当地に沖縄戦を戦い抜いた元日本兵がいる。沖縄には、終戦近くになって満州から大量の兵士が送られた。沖縄で亡くなられたのは、ほとんどが沖縄の方であるが、次に多いのが北海道出身者であることはあまり知られていない。この方に沖縄戦の聞き取りを今やっている。
まとめて本に出来ればと思っている。この方は、もう85歳になられて記憶も曖昧である。お話を一回に2時間ほどにして、数回に別け伺っている。1000人ほどに1名生き残った沖縄戦の生 き残りである。戦場での数々の偶然が、この方を救った。
日本は、沖縄の地上戦に備えて、一般人の台湾などへの移住を考えたが、日本が負けることがないと、誰もが思っていた。思わされていたのであるが、沖縄の人たちは兵士と一体になって米軍と戦ったのである。
集団自決も強制はなかったと、バカなことを主張する右翼の人たちがいるが、その論調は、「日本を悪く言うべきでない」というのである。確かに、良心的な兵士もいたことも事実ではあると思われる。しかし、戦陣訓をはじめとして、日本人全体が戦時教育に染まっていたのである。日本軍の悪意ではなかったであろうが、集団自決は当然のことと 誰もが思っていた。強制の有無は問うべきでない。個人のレベルに戻されるからである。
沖縄の大本営であった牛島中将ですら、命令を軍全体に下せる状況ではなかった。一本にまとまって、集団自決を強制するなり逃亡するなりは、現地での個別の対応であったのである。
教科書から「集団自決はなかった」、強制されんばかったと歴史を美化する右翼の連中は、根底に日本を武装国家に仕上げたいのである。
元兵士の方の話を聞いていると、戦争が何と悲惨な行為であるかがわかる。戦場は地獄である。この方は、日本軍が追い詰められた摩文仁の絶壁で、撃たれて12日間も意識がなく倒れていた。
そして、10月10日まで戦っていたのである。日本のためお国のために、天皇のために、終戦の詔勅から2ヶ月も生き延び戦った。日本に、天皇に見捨てられながらも元兵士は戦ったのである。
沖縄戦の死者は18万8千人であるが、沖縄住民の死者は9万4千人と半数を占める。日本からの援軍が来ると信じて戦ったのである。