少し毛色を変えて信じない人には無縁な話をしよう。宗教と迷信は信じない人には縁がないのだが、これは迷信のはなし。徒然(トゼン)に耐えかね久しぶりに姓名判断をした。
当たるも八卦、当たらぬも八卦というのが姓名判断。新聞を読む楽しみは(事故、事件に遭われたかたには不謹慎で申し訳ないが)、事件記事、事故報道の当事者の名前を見ることである。いつごろから妙な癖がついたのか、もうおぼえていないほど昔からのはなしになる。
これが迷信にしてはよく当てはまる。事件の当事者には加害者と被害者がいる。事故も交通事故などでは加害者と被害者がいる場合がある。姓名判断の凶意は被害者の場合にはかなりの確率であたる。加害者の場合にはそれほどでもない。これも昔からどうしてだろうと面白く思っている。
連日テレビで騒ぎ立てているセレブ妻が夫を三枚に捌いたという事件だが、夫の画数を調べると凶数が三つもある。出てくる数字は17、26、43、24であるが、最初の三つは凶意が強い。特に17と43はそうだ。これだけ揃うことはあまりない。どうしてこういう数字が出てくるかは姓名判断の本を読んでね。
24と言う数字には凶意がないが、お金に関係が深い。かれは外資系の会社のトレーダーかなにかでバリバリやっていたと言うからこれもあたりだ。これほど古典的な姓名判断があたるのも最近はめずらしい。
わたしの説では(大きく出たね)、最近は画数はあまり当たらなくなっている。それよりも使われている漢字の意味とかTPOに問題がある場合のほうが多い。最近の若い親は子供に変な漢字を使った不自然な名前をつける。神様や天上人にふさわしい漢字を子供につける。子供が名前負けをするんだろうね。一例をあげれば崇高の崇という字などは地下(ジゲ)の子供がつけるのは好ましくない。
それと変な漢字を並べて西洋人の名前のように発音させる。ハイカラ好みというのだろう。これは勿論よくない。今の若い親は画数に意外にこだわる。画数さえよくなれば、どんな不自然な字を持ってきてもいいというのだろうが、これは絶対に避けるべきである。凶魔を召喚することまちがいない。ようするに、昔ながらの平凡な名前が一番いいのだ。