東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

外資系夫への篤き友情

2007-01-18 23:11:39 | 社会・経済

週刊文春見た? 最近は四誌(週刊文春、週刊新潮、週刊ポスト、週刊現代)のなかでは文春がジャーナリスティックなセンスがいい。今週の見出しにつられて買った。例のバラバラ夫の話だ。

どうもぱっとしない。新聞やテレビは第一報を荒っぽく伝える。これは性格上仕方が無い。それをフォローするのが週刊誌だが、新聞を見て報道で抜けているのが、友人の活躍の詳細だ。

カオリ容疑者が逮捕される前から、「友人」が少年探偵団を作ってマンションの監視ビデオを入手して分析していたという。その情報提供が警察の捜査を大いに助けたそうだ。被害者は友人に恵まれたな、というのが第一の感想。どういう友人のだろうというのが第一の疑問。

それとこれは捜査に役立ったかどうかしらないが、「友人」がカオリ容疑者と電話で頻繁に連絡しあった内容を録音したというのが盛んにテレビに流された。こっちのほうは文春に出ている。「友人」というのは旅行会社の人らしい。三橋夫婦共通の知人らしいが、どうもはっきりしない。いずれにせよ、マンションのビデオを分析した「友人」とは別人のようだ。この携帯電話の録音のほうは「友人」がテレビに売り込んだらしいね。警察に協力したかどうかは文春の記事からはわからない。警察におこられたということは書いてある。どうして怒られたのかな。

問題は監視ビデオのほうだが、一部の報道で被害者の勤める会社の同僚だというのがあったと思うが、ありうる話だ。その場合は友情ではありえない。ぎすぎすした競争関係にあるのが外資の社員同士だ。わたしの推測は友人ではなくて外資系会社の「内務班」ではないかというものだ。

外資系は社員が社内データを持ち出して他社に移ることを非常に警戒する。日本の会社もすこし見習えば顧客の個人データの流出も減るだろう。閑話休題、急に何日も欠勤したので『内務班』が活動を開始したと言うのがまず間違いのないところだ。その辺が取材してあるのかな、と文春を買ったのだがなにもない。とろいね。

本当に被害者への友情から監視ビデオを分析したり、携帯電話で容疑者に鎌をかけて長時間録音したりという作業を無償でしたならば麗しい友情といわねばならない。もっともこの録音した人は警察ではなくてまずマスコミ各社に売り込んで荒稼ぎをしたらしい。


反社会的考察

2007-01-18 11:35:53 | 社会・経済

不二家の騒ぎが大変だ。しかし考えてみると妙だ。賞味期限が切れたのを売っても腹痛はおきないらしい。ということは賞味期限というのはいい加減な設定なのか。勿論安全サイドのアローワンスをとっていらっしゃるのだろうがね。

賞味期限というのは役所が決めるのか、業界団体が決めるのか。各社が独自に決めるのか。その辺を報道せい。判断のしようがないではないか。不二家が性悪だとすればマスコミは大馬鹿だ。もし自分の会社で決めたことを破っているらとんでもない話だ。

こういう時になるとマスコミは自分のことは棚に上げて居丈高になる。役所もふんぞり返って業者を呼びつけたりする。嫌な映像だね。みのもんたも革命裁判所判事にでもなったつもりで偉そうなことをいっている。イズエイの衛生状態はどうだね。

言わなくても分かるとおもうが、それでも言われる先にいっておくが、不二家はとんでもない会社だ。ねずみがいたり細菌が多かったり。その上で言っておる。賞味期限の問題はまた不二家だけの問題ではない。

通りすがりの通行人として不二屋のイメージを言っておこう。あまり菓子は買わないのでわからない。ごくまれに不二家のレストランに入ったことがある。全体に暗くて嫌な感じがする店だった。料理がなんだかぬるいのも不思議だった。ハンバーグなんて、どんな場末の食堂でも熱くてさわれないようなのを出すのにどうしてあんなにさめたようなのを出すのかなと思ったことがある。


徒然(トゼン)に耐えかねNO.x

2007-01-13 20:45:54 | 社会・経済

哲学は神学のはした女(端女)とは中世ヨーロッパの力関係を端的に現す言葉だったかと記憶するが、、

徒然に耐えかねふと書店で手に取ったちくま新書「貫成人、哲学マップ」。大陸系現代哲学のジャーゴン(たわごと)をどう料理してあるか興味があった。もともと現象学が専門らしいから、20世紀以降の記述が半分近くを占めている。しかしいずれにせよ100ページあまりにまとめたのは省エネルギー(読むほうの)の魅力がある。それでも専門のことだから、神経質になるのか19世紀までと20世紀以降で記述の精粗のギャップが大きいのが気になる。

読後冒頭の「神学のはした女」を思い出したが、20世紀哲学は諸学のはした女だな、ということ。まず心理学のはした女、現象学なんか。社会学のはした女、ハイデガー、19世紀のマルクスなんかもそのはしりだ。構造主義はかなり汎用性があるが、文化人類学、心理学のはしためか。実存主義はまあ心理学のはしためだ。19世紀までさかのぼるとキルケゴール(むかしはカナで書くとキエルケゴールだったような記憶があるが)、やニーチェははしためではないが、哲学というよりか思弁的心理学というほうが適切だろう。

ウイーン学派やアングロサクソン系の分析哲学などは科学のはしため、なかんずく物理学などの自然科学に対してだな。それにしてもマルクスやフロイトの哲学への影響が云々されるのは分からない。マルクスは主義者だからそれなりの効用があるのだろうが、フロイトのような似非科学が思想的な、思弁的な影響力を持っていると聞くと信用出来なくなる。

ひとつ問題なのは諸学のほうではあまりはしためのサービスを多として認めていないようなことだ。中世キリスト教神学には哲学は相当な貢献をしたが現代では哲学の諸学へのフィードバックはあまりないようだ。

ドゥルーズの複雑適応系というのは18世紀アダムスミスの「見えざる神の手」という言葉を彷彿とさせる。また、「ゆらぎ」とか「流動性」という言葉は小泉さんや竹中さんの改革やら自由化を連想させる。それを補強するほどの影響力はないだろうが、所詮人間の考えるところは似るということだろう。これも構造主義かな。わたしの言葉で言えば哲学とはコスプレということになる。じつはこの本のタイトルを見たときに予想したのは「たくみなコスプレ解説本」だったんだが、あてが外れたようだ。


渋谷バラバラ夫の凶意

2007-01-12 20:32:03 | 社会・経済

少し毛色を変えて信じない人には無縁な話をしよう。宗教と迷信は信じない人には縁がないのだが、これは迷信のはなし。徒然(トゼン)に耐えかね久しぶりに姓名判断をした。

当たるも八卦、当たらぬも八卦というのが姓名判断。新聞を読む楽しみは(事故、事件に遭われたかたには不謹慎で申し訳ないが)、事件記事、事故報道の当事者の名前を見ることである。いつごろから妙な癖がついたのか、もうおぼえていないほど昔からのはなしになる。

これが迷信にしてはよく当てはまる。事件の当事者には加害者と被害者がいる。事故も交通事故などでは加害者と被害者がいる場合がある。姓名判断の凶意は被害者の場合にはかなりの確率であたる。加害者の場合にはそれほどでもない。これも昔からどうしてだろうと面白く思っている。

連日テレビで騒ぎ立てているセレブ妻が夫を三枚に捌いたという事件だが、夫の画数を調べると凶数が三つもある。出てくる数字は17、26、43、24であるが、最初の三つは凶意が強い。特に17と43はそうだ。これだけ揃うことはあまりない。どうしてこういう数字が出てくるかは姓名判断の本を読んでね。

24と言う数字には凶意がないが、お金に関係が深い。かれは外資系の会社のトレーダーかなにかでバリバリやっていたと言うからこれもあたりだ。これほど古典的な姓名判断があたるのも最近はめずらしい。

わたしの説では(大きく出たね)、最近は画数はあまり当たらなくなっている。それよりも使われている漢字の意味とかTPOに問題がある場合のほうが多い。最近の若い親は子供に変な漢字を使った不自然な名前をつける。神様や天上人にふさわしい漢字を子供につける。子供が名前負けをするんだろうね。一例をあげれば崇高の崇という字などは地下(ジゲ)の子供がつけるのは好ましくない。

それと変な漢字を並べて西洋人の名前のように発音させる。ハイカラ好みというのだろう。これは勿論よくない。今の若い親は画数に意外にこだわる。画数さえよくなれば、どんな不自然な字を持ってきてもいいというのだろうが、これは絶対に避けるべきである。凶魔を召喚することまちがいない。ようするに、昔ながらの平凡な名前が一番いいのだ。


本年のNHKネタ第一号

2007-01-11 18:31:10 | NHK

本日の報道によれば、菅総務相は『NHK受信料を2割前後値下げすることを前提に、支払いを義務化する放送法改正案を通常国会に提出する』方針だそうだ。

安倍内閣の閣僚には見掛け倒しのが多い。伊吹文部大臣や中川政調会長も佐田元大臣やなんとかいう農林水産大臣(松岡だったかな、間違っていたらごめんなさい)と同様に事務所経費疑惑があるそうだ。どうも開いた口がふさがらない。菅総務相の発言も話は違うが安っぽさではがっかりする話の一つだ。

特に異様なのは2割料金を削減とあまりにも具体的なことだ。一体どういう検討をしたのか。単なる思い付きなら数字など軽々に言うべきではない。具体的に検討した結果であるなら、それも一緒に発表すべきだろう。インドネシアに金魚のウンコみたいにくっ付いていった新聞記者がアドバルーン掲揚の御用を勤めたのだろうが、「2割」の根拠を聞くこともしないのかね。

もちろん、当ブログで再三主張している通りNHKには解散、精算というベストなオプションがある。その辺も検討したのかね。存続させる根拠があるのか。どうも安っぽい話で辟易する。

2割料金を下げれば強制徴収を認めると言う論拠は何なんだい。

ところで一連の事務所経費疑惑だが、野党は追及出来るのかね。野党にも蔓延している悪風だとするとへっぴり腰になるだろうね。今度の国会を楽しみにしているよ。


小泉前首相の精神分析

2007-01-06 22:18:11 | 社会・経済

まず断っておくが「精神分析」とは言葉どおりの一般的意味であって、東欧からウイーンに逃れてきたユダヤ難民の子であるフロイトのユダヤ教に対する背教者としての原罪意識、なかんずく「父性=幼児に対する*去勢権・恐怖」の強迫観念(潜在的な)に依拠する珍説「いわゆる精神分析・サイコアナリシス」ではない。したがって、リビドーとも肛門性愛とも口唇性愛ともまったく関係ない。  *割礼権=擬似去勢権(みなし去勢権)

さて、今にして思うと小泉さんは首尾一貫した堂々とした男だった、かもしれない。弁解しない男、小泉氏になりかわり釈明する。間違っていたら小泉純一郎さんご指摘ください。

小泉さんには皇室尊崇の念はうすい。また、基本的に明治天皇に始まる戦前の日本の近代化に醒めた目を持っていたのではないか。小泉さんはまた東条らを戦犯と認識すると国会で答弁している。したがって、明治神宮にこれまでの首相とことなり参拝せず、靖国神社に参拝したのは彼からすれば筋が通っている。

小泉さんは靖国の神々を軍神としてではなくて、日本近代化の犠牲者として鎮魂したいという信条ではなかったかということだ。東条元首相ら戦犯が祀られているからと敬遠する気持ちよりかも二百数十万の一般兵士の犠牲を悼む気持ちではなかったか。そういう意味ではシナの歴史解釈と近い。あるいは戦勝国アメリカともこの点では近い。この辺は問題をこじらせたシナ、半島の責任は大きい。実際問題として祀られている1ダース前後のいわゆる戦犯をシングルアウトして数百万の戦死者の追悼を締め出すのは不条理というものであろう。共同の宗教施設というものはそういうものである。個人の墓ではない。いろいろな人が一緒にまつられているのだ。


トラックバック事情

2007-01-04 19:53:32 | 社会・経済

TB(トラックバック)がついたというので見に行くとわいせつなページが出てくる。ダイエットの宣伝画面が現れる。怪しげな自然食品の広告が出てくる。そういうのがあるので、公開する前によく確かめることにした。そうしないと、せっかくわたしのブログに来てくれた人が怪しげなサイトに迷い込む。場合によっては仕掛けがあってワンクリック詐欺みたいなのに引っ掛かるかもしれない。TBというのは結構気を使う。

面倒くさいからTBは禁止にしたが、OCNのシステムが甘いのか時々禁止を突破してTBがつく。大体胡散臭いサイトが多いが、時にはまともなサイトも突破してくる。意図的にハッキングするようなブログとも思われないから(調べてみると)、なにかの具合で簡単に禁止の設定を通り抜けるものとみえる。禁止してあるから不公平になるが、そういうのは公開するときがある。禁止していたことを自分で忘れているんだね。先月にも一つあった。

それと困るのはなぜTBをつけたのか分からないのがある。受け付けていた頃はそのブログの記事を該当ページだけではなくて数個も見たりした。それでも分からない。結構疲れる。それでTBは建前上受け付けないことにしてある。OCNのシステムを突破してくるのはどうしようもないが。

コメントは受け付けている。公開するかしないかは内容による。そのかわり、メールアドレスは要求しない。メールアドレスを必須にすると書きにくいよね。自分の場合を考えてもね。反論もこりゃーうまいねと感心すれば公開するつもりだが、そういうのはないな。

それとOCNではコメントにたいしてブログ主の返事はどうしたらいいか分からない。よそのプロバイダなんかを見てると読者のコメントの後にブログ主のコメントがつづいていたりするがOCNでも出来るのかな。わたしの場合は、必要な場合は本文で書いている。

OCNのコメント欄は字が小さすぎるね。表示欄も狭くてあそこでは読む気がおこらない。しょうがないから、ワークファイルをつくりそこに転送して読んでいる(気になるものだけね)。他のプロバイダーではコメントの文字が本文並みでスペースにも制限のないところが多いようだ。こうでなくては読む気がしない。そろそろコメントも受付禁止にしようかな。

全体にOCNのシステムはがっちりしていると思うけど地味な印象だな。


いなか娘のように

2007-01-03 17:55:07 | 社会・経済

安倍首相のすることは竹下やその一派がやってきたことをたどっているようだ。道路財源を地方自治体に一律にばら撒こうというのは竹下の「ふるさと創生」と同じだし、中国と歴史問題の共同研究をしようというのも、竹下亜流の媚中首相たちがやってきて立ち消えになっているものではないか。

それに、中国との三千人だかの青少年交流事業をやろうという。これも竹下亜流の留学生何万人計画とおなじ発想だ。その独創性のなさ、模倣性には驚嘆する。青少年の対日感情をよくしようと言うなら向うのシナの偏向した歴史教育を改めさせることが根本だ。それなしに、こんな二番煎じをやっても、かってのように、不法滞在者を増やすだけで、凶悪な潜在的犯罪者集団を国内に抱えることになる。

歴史の共同研究にせよ、青少年交流計画にせよ、ニュースでは安倍首相が提案しているようになっているが、実際はシナの圧力によるものだ。

前にもいったが、安倍首相の就任直後の訪中は彼のイニシャティブではない。アメリカ国務省の準命令である。米国上院外交委員会でのグリーン氏の証言を読め。訪中にさきだち、その条件として、村山談話、河野談話の裏書をさせたのも米中共同教育指針である。

まるで、いなか娘のように、やられたあとは誰でもよし、なんでもありになったような内閣だ。教育基本法の改正はしたが、村山談話、河野談話を認めるようでは国民には愛国心を求めるのは無理だろう。


こいつは春から縁起が良いわい

2007-01-01 18:03:12 | 社会・経済

四日ほど前に「紅白歌合戦の順番」という記事をあげた。内容はNHKが紅白歌合戦の順番が決まりました、と一大ニュースのようにニュースのトップに持ってくるのを揶揄したものだ。ところがである。これが誠にタイムリーな話題らしく、多くの人が勘違いをしたらしい。紅白歌合戦の順番と言うのはテレビ番組表や、そうね競馬新聞の出馬表のように一般大衆の関心事らしいね。NHKのカンもまんざらじゃないわけだ。

とにかく、マイナーなこのブログのアクセス数が跳ね上がった。といっても大したことはないんだろうが、私にとっては目の玉がひっくり返るような数になった。大晦日にはアクセスが一万件になった。最初は嬉しかったが、まてよ何か変だと考え直した。自分のひいきの歌うたいが何時ごろ出場するのか書いてあると勘違いしてアクセスが集中したのが本当のところではないかな、と思い当たった。というのは元旦になって紅白が終わってみると前のレベルにアクセス数が戻ったからである。めでたし、めでたし。おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。