高橋睦郎『語らざる者をして語らしめよ』(思潮社)
「10」。「殺す」とは何か。
「殺されて蘇った私」。否定と再生。そして、その再生は「私」自身だけではなく、「愛しい者」を引き寄せ、「産声」をもたらす。再生から生成への運動がある。
対極にあるものが同時に存在する。これが「無」の世界である。「無」の現場である。対極にあるものの区別が「無い」状態が「無」である。すべての生成(「詩」を含む)は、そこでしかおこなわれない。
「10」。「殺す」とは何か。
だが 最終的に殺すのは自分
殺されて蘇った私は
荒土に稲と麦と豆を播き (26-27ページ)
「殺されて蘇った私」。否定と再生。そして、その再生は「私」自身だけではなく、「愛しい者」を引き寄せ、「産声」をもたらす。再生から生成への運動がある。
私は殺す者
殺して生かす者 (26-27ページ)
対極にあるものが同時に存在する。これが「無」の世界である。「無」の現場である。対極にあるものの区別が「無い」状態が「無」である。すべての生成(「詩」を含む)は、そこでしかおこなわれない。