東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

事実と政策の間

2006-11-12 11:08:28 | 社会・経済

今日日曜の産経三面に石平という中国人評論家の寄稿がある。「核論議是か非か、議論封殺 最悪の選択」というものだが、短いなかに要領よく論点をまとめている。内容は現物を見ていただくとして蛇足を加えないが、NHKの国際放送に至極もっともな命令を出すことに言論弾圧の目論見を邪推する与野党のやからや、マスコミの大部分が国の政策の根幹に関わる問題への議論を封殺して現状を維持しようとする態度をとるのは阿呆としか見えない。

日本が唯一の被爆国であるというのは事実である。

核廃絶が最良の結果であるのは自明のことである(反対するものはいない)。

日本の非核三原則というのが時代の産物であり、つねに見直されるのは当然である。国の政策というものは常に行き届いた議論と点検に基づいて練り上げられるべきものだからである。とくに冷戦が終わり、北朝鮮が核保有を主張したり、世界情勢がまったく一変した状況で非核三原則の点検がされるのは当然である。その上、冷戦が終わったのに中国は核ミサイルの照準を日本に合わせたままである。アメリカは照準から外しているというのにだ。

非核三原則を守らなければ核廃絶を訴えられないのか。そんなことは無い。

それなら非核三原則主義が核廃絶運動の主導者としての地位を保証するのか。そんなことは無い。世界の現状を見よ。

非核三原則を取ることが核廃絶運動の資格を獲得する条件になるのか。あるいは廃絶運動で世界からリーダーとして尊敬されるのか。一度各国に聞いてみるがよかろう。

百歩譲って非核三原則を守ることが運動に有利としよう。しかし国民の生命と財産が守れるのか。「諸国民の善意を信ずる」のかね。

政治家の責任はまず国民の生命と財産を守ることである。理想を語ることも結構であるが、学者も評論家もマスコミも、そして大衆も理想をかたる。政治家、行政当局の第一の責任は国民の生命と財産を保全する措置をとってから(最大限譲歩して措置を取りながら)理想を語ることである。

日本は唯一の被爆国である。その残虐さと悲惨さを知っている。だからこそ核攻撃をさせてはいけない。政策のプライオリティーは核攻撃をさせない抑止力を持つことである。抑止力とは必ずしも核を持つことのみではない。しかし丸腰で強盗を説得できるなどと、国民の生命と財産を守る責任がある人間が主張してはいけない。国民はなんのために税金で政治家を養っているのか。国民の生命と財産を守ってもらうためだろう。本末転倒してはいけない。

核攻撃を受けた国こそが一番核保有の権利を持っているといえる。しかし、そこまでいかなくても真面目に真剣に核論議をすることが石平氏のいうように抑止力にもなる。ポーカーで最初から手の内を明かす馬鹿はいない。

二階君でも鳩山君でもいい。唯一の被爆国という事実から、冷静な議論がどのような結論を導き出すか国民を説得したまえ。私は核保有とか持込が唯一の結論だとはいわない。まだ議論はつくされず、その議論が国民の判断のためにに開示されていないのだがら判断のしようがない。君たちの主張は前提(事実)から証明抜きで結論(政策)をおしつけるものである。政治家の責任を果たしていない。給料を全額国民にかえしなさい。生活資金は北京から貰えばよかろう。