東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

フィクティシアス・レベルとしての給料:極点を探る3

2012-02-07 20:32:08 | 社会・経済

世界はドルベースで比較するからおかしなことが起こる。1ドル360円から75円になればドルベースでは給料は五倍になるわけだ。世界中から標的にされる。無理難題を云い募られる。

自由化だとかなんだとかの圧力で責められるのもこのためだ。もし日本が極貧国だったら、或いは一人あたりのGDPが今の半分か三分の一以下だったら、関税障壁なんて言いがかりをつけてくる国はいない。

そして日本の実力は75円なんて無いんだから固定相場でせいぜい1ドル200円にすればいい。

どうするか、円ベースの給与水準を半分にすればいい。最大の障壁はなにか。住宅価格だ。これがフィクティシアスなんだね。親や祖父が田舎の田んぼの泥の中をはいずりまわっていた連中が皆持家だとか、マンションを買う。

給与に見合って土地の値段がこれまたフィクティシアスなんだね。いわば日本は土地本位制度の資本主義なんだね。

だから給与を半分にするとローンを組んでいた連中も困るが、それよりも金融機関が軒並み倒れる。

三すくみだか四すくみだか知らないが、そういうわけでにっちもさっちもいかないフィクションの上に暮らしているわけ。

ガラガラポンとかシャッフルというが、まずこのすくみ状態に麻酔なしの外科手術をしないことにどう仕様もないのではないか。

これが一つの極点、むかし資本主義が成長期にはこういう荒療治が行われていたらしい。いまはすぐに馬鹿の一つ覚えでセーフティネットなんていうからジンセンとして手をこまねいているだけだ。

もっともこれは一つの極点とは言い条、考慮しなければいけないことだ。