哲学は神学のはした女(端女)とは中世ヨーロッパの力関係を端的に現す言葉だったかと記憶するが、、
徒然に耐えかねふと書店で手に取ったちくま新書「貫成人、哲学マップ」。大陸系現代哲学のジャーゴン(たわごと)をどう料理してあるか興味があった。もともと現象学が専門らしいから、20世紀以降の記述が半分近くを占めている。しかしいずれにせよ100ページあまりにまとめたのは省エネルギー(読むほうの)の魅力がある。それでも専門のことだから、神経質になるのか19世紀までと20世紀以降で記述の精粗のギャップが大きいのが気になる。
読後冒頭の「神学のはした女」を思い出したが、20世紀哲学は諸学のはした女だな、ということ。まず心理学のはした女、現象学なんか。社会学のはした女、ハイデガー、19世紀のマルクスなんかもそのはしりだ。構造主義はかなり汎用性があるが、文化人類学、心理学のはしためか。実存主義はまあ心理学のはしためだ。19世紀までさかのぼるとキルケゴール(むかしはカナで書くとキエルケゴールだったような記憶があるが)、やニーチェははしためではないが、哲学というよりか思弁的心理学というほうが適切だろう。
ウイーン学派やアングロサクソン系の分析哲学などは科学のはしため、なかんずく物理学などの自然科学に対してだな。それにしてもマルクスやフロイトの哲学への影響が云々されるのは分からない。マルクスは主義者だからそれなりの効用があるのだろうが、フロイトのような似非科学が思想的な、思弁的な影響力を持っていると聞くと信用出来なくなる。
ひとつ問題なのは諸学のほうではあまりはしためのサービスを多として認めていないようなことだ。中世キリスト教神学には哲学は相当な貢献をしたが現代では哲学の諸学へのフィードバックはあまりないようだ。
ドゥルーズの複雑適応系というのは18世紀アダムスミスの「見えざる神の手」という言葉を彷彿とさせる。また、「ゆらぎ」とか「流動性」という言葉は小泉さんや竹中さんの改革やら自由化を連想させる。それを補強するほどの影響力はないだろうが、所詮人間の考えるところは似るということだろう。これも構造主義かな。わたしの言葉で言えば哲学とはコスプレということになる。じつはこの本のタイトルを見たときに予想したのは「たくみなコスプレ解説本」だったんだが、あてが外れたようだ。