人は社会を構成して、職業を分担しながら営んでいる。人の営みには物がなくてはならない。職業の分担は、生産された物(商品)をどのように処理するか、あるいは商品をどのように生産するかを支えるかで成り立っていると言える。
それぞれの販売業者は、商品の有利性を誇張し売りさばく。流通は高度になり密度がますにつれて、商品は遠くまで鮮度や外観を損ねることなく運ぶことになる。
生産者あるいは製造業者は、商品の価値に誇りを持つ。販売業者は、商品価値を誇張して販売する。多くの生産者は消費者に渡った価格を見て驚くことが多い。
昨年12月10日に飲用乳の生産者者価格を1㍑あたり3円値上げすると、乳業3者が発表した。実に30年ぶりの値上げである。消費者は、単純に牛乳も値上げするのかという程度の感覚でないかと思われる。
実際に消費者価格となると、10円程度の値上げになることは間違いない。消費者は、酪農家の手取りが増えたと思って、牛乳を購入することになるだろう。生産者の値上げは3円であるが、ここに業者の取り分のおおよそ7円程度が、便乗的に値上されるのである。公表されたのは生産者価格(取引価格)だけである。業者の取り分は公表されることはほとんどない。
商業資本主義社会の時代は、消費者の望む優れた商品を生産する者が儲けた。産業資本主義社会になって、うまく販売する方法を見つけたものが儲かるようになった。現在の金融資本主義社会は、お金をもっているものが生産者や販売業者たちに資本を与えたり、資本を巨大化することで儲ける仕組みとなってしまった。
日本は豊芦原瑞穂の国であり、農耕が勤勉で実直で何よりも、水管理などを通じて共に支え合う共同社会を維持することで栄えてきた民族である。高度な生産技術も、会社への奉仕精神も気配りある商品開発も、こうした民族性と無関係ではない。
今社会が高度な資本主義者気に突入することによって、生産することへの誇りや自信が急速に失われつつある。手を汚すことなくお金儲けをしたい若者が増えている。日本民族の先人たちが培ってきたことが否定されつつあるように思えてならない。