そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

容認できない裁判員制度

2008-11-27 | 政治と金

裁判員制度が始まると騒がれている。あなたがなるかもしれないと、報道を使って政府は懸命である。しかし、いくら考えてもこの制度はおかしい。

彼方も裁判に参加できますよなどとは、物見遊山ではあるまい。ましてや人の一生を左右する判断を行うことを、国が個人を特定し強制するのである。

全く法の知識のない者に裁判官とともに審理に参加しましょうというのである。職業裁判官は何のためにあるのだろうか。これは長年にわたって法律の勉強を重ねてきた、職業裁判官の職場放棄ではないか。いくら政府の言い分を読んでみても、裁判員制度の目的が解らない。

私たちの職場を例にとるなら、手術の手法を説明したから、彼方執刀しなさいと国家が指定するのである。職業獣医師の職場放棄である。それ以上に、それで手術が成功しなかった時には責任をとれるのか?畜主にどのような言い訳をすればいいのであろうか?

長年法律の勉強を重ね、判例を無数に経験してきた裁判官は何のためにあるのであろうか?しかも、判決は多数決で行うとされている。裁判員に判断をうかがうのは重大案件に限るとするのもおかしい。

犯罪を証明するいわゆる証拠書類の信ぴょう性は、裁判員には判断することができない。提出されたものだけで判断せよというのである。

最高裁判所が作成した「評議」と「裁判員」という、DVDを見た。名前の知れたタレントばかりを使っている。製作にかなりの金額がかかったに違いない。内容は、裁判員になって誰もが、良かった良かった、めでたしめでたしというある意味、極めて不謹慎なDVDである。

法に感情を込めるのは許されるのだろうか。法に素人の裁判員たちは、このDVDでは犯罪者(被告人)に対する同情を討論の中で何度も交わしている。法律は同情などに左右されて適用されるものであろうか? 被害者に対する感情も露わである。法律は報復手段ではないはずである。

正当な理由なくして裁判員を拒否すると罰せられるのであるが、私は罰せられても構わない。受けない理由を述べて拒否をする。

コメント (3)
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