~あらすじ~
印章店を細々と営み、認知症の母と二人、静かな生活を送る中年男性。ようやく介護にも慣れたある日、幼い子供のように無邪気に絵を描いて遊んでいた母が、「決して知るはずのないもの」を描いていることに気付く……。三十年前、父が自殺したあの日、母は何を見たのだろうか?(隠れ鬼)/共働きの両親が帰ってくるまでの間、内緒で河原に出かけ、虫捕りをするのが楽しみの小学生の兄妹は、ある恐怖からホームレス殺害に手を染めてしまう。(虫送り)/20年前、淡い思いを通い合わせた同級生の少女は、悲しい嘘をつき続けていた。彼女を覆う非情な現実、救えなかった無力な自分に絶望し、「世界を閉じ込めて」生きるホームレスの男。(冬の蝶)など、6章からなる群像劇。大切な何かを必死に守るためにつく悲しい嘘、絶望の果てに見える光を優しく描き出す、感動作。
※コピペ
~感想~
「自分の作品のミステリという側面ばかり取り上げられるのが嫌」「ミステリを離れて書くことはこんなに自由なのかと感じた」とすっかり高村薫化が進んでいる作者だが、今回も前作『球体の蛇』と比べるとミステリ味はわずかに上なものの、読者を騙してやろうという心意気はどこにもないヤマなしオチなしイミなしのヤオイブンガクである。
ヤオイ作品にネタバレなんて遠慮はせず書いていくが、まず冒頭の三作は「望まない性行為を強要された被害者が相手を殺す」という思考停止のように同じ展開で、本を投げ捨てたくなること請け合い。後半三作は「ちょっといい話」でまとめ上げ、読後感はまずまずで、各作品の微妙なつながり具合は『鬼の跫音』などよりも向上しているのだが、前回も言ったがこの程度の作品はいまの道尾秀介ならばモンハンでもプレイしながらあくび混じりに作れるものに過ぎない。あの傑作群を知っている身からすればこんなものが「この全六章を書けただけでも、僕は作家になってよかったと思います」などと胸を張って言える出来だとはどうしても思えないのだ。
勝手な持論だがいまの道尾秀介に欠けているのは読者に対する視点である。「ミステリとして」あれだけ優れていた作品群をものしてきた作者にこの程度の「ミステリとして」十全で無い作品を自信満々に提出されてファンは満足できるだろうか。道尾作品で目の肥えた読者は、この『光媒の花』程度の仕掛けに騙されはしないし、意外性は感じない。騙されるのは作中の人物だけである。
一例を挙げれば「春の蝶」に登場する一人の少女。彼女は精神的な病で耳が聴こえないのだが「最初は本当に聞こえなかったのだが実は後で治っていた」と明かされる。とんだ子供騙しである。しかも序盤で「嘘ではなく本当に聴こえないと診断された」としっかり伏線も張ってあるのだ。
こんなことを「ミステリ」でやったならばアンフェアもいいところだ。たしかに作者の言うとおり「ミステリとは違い自由」なブンガクでしか「耳が聴こえません→病院でも本当だと診断されました→でも実は治ってました」なんて茶番は許されないだろう。
こんなものを本当に自由だと感じているのなら。こんなものを書くために作家になりたかったのなら。
もう、道尾秀介は終わっている。
10.5.10
評価:★☆ 3
印章店を細々と営み、認知症の母と二人、静かな生活を送る中年男性。ようやく介護にも慣れたある日、幼い子供のように無邪気に絵を描いて遊んでいた母が、「決して知るはずのないもの」を描いていることに気付く……。三十年前、父が自殺したあの日、母は何を見たのだろうか?(隠れ鬼)/共働きの両親が帰ってくるまでの間、内緒で河原に出かけ、虫捕りをするのが楽しみの小学生の兄妹は、ある恐怖からホームレス殺害に手を染めてしまう。(虫送り)/20年前、淡い思いを通い合わせた同級生の少女は、悲しい嘘をつき続けていた。彼女を覆う非情な現実、救えなかった無力な自分に絶望し、「世界を閉じ込めて」生きるホームレスの男。(冬の蝶)など、6章からなる群像劇。大切な何かを必死に守るためにつく悲しい嘘、絶望の果てに見える光を優しく描き出す、感動作。
※コピペ
~感想~
「自分の作品のミステリという側面ばかり取り上げられるのが嫌」「ミステリを離れて書くことはこんなに自由なのかと感じた」とすっかり高村薫化が進んでいる作者だが、今回も前作『球体の蛇』と比べるとミステリ味はわずかに上なものの、読者を騙してやろうという心意気はどこにもないヤマなしオチなしイミなしのヤオイブンガクである。
ヤオイ作品にネタバレなんて遠慮はせず書いていくが、まず冒頭の三作は「望まない性行為を強要された被害者が相手を殺す」という思考停止のように同じ展開で、本を投げ捨てたくなること請け合い。後半三作は「ちょっといい話」でまとめ上げ、読後感はまずまずで、各作品の微妙なつながり具合は『鬼の跫音』などよりも向上しているのだが、前回も言ったがこの程度の作品はいまの道尾秀介ならばモンハンでもプレイしながらあくび混じりに作れるものに過ぎない。あの傑作群を知っている身からすればこんなものが「この全六章を書けただけでも、僕は作家になってよかったと思います」などと胸を張って言える出来だとはどうしても思えないのだ。
勝手な持論だがいまの道尾秀介に欠けているのは読者に対する視点である。「ミステリとして」あれだけ優れていた作品群をものしてきた作者にこの程度の「ミステリとして」十全で無い作品を自信満々に提出されてファンは満足できるだろうか。道尾作品で目の肥えた読者は、この『光媒の花』程度の仕掛けに騙されはしないし、意外性は感じない。騙されるのは作中の人物だけである。
一例を挙げれば「春の蝶」に登場する一人の少女。彼女は精神的な病で耳が聴こえないのだが「最初は本当に聞こえなかったのだが実は後で治っていた」と明かされる。とんだ子供騙しである。しかも序盤で「嘘ではなく本当に聴こえないと診断された」としっかり伏線も張ってあるのだ。
こんなことを「ミステリ」でやったならばアンフェアもいいところだ。たしかに作者の言うとおり「ミステリとは違い自由」なブンガクでしか「耳が聴こえません→病院でも本当だと診断されました→でも実は治ってました」なんて茶番は許されないだろう。
こんなものを本当に自由だと感じているのなら。こんなものを書くために作家になりたかったのなら。
もう、道尾秀介は終わっている。
10.5.10
評価:★☆ 3