東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

日曜日の人相見

2007-12-02 09:42:38 | 社会・経済

日曜朝のワイドショーは一週間分の出来事をまとめるから色々な有名人の顔を見ることが出来る。

さて、本日の顔たちのなかでにわかに凶兆を示し始めたのが福田首相である。恐ろしいまでの切羽詰った狂相である。辞任が近いか、本当に狂うのか。


謝罪は日本文化ではない

2007-12-02 09:33:14 | 社会・経済

今朝もまだ朝青龍と亀田の謝罪「事件」をネタにしている。「謝ったから許す」というのが日本文化、伝統だというのが一般的のようだが本当かね。

オイラは日本文化にも伝統にもずぶのシロウトであるが、テレビのコメンテータたる文化人よりかは詳しいと思うので一言。

相撲は武道だそうだ。わたしは?である。興行でしょう。さて、武道とする。伝統ある日本武道である。日本武道で謝ったから許すということがあるのか。武断と言う言葉がある。

たとえば武断政治の江戸時代。誤りを犯せば武士には二つの道しかない。斬罪か自裁である。切腹することが面子を保ちつつ行える謝罪の最高にして唯一の道である。これが私の理解する武道の精神である。もっとも軽くても隠居、お家取り潰しである。かくして粛然、凄然たる武道がおこなわれる。これ以上武道を軽んじてもらいたくない。

「謝ればゆるす、謝らなければどこまでもつるし上げる」というのは中共の「人民裁判」とおなじだ。日本の庶民はいつから紅衛兵になったのか。オイラにはかえって無慈悲に思われる。

もし、伝統とか、武道とかいうなら相撲協会や文部科学省は朝青龍に峻厳な厳罰を加えるべきである。それが出来ないと言うのは朝の貫録勝ちである。27歳の若者にしてはアッパレというほかない。

日本の伝統は「和」だという。和は日本の歴史に首尾一貫して流れている文化ではない。その位の教養、知識はもってもらいたい。日本歴史では間歇的にお太子(聖徳太子)ブームが起きる。和だけで日本文化が集約されると思ってはならない。

ちなみに、江戸時代の知識人、すなわち国学者、儒者の聖徳太子に対する一致した評価は極悪人(親族殺し、神道破壊の)である。