医者と裁判官と鳥インフルエンザにはかかりたくない。徳島の腎臓移植はひどいね。一昔前、手術をするときに百万円包んでよろしくと医者に渡さないと何をされるか分からないと聞いた。今では相場も上がっているだろう。そうしないとメスさばきもおぼつかない新米の助手の練習用にまわされるか、岡山の病院のように悪くも無い腎臓と持っていかれる。
実は昨日江戸時代の「世事見聞録」というのを読み返した(岩波文庫、著者武陽隠士)。色々な職業かたぎを書いた随筆だが、医者の批評がある。まったく現代とかわらない。
まわりに医者が多いからよく分かる。だからオイラは医者にならなかったのだ。医者にはオイラの分類によるとつぎのようタイプがある。
A 頭がよくて倫理観があって好奇心がある。このタイプは当然全体の医者の0.1パーセントもない。好物は難病奇病である。チャレンジングだからである。難病の患者をうそのように快癒させた時ほど興奮することが無いとはオイラの親類のえらい医者の言葉である。こういう知的好奇心を満足させ、難しい数学の問題を解くような知的快感が味わえない職場は見向きもしない。金銭にも無関心である。
B 身を焦がすような功名心がある。頭は悪い。こういう医者は大学にも町医者にも非常に多い。難しい技術に挑戦したがる。しかし、アタマが悪く、技術がないから患者を殺す。超一流の大学病院以外にはこの手の医者が非常に多いから、大学病院にいくのは気をつけたほうがよい。能力にあまる難病を扱いたがるほか、新しい技術、新しい薬を使いたがる。患者を実験台にするのである。そして、一つ論文を物してやろうと身の程知らずの野望をいだく。患者はいい迷惑である。功名心が強いから勿論カネは大好物である。私立のJ医大で出来もしない内視鏡の手術をしたような連中が多い。
C カネが大好物である。アタマが悪いことは自覚しているからBのようなことはしない。
このタイプも非常に多い。BとCで95パーセントを占めるだろう。
なぜ、こういうことになるかというと、前にも書いたが医者は汚わい屋なのだ。人体の汚わい屋である。病気というのは人体の汚わい化にほかならない。そういうのを毎日あつかっていると、金を溜めることだけが生きがいになる。毎日つらい思いをする女郎がカネに執着するようなものである。
(注)汚わい屋というのは死語化しているから注釈を加えると糞尿処理業者のことである。水洗便所が普及する前は都会の民家の便所から糞尿を汲み取り田舎に運んで畑の肥料として農家に売る商売である。
汚わい屋の反動で金に執着するわけだが、まれに文化的活動に救いを見出す医者がいる。医者にときどき美術愛好家とか森鴎外みたいな作家がいるのはそのせいである。
いい医者はわずかにいるが、そういうのにめぐり合える確率は皆無にちかい。嗚呼