そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

松下政経塾の終焉

2012-12-25 | マスコミ報道

経営の神様と言われた、松下電器の創設者の松下幸之助が私費をはたいて創立した、松下政経塾であるが30年を経過してそろそろ限界に来たと言えよう。あるいは底が見えたともいえる。

松下幸之助が、「国家観や人間観を持つ政治家を作る」のが目的であった。松下が私費を投じたくなるほど、当時の政界は極めて不透明な私欲と金の渦中にあった。

授業料が無料で二年制の完全寮生の塾である。講師は財界に重きを置かれ、剣道などの心身の鍛錬なども行われていた。

ディベートが得意なのは、野田を見ればよく判る。相手の言葉をほとんど否定することなく、真摯に受け止めてその後は知らん顔である。とにかく前原や野田を見ての通り、お話し好きである。

300名ほどが卒塾しているが、半数近くが政治家になっている。自民党と民主党が相半ばする。それに近頃は、維新の会やみんなの党がちらほらいる。当初は10名の枠に1000名ほども応募があったようであるが、今年はその枠にすら満たない応募者だったようである。

創設当初から係る関係者は、「人間を作るはずであったが、政治家の肩書に塾がなっている」と嘆いている。松下政経塾出身の政治家が増えたのは、新党ブームに乗ったからである。それなりの新鮮さもあり、地盤や看板など持たない政治家志望の若者に追い風になった。

ところが、卒塾生の所属政党を見ればわかるように、政治的な理念がないのである。野田たちを見ていると、人を動かすような思いがないのである。

小沢一郎塾や維新政治塾や河村たかし政治塾のように、一定の方向性が乏しく、松下政経塾は一定の評価を終えた存在になったといえる。その象徴が、一期生の野田である。

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