「周羣伝」に曰く。
蜀の張裕(ちょうゆう)も空の様子から予言をするのを得意とし、周羣(しゅうぐん)よりも才能があった。
だが219年、劉備が漢中を攻めるにあたり「必ず負けます」と言い外れてしまった。
張裕は劉備に仕える前に軽口で不快にさせたり、「220年に後漢は終わり、222~223年にあなたも亡くなる」と占っていたため、恨まれていた。
そこで漢中攻略の予言が外れた責任を問われとうとう処刑された。
死後、後漢の滅亡と劉備の死は的中した。
張裕は人相占いにも長けており、鏡を見るたびに自分の顔に刑死する相を見てしまい、激怒して鏡を割っていたという。
蜀の張裕(ちょうゆう)も空の様子から予言をするのを得意とし、周羣(しゅうぐん)よりも才能があった。
だが219年、劉備が漢中を攻めるにあたり「必ず負けます」と言い外れてしまった。
張裕は劉備に仕える前に軽口で不快にさせたり、「220年に後漢は終わり、222~223年にあなたも亡くなる」と占っていたため、恨まれていた。
そこで漢中攻略の予言が外れた責任を問われとうとう処刑された。
死後、後漢の滅亡と劉備の死は的中した。
張裕は人相占いにも長けており、鏡を見るたびに自分の顔に刑死する相を見てしまい、激怒して鏡を割っていたという。