詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

詩はどこにあるか(58)

2005-11-01 14:59:05 | 詩集
唐詩三百首1(平凡社東洋文庫)

 李白「子夜歌」を読む。その三「秋歌」の3、4行目。

秋風吹不尽
総是玉関情

 「吹不尽」に立ち止まる。いつまでも吹いてくる風――ではなく、どこまでもどこまでも、遠く遠く吹いていく風、長い風が目に浮かぶ。
 その長さが「玉関」を呼び起こす。

 目加田誠は3行目を「やまず吹きくる秋の風」と訳しているが、かなり物足りない。
 秋の風は遠く遠くから立ち止まらずに私のもとまで吹いてくる、という感じではないかと思う。
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詩はどこにあるか(57)

2005-11-01 14:44:35 | 詩集
荒川洋治「心理」(みすず書房)

 「デトロイト」の書き出し。(24ページ)

  ぼうっと目の前にあるものを
  見ているとき
  その人の「見る」枠組みのようなものがある
  そこにトマトを入れる人もいるし
  他に会社の建物、故郷の山川、霜の墓地など。

 「トマト」に「詩」がある。
 ものを見る枠組みは人事や哲学、倫理のような抽象的なものばかりではない。「トマト」を物差し(定規)にして世界を見ることもあるのだ。

 「トマト」は「強いまぼろし」(27ページ)ではない。「強いまぼろし」を拒む出発点、あるいは基準である。
 太陽の光を浴びて泥臭くなっていくトマト、かぶりつくと汁が滴るトマト、あるいは日焼けした父の黒い手がもぎとる一瞬……なんでもいいのだが、その人の強い実感である。

 唐突に挿入され、けっして書き手自身が説明しないもの、書き手には説明できないもの(彼にとって、その存在が密着しすぎていて距離の取れないもの)、それが「詩」である。
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