテッド・デラックス」として運用されている「こがね」が、7月10日にトラックと衝突して大窓と金網を中心に破損……(T_T)。一応9月には復活させたいとのことですが、フィリピン国鉄のことなので年内はムリだろうとの齋藤氏談 (滝汗)。片方の先頭車が使えなければ、臨機応変にキハ52を連結し、デラックス+オーディナリーの二等級列車にすれば良いのに、と個人的に思ったのですが、何と肝心のキハ52も綱渡り的な状況が続いているそうで、新潟色のキハ52 123は早くも部品取り用として運用から離脱しているとか……。そして、キハ52は先月だけでも3回も衝突事故を起こし、その都度(当たった車の側に?)死者が出ているそうで、「胴回り白塗装では血が目立つから」という理由で (?!……関係者談とのことです)、新潟色は全く別のオドロキの塗装に変わってしまいました! その画像は↓からご覧下さい~。
 ともあれフィリピン国鉄は、最近JREから車両を大量にもらってすっかり息を吹き返したかのような印象を門外漢としても感じられたのですが、どうやらそういうわけでもなく、何やら崩壊寸前の12系のみで運用されていた頃と本質的には変わらないのでは……という心配が (滝汗)。勿論、そんな印象は的外れであり、フィリピン国鉄が過渡期的現象を克服して充実した輸送を実現させて行くことを祈るばかりですが、これは何とか時間に都合をつけて早めに初訪問した方が良さそうなのかも……と思った次第です。というわけで、大変貴重かつ新鮮なレポートをお送り下さった斎藤幹雄様には心より御礼申し上げます~m(_ _)m


 ブルトレ塗装のキハ52!! これはN模型に塗りたいかも……! (笑)



 14系はご覧の通り。早く訪れないと12系と同じように朽ち果てるかも (滝汗)。

東急東横線と日比谷線の直通運転終了へ

2012-07-25 00:00:00 | 大手民鉄 (東急)


 東急公式HPによりますと、かねてから周到な準備が進められつつある副都心線直通運転の開始日が来年3月16日と決しました! 桜木町廃止&みなとみらい線直通以来約10年に及ぶ東横線の大激動期がついに大団円を迎え (相鉄との直通運転開始までは静か?→東横ではなく目黒のような気も ^^;)、リニューアルしつつある渋谷界隈とともに東急の新たな歴史の幕が開くことになるでしょう!
 しかし同時に、プレスリリースの文面には地味~に結構衝撃的な内容が盛り込まれておりました。何と……地下鉄直通は副都心線に一本化され、日比谷線直通は廃止!! これもまた戦後長らくの東横線の歴史における一大転換点であることは論を俟たないところでしょう……。渋谷・副都心線を介した非常に大規模な三社直通の実現にあたり、ダイヤ乱れの際の列車整理をやりやすくする上でも、もともと中目黒での優等列車からの乗り換え志向が強い (?) 日比谷線直通18m車の運用をやめ、20m車の8・10連に統一したいということなのかも知れません。



 折しも、東急の初代日比谷線直通車両である7000系が登場50周年を迎え、しかも日本最初の本格オールステンレスカーということで先日機械遺産としての指定を受けたばかりであるだけに、こうして2代目の日比直車両である1000系が突如東横線の職を失うことになるとは……。まぁ東横線からの日比直約半世紀の歴史も、それなりに大いに記念するべきものであり、これから来年三月に向けて様々なかたちで惜別の動きが展開されることになるのでしょうか?
 それにしても個人的に、今さらながら気づいたのですが……何と!東横線内の日比直列車をほとんど撮っておらず、外付けHDに保存してある過去画像を漁ってもろくすっぽ出てきやしねぇ! (滝汗激爆 ^^;) だいたい、8000・8590・9000系目当てで東横線を訪れても、個人的にはどうしてもMy生誕の地である妙蓮寺~東白楽界隈で撮ることが多くなってしまいますし、たまに撮りやすい自由が丘~多摩川界隈でカメラを構えても、どうしても日比直は本命を撮影する前の露出・ピント確認のため、あるいは撮影ノリのウォーミングアップのための前座列車としての意味合いが強く、たとえ撮ったところですぐに消してしまうことがほとんどだったという……(^^;;;;)。まぁこんな調子だからこそ、思い切り偏った内容の記録しか残らず、ブログの内容も独断と偏見ばかりなわけでして……(笑)。
 というわけで、1000系と撮るとすれば池多摩線か恩田のどちらかという体たらく。恐らく来年の今頃は恩田で1000系地方譲渡 (?) 改造ラッシュとなりそうですから、個人的には日比直シーンそのものは少々記録するにとどめて、恩田ウォッチに久しぶりに注力したいという気がしております (ヒマが必要ですが ^^;)。

※緊急超ビックリ記事をアップしましたため、恐れ入りますが頂いたコメントへのレスは明日以降致します。お待ち頂ければ幸いです……m(_ _)m

湖西雷雨地獄鉄 (3) 抹茶色117系!

2012-07-24 00:00:00 | 国鉄型車両


 土砂降りの比叡山からケーブルカーに乗って下山してみると、あちゃー……下界もいつの間にか激しく雨が叩きつけていました (泣)。そこで、問答無用で目の前の江若バスに乗り、振り出しの比叡山坂本駅に戻ってきたのですが、まだまだ夕方の用務本番までは時間があり、このままおめおめと京都に向かうのは勿体なさ過ぎます。そこで、悲惨な天気でも撮影を続行できるEOS 5D MⅡを持参していることもあり、約1年ぶりに湖西線を撮ってみたいと思いまして、すぐにやって来た14時28分発・近江今津行に乗って隣の雄琴、もといおごと温泉へ (とゆーか、平仮名にする意味があるのだろうか……と。所詮そっち系の施設が多いという事実は変わらないのですから)。すると、さほど待たずしてやって来たのは……抹茶色化された117系!! (*^O^*)



 詳論するまでもなく、鉄ヲタ界の通念上において117系は関西急電色であるべきとされ、私も勿論急電色を今に伝えるその塗装は至宝の美があると思いますが、同時に私の頭の中には東急グリーンの記憶が刷り込まれているわけでして……ネットや雑誌で抹茶バージョン117系の登場を知って以来、撮影する機会を待ち焦がれていたのです。何と申しますか……これこそ池多摩線新7000系以上に青ガエルの再来ではないか?と思うわけでして……(細目ですのでダンディを通り越してヤンキーな青ガエルですが。笑)。というわけで、117系関西急電色原理主義な方には大変恐縮ですが、地域単色化されてもなお末永く活躍を続けようとしている117系の姿には心からエールを送りたいと思いますし、東急グリーン抹茶色化された京都の117系には今後もとりわけ熱い視線を注いで行きたいものだと思った次第です。
 しっかしまぁ……余りの暗さゆえハイビームが余りにも強力に点灯され、望遠ズームを広角側に引いても依然としてフレアっぽい画面になってしまい、レタッチでコントラストと彩度を出すのに苦労しました (泣)。後追いカットの方がフレアレスで圧倒的にキレイだという……。まぁそもそも、この余りにも暗い雨が悪いわけで、雨なんかキライです……。もっとも、雨に濡れてこそ緑と蛙は色味を増すというのも真理ですが (^^;)。


湖西雷雨地獄鉄 (2) 比叡山坂本ケーブル

2012-07-23 00:00:00 | 地方民鉄 (近畿)


 京都の街の北東に聳え、延暦寺が大伽藍を構えるだけでなく、新幹線や東海道線の車内からその姿が近づいて来ると「いよいよ京都が近いな」と思わせる点で関東民にもお馴染みの (?) 比叡山。そんな霊峰によじ登る日本最長のケーブルカーの起点・ケーブル坂本駅は、昨日アップしました通り、まさに聖域への入口に相応しく外観・内部ともに風格ある駅舎です。そして、自販機にて大型硬券の切符をゲットした後は (持ち帰り可能です) いよいよケーブルカーに乗り込みます♪ 車体は年始などの大量輸送に備えて大柄ですが、さすが京阪グループらしくそれなりにシックな雰囲気が漂うと思うのは私だけでしょうか? そしていよいよ発車ベルが! 平日の午後ということもあって、他の客は個人で参拝に来たおばさん、及び白装束の修行僧のみで、私を含め客は計3人というスカスカな状態で発車しました。
 まずは、終点・延暦寺の手前300mという至近にありながら、周りは全て鬱蒼と茂る原生林のみという秘境駅「もたて山」を目指します。 坂本ケーブルには他に、ケーブル坂本駅から300mの位置に「ほうらい丘」駅がありますが、この両駅で下車するためには乗車時に申告しなければならず、また両駅から乗車する場合には駅備え付けのインターホンで延暦寺駅に連絡しなければなりません。さもなくば、こんな誰も乗り降りしない秘境駅は断りもなく通過しまくりとなります (笑)。まぁ要するに、そんなイレギュラー過ぎる体験をしてみたくて途中下車するというわけです、はい (^^;;)。そして見方を変えれば、ほうらい丘・もたて山の両駅ほど、停まって頂くことに申し訳なさを感じる駅もそう多くないでしょう (笑)。



 全長2km、最大斜度333.3‰、所要11分 (途中停車すればもう少々プラス) という偉容を誇る坂本ケーブルは、その長さと険しさゆえにオソロシイのか……と思うとさにあらず。途中カーブやトンネルが随所に現れ、その都度見通しが遮られますので、例えば一直線の箱根登山ケーブルカーに乗ったときに感じるような凄まじい高度感による恐怖は全くありません (個人的に)。むしろ、ケーブルを支持する地上の滑車がカーブに合わせて思い切り傾けてあり、ケーブルが引張力余って突然滑車から外れたりしないのだろうか……という点で内心ヒヤヒヤ (^^;)。必ず乗り込む乗務員氏も、常に前方を凝視しながら滑車の状態に気を配っているように見えます。いっぽう周囲に眼をやれば、鬱蒼とした森、遥か下に岩を噛む谷川、そして琵琶湖の大展望が広がり、これは百聞は一見に如かずの素晴らしさ……。
 しかし楽しい気分はここまで。いよいよもたて山に到着し、さて「撮りケーブルカー」に興じるか!と思った矢先……目の前のもたて山駅に霧がかかり始めたという……(-_-;)。そして、木製の狭いホームに降り立つや否や、頭上でガシャーン!と雷鳴が轟き、やがてバシャバシャと雨粒が叩きつけ始めました……(@o@)。幸い、下山して来るケーブルカーを撮影した際には、一旦雨脚が弱まって霧の中をそろそろと下ってくる幻想的な光景を記録出来ましたが (1枚目)、余りにも暗く……EOS 5D MⅡを持参していなければ完全にお手上げ (-_-;;)。歌人・紀貫之の墓所へ向かう片道500mの山道など、いよいよ強まる一方の雷雨の中では行けるはずもなく……とにかく周囲での落雷がひどく、駅の低い屋根の下からは一歩も動けない状態となりました。まぁ個人的には山屋の心得がありますので、黙ってその場にとどまりやり過ごすしかないという諦観に達したわけですが、山に慣れていない人であれば、こんなところで猛烈な雷雨に見舞われたら絶対に小便チビるな……と。
 ともあれ、京都からほど近い究極の秘境駅・もたて山への初訪問&「撮りケーブルカー」は散々なものに終わり、ようやく延暦寺行のケーブルカーが到着したときには大いに安堵 (はっきりと雨粒が写っている2枚目の画像から、ヤバい雰囲気がお分かり頂けるかと存じます)。僅か300m先の延暦寺駅 (発車ベルの音も聞こえます。笑) まで登山道を歩くこともままならない状態だっただけに、坂本駅と同じく登録文化財に指定されている駅舎が見えてきたときには、まさに偉大なる衆生済度の大宮殿のように見えたのでした……(笑)。
 しかし駅から先、根本中堂へ向かう参道へは、凄まじい雨のため一歩も踏み出す気にはなりません。夕方からの用務を前に濡れ鼠になるわけには行かず……。というわけで、仏縁ゼロ! (滝汗) 坂本から乗った際に乗っていたおばさんが、途中まで前進しながらも凄まじい雨のため参拝を諦めて戻って来たとのことで、参道にはデカい山蛭がボタボタ落ちており、まさに足首に飛びかかってくる勢いだったとか……。やっぱヤブっぽい低山のベストシーズンは春と秋であり、もたて山での「撮りケーブルカー」&延暦寺参拝リベンジもそんな季節でなければならんなぁ、と思いつつ、最高に大正~昭和モダンな雰囲気の駅舎内を何枚かスナップして下りケーブルカーの客となったのでした。

湖西雷雨地獄鉄 (1) 江若バスのケーブル連絡便

2012-07-22 00:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 ♪われは湖(うみ)の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと……
 そんな名曲中の名曲「琵琶湖周航の歌」のメロディーが実に相応しい琵琶湖の西岸にはかつて非電化私鉄の雄・江若鉄道が走り、とりわけ夏の湖水浴シーズンには手持ちの気動車や客車をフルに動員した壮観極まりない光景が展開されたそうですが、国鉄湖西線建設のために補償金を得て廃止となってはや幾年。江若鉄道の名はバス会社・江若交通として引き継がれて今日に至っており、何ともシブい色の路線バスが湖西線主要駅からのフィーダ路線として駆け巡っているのは如何にも好ましい風景ですが、それでもやっぱりローカル私鉄的情景に思慕を覚える身としては、もしも江若鉄道が現存していればどんな光景が展開されているだろうか……と妄想せずにはいられません (笑)。現在のバスの塗装(青+薄緑+赤帯)を鉄コレのDCあたりに塗ってみようかという欲求が沸々と……(爆)。



 しかし妄想はあくまで妄想。現在の江若交通バスに乗った話を少々……(^^;)。
 いつも京都出張の際には、用務が基本的に夕方からの会議出席であることから、日中は鉄なエクスカーションをくっつけることが恒例となっているのですが、さすがに京都周辺の主要な鉄スポットは一通り行き尽くしつつあるな……と思っていた今日この頃。とはいえ思い出してもみれば、濃いぃケーブルカーの数々を見逃していたではありませんか……。そこで今回は、京阪グループが天下に誇る日本最長ケーブルカーである比叡山鉄道・坂本ケーブルに初乗車しまして、比叡山延暦寺を初訪問することにしたのでした。
 ただ坂本ケーブルの乗り場は、最寄りの京阪石山坂本線・坂本駅から700~800m離れているだけでなく、湖西線の比叡山坂本駅からは2kmほど離れているため、新幹線で京都入りし、湖西線でスムーズにアクセスしようとしますと、ケーブルカーの運行に合わせて30分間隔で運行されている江若バス・シャトル便のお世話になることになります。というわけで、比叡山坂本駅に降り立ちますと、薄いパープルの車体にケーブルカーの写真がラッピングされた専用車・日野レインボー (といってもほとんどコミュニティバス・サイズです ^^;) が登場~。この駅に出入りする他のバスが自転車積載ラック付エルガミオであるのと比べると異彩を放っています (いやそもそも、自転車ラック付きバスがゴロゴロしていること自体相当異彩を放っているわけで、神奈中の本厚木~宮ヶ瀬線かよ!と思った次第。とゆーか、ゴツい自転車ラックが付いているだけで、つまらん表情のエルガミオが豹変して精悍に見えますので、今後はエルガ・エルガミオには自転車ラックを標準装備して欲しいものですな……笑)。
 というわけで駅前を発車したバスは、僅か7~8分後にはもう終点のケーブル前に到着するという呆気なさですが、実はその途中の光景がなかなか絶品。京阪坂本駅界隈の街並みは、比叡山の登山口にあたり昔から栄えてきた名残を今に伝えていますし (以前京阪に乗った際にはすぐに折り返してしまったため何も見ていなかったという……^^;)、街を抜けると今度は鳥居をくぐり、日吉神社(全国津々浦々にある山王社の元締め)の緑あふれる参道を走るのもいとをかし。
 そんなこんなで到着したケーブル坂本駅は……ををっ!勿論キレイに改装されてはいるものの、基本的に開業当時の建物のままでレトロ♪ 国の登録文化財にも指定されているようです。そんなケーブル駅をバックに比叡山坂本駅に戻って行く江若バスを見送って、いよいよ大本命・坂本ケーブルに乗り込んだのでした♪ が、この後は悲惨な運命が……(@_@ つづく)。