一月前に40年来の友人を亡くした。入院中であったといえ、予期せぬ出来事であった。意見をすり合わせることがなく、情報の交換や手段・手法の選択をするだけで、事足りた数少ない友人であった。
彼のツテで「チェルノブイルハート」を上映した。当地は日本でも、有数の人口密度の低い町である。会の持ち出しを覚悟で、上映会開催に踏み切った。せいぜい30人程度の集会になると思っていた。
ところが、80名になる観客が集まった。上映の趣旨に賛同した方々の切符の購入まで含めると、100名を超えた。友人が亡くなったこともあり十分動けず、宣伝も不十分であったのでかなり驚いた。
映画は1時間ほどなので、上映後討論会を開いた。更にアンケートを依頼した。討論とアンケートを見て納得した。
多くの人たちは情報に飢えているのである。政府や東電などが発表する内容に不審を抱き、見えない放射能の存在に怯えているのかと思われた。
放射能については、正しく知りそして正しく恐れることである。原発事故によって引き起こされた、放射能汚染に対する恐怖と対策、自分たちや子供たちに何ができるのか、ヒントを求めていた。
さらに、予想を超えて若い人たちが多く、観に来られた。その方たちの多くは、原発の安全性と核の平和利用を頭から信じていて、裏切られた不満を抱いていたようである。こうした会の開催を望んでいた。
これから、亡くなった友人の分も含め、原発の勉強会と映画などの上映会を地道に続けようと思っている。