ちょいと訂正。日本政治の無停電電源装置は霞ヶ関の官僚だね。政治家が脳死状態になってもガーガーと不愉快な音を立てて回る永久バッテリーが官僚機構だ。
実質的に日本の政治はこのおんぼろの無停電電源装置で長いこと動いている。何時からかな、なんてね、考えてみた。始まりは田中角栄だろう。あいつは官僚ヨイショ内閣だったな。屠者の家に生まれて小学校しか出ていない田中角栄はとにかく官僚に取り入った。官僚を使いこなした政治家だなんていうが、逆だ。官僚に三拝九拝したのだ。利用し利用されたのね。
その後の竹下は田中の亜流だ。それからさらに長い間竹下がキングメーカーになって、情けないロボット首相が何人も続いた。猛烈に官僚お任せになったのは、小沢一郎たちが無方針な野党野合の連立内閣を作ってからだろう。
小泉純一郎になってから、人は政治が主導権を取り戻したと錯覚したが、そうではない。かれは空弾しか撃たなかったんだ。唯一実弾を撃ったのは郵政民営化だね。それも小泉がもと大蔵官僚だったから、大蔵省の官僚を代弁しただけだ。
官僚というのは、召使だから理念も主体性も全体の統率力もない。せめてものベンチマークは仕事の効率、生産性だが、これが民間の百分の一以下だ。
プログラムにたとえてみよう。ジョブがある。これにプログラムを書く。プロフェッショナルがかくと100行のプログラムだ。官僚が書くとこれが1万行のプログラムになる。渡辺行革大臣がんばってください。官僚なんてのはバグだらけのプログラムだ。プロが書くすっきりとしたプログラムの百倍も長い非効率な低脳プログラムである。