そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

平和国家への歩みを絶ってしまった日本

2017-01-03 | 平和憲法
私は半世紀、乳牛の診療をしてきた獣医師である。牛は反芻(噛み返し・食べた飼料をもう一度口に戻し消化を高める)する動物です。不安があったりするとこれを止めます。アメリカの海兵隊が巨大な砲弾で地響きを立てると、彼女たちは反芻を止めます。反芻するときにはゆっくりと瞼を半分落としたようにして穏やかな顔をします。乳牛は平和の動物、酪農こそ平和の産業だと思ってる。

人の世界が平和であることを望まない人はいないと思う。なのに戦争はなくならない。それまでは二国間の戦いでしかなかった戦争であるが、20世紀になってすっかり変わってしまった。
戦争が武士や軍人だけの戦いではなくなってしまったのである。第一次世界大戦の特徴は、この戦争から同盟国同士が互いに支援しあう、多国間の殺戮になったことである。同盟国の支援を現代の日本語で表現すれば、集団的自衛権の発揚といえる。誰が先に侵略したかとか、不条理はどちらにあるかとは関係なく支援しあう、ヤクザの出入りそのままである。義理と人情で支援するのが、集団的自衛権のことといえる。
正義は他国にも自国にもある。戦争は武力行使であるが、武力が戦争を止めることはなくなった。かつては敗北宣言をするなり領土を取られるなりして、決着したが現代はそれすらない。何よりも第二次世界大戦以降変わったのは、宣戦布告のない戦争ばかりになったことである。地域紛争や民族闘争や宗教戦争などが主体の戦争になり、勝者がいない戦いになった。あえて言うなら敗者は多数存在する。
そしてそれらの戦争は、ほとんどの場合は背後に大国を擁する代理戦争といえる。第二次世界大戦後のこうした紛争や戦争のすべてに関与してきたのが、アメリカである。日本のメディアは北朝鮮の危険性と不条理、何をするかわからない国とレッテルを貼るが、そのレッテルはアメリカが最も相応しい国といえる。それをいみじくもあからさまにしてくれたのが、ブッシュである。武力は報復以上の意味を持たなかった。暴力は新たな暴力を生んだに過ぎない。今日の中東の紛争のすべての原因は、アメリカの武力介入にある。
だからこの国のために、日本は専守防衛の自衛隊に銃を持って出かけるようにしたのは、日本国憲法に反するだけでなく、戦争(紛争)の傷を大きくするばかりである。戦争の本質を見過ごした、今だけのそしてアメリカだけへの回答といえる。

それではどう日本を守るかという問いへの反論は時間がかかる。ここまで好戦的な国家にしておきながら、近隣国を全く認めない外交を安倍晋三は展開してきた。その国々が軍事力増強してきたからというのは、ロジックが逆さまだといえる。
平和は銃口からは生まれない。敗戦国日本には暴力でない手段を用いる可能性が、憲法という形で残されていた国家であった。安倍晋三はそれらのすべてを潰してしまったのである。

コメント (1)
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