東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

いじめ(3)

2006-11-20 20:09:13 | 社会・経済

過去と比較する統計がない。おそらくないであろう。だからはっきりと云えないが、こらえ性がない。耐性の無さが最近の児童には甚だしい。いじめで自殺するというのも一種の「切れる」現象だろうが、どうしてこうも簡単に折れてしまうのか。神経がまいってしまうのか。

近頃の子供は幸せだ。それは町で母親に連れられた幼児の笑顔を見ても感じる。たしかに平和だ。経済的にも恵まれている。他の国に較べて一番かわいらしく見える。だから順調にいけばいいが、思いがけない困難にぶつかると呆然としてしまうのだろう。信じられないのだ。「諸国民の善意を」信じていたのが、現実にぶつかって、なす術をしらないのだ。

現在のこどもは多数のフィクションを教え込まれて育つ。本当に必要なことは教えられない。要するにバーチャルな世界に生きている。現実にぶつかり、自分が被害を受ける側になると何がなんだか分からなくなってしまう。彼らの教え込まれてきたフィクションではいじめなどということはありえないことなのだ。だから現実に遭遇すると、自分に責任があると思ってしまう。有りえないことが起こるということは自分に原因があると思ってしまう。

戦後教育を受けてきた大人も同じだ。北方の蛮族に口汚く罵られると泡をくって村山談話やら河野談話を口走る。

これは日本的な現象だ。このネガ(あるいはポシ)が、アメリカの学校で頻発する銃乱射による大量殺人だろう。いじめられた時に相手が悪いと断定するのがアメリカ、自分が悪いと思うのが日本というわけだ。