そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

これで最後にします

2009-02-06 | 政治と金

麻生首相が又馬鹿気たことを言っている。自民党の中でも呆れられているのでないか。今この男を下ろすわけにもいかないから、やむなくくっついているだけである。

「郵政の民営化には、当時小泉内閣の閣僚であったが、反対だった。閣僚だったから反対表明しなかった」と発言した。このこと自体が、政治家として失格である。大臣の席に固執したいために、自らの信条を貫く意志も信念もないことを白状している。

参議院で否決され、不条理にも衆議院を解散して3分の2の議席を得たのである。郵政民営化のために投票した国民の声を無視した発言である。そして、いままさに民意を問えとの内外からせっつかれても、それをやらずにその3分の2の議席にすがっているのである。

繰り返すが、その3分の2は郵政民営化のために国民が与えた議席である(私はパフォーマンスで得た議席と思っているが、制度上はこうなる)。そして続けて発言したのが「分社化が本当に必要かどうか見直す必要がある」とまで言った。

090206れは、郵政民営化の根本理念を覆すことである。昨年9月ごろ民営化1年目に見直すべく官僚たちが用意していたが、その時期には自民党は誰かが政権を放り出して、総裁選挙をやっていたではないか。忙しくて何もできなかった。

麻生(アホウーと読みたいが)首相は、つい本音を言ったら総攻撃にあったので「私は受ける立場である。ああしろこうしろという立場ではない」(極めて語彙が少ない)と、修正に躍起である。私には報告を受けるだけの特権貴族と勘違いしているようだ。このおボッチャマは。

私個人は、地方切り捨てになる郵政民営化には大反対である。しかし、ここは筋として武部元官房長官の「民営化の根本を覆す発言は嗜めなければならない」や、山本一太の「民営化を否定しているととられる発言である」の方が正しい解釈である。野田聖子消費者担当相の、「拙速な感があったことが解った」は本音であろう。

お友達のの鳩山総務大臣などが「民営化を否定したのではない」などと火消しに奔走しているのも、滑稽な姿である。せっかくだから、郵政民営化についてもう一度民意を問えばいいのである。

定額給付金についても、目的の説明であれほどぶれておきながら、今度はどこかの会議で受け取らないと言ったようだが、鈴木宗雄に問い詰められると、そんなこと言ってないし決めてないという回答であった。閣僚がこぞって受け取ることのない制度など、自らが無意味な制度と言っているのと同じである。

アホー首相の発言は、分析すればするほどばかばかしくなるので今回で最後にする。

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黒澤明の残したもの

2009-02-06 | 政治と金

幼い頃、東映の撮影所がそれほど遠くないところにあった。。隣には東映に勤める、同級生の親もいた関係で、東映時代劇を見て育った。正義と悪がはっきりと分かれていた。正義の味方は、見事なあでやかな衣装で、目バリも入って女性以上の化粧である。拷問にあっても山を登っていても衣装は乱れない

中村錦之助や市川歌右衛門は絶対に負けないし、何十人も切っても振り向くとそこに死 体はない。刀に血のりもなければ息が切れることもない。歌舞伎の手法であろうか、殺陣も決まっている。子供心にも安心してい見ていた。水戸黄門などのテレビ時代劇のなかに、未だその残像を見ることができる。

私の時代劇感を一変させたのが、黒澤明の「椿三十郎」である。主人公が汚いし感情的で乱暴である。捕らわれることもあるし万能ではない。最終シーンは晴れた空の下、笑顔の主人公たちが道の彼方へ消えていくのを見慣れたものにとっては、驚愕のラストが待っていた。その後も何度も黒澤作品を見ることになった。

昨年は、黒澤明没後10年ということで、NHKBS2で、全30作品を放映してくれた。僻地にいる者にとってありがたい企画である。視聴者による黒澤ベスト5が放映されている。因みPickup_2009_kurosawa_sに、5位が「天国と地獄」、4位が「生きる」、3位が「用心棒」、2位が「赤ひげ」、1位が断トツで「七人の侍」であった。

これを見れば分かるように、5社が経営危機になって共同制作となった「どですかでん」以前のものばかりである。「生きる」を除き、三船敏郎を上手く使った作品ともいえるし、黒白作品ばかりであるともいえる。この五作品は映画作品というより、見る者にドキュメンタリーと思わせるような映画である。黒澤の妥協しない姿勢が見られる。

とりわけ「七人の侍」は、当時の東宝の年間製作費を使い切るほどのものであった。七人の人物設定も、戦闘場面に限ることない農村、農民の描き方もすぐれ、撮影方法も素晴らしいものがある。水車小屋の炎上場面では、3度も建てて燃やしたとのことである。

黒澤は、世界的な評価が高くなると急速に作品の質が落ちてくる。「乱」や「影武者」はその典型である。大作に違いはないが、どこか冷めた目でしか見ることができなくなってしまった。人は途上にある時に最も力を見せるように思われる。

生涯たった30作品しか制作しなかった黒澤のこだわりが、あらゆる業種から急速になくなりつつある。無造作に捨てられていくばかりの大量の商品を、北の国の富めるものが創りつづけ、地球の資源を一方的に消費する世界を作ってしまった。人を使い捨てる、派遣切りも同じである。

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羅臼港

春誓い羅臼港