高橋睦郎『語らざる者をして語らしめよ』(思潮社)
「9」。あらゆるものは対立項を持ち、同時に不可分である。
想像力は一方的に「絶対的他者」を冒涜する。それが「詩」の権利である。また、その「詩」を一方的だと批判するのは読者の権利である。その権利があるからこそ、また、次の「詩」が誕生しうる。
「無」をくぐりぬけ、次々に「詩」が生成しつづけなければならない理由がそこにある。
そうした「論理」とは別に、この作品には不思議な「詩」がある。引用した部分の「霧」。そのことばは、いったいどこからきたのか。
引用に先立つ3行。
意味的には、たがいに噛み砕いて吐き出したものが「霧」になるのか。あるいはたがいのものを奪い、あるいは受け取り、そして否定することが「霧」になるのか。
どちらにしろ、すっきりとは落ち着かない。
この行は、むしろ、唐突に高橋の内部からやってきた、あるいは頭上から高橋に降って来たもの、インスピレーションがもたらしたものだろう。
こうした書き手自身と不可分、どんな説明もつかないものこそ「詩」である。
「霧」。そのなかに存在するものは外部からはよく見えない。
たぶん、そうした意味合いが、この詩の世界を支配している。
世界は、そのなかで争っているもの、愛しあっているものには、事実として確認できる。しかし、その事実は、争い・愛が不可分である。その不可分な運動は、外部(他人)からはよく見えない。「霧」のなかの存在のように。
「霧の中」は混沌としてみえる。「無」の世界のように。
「霧」は「む」、「無」と韻を踏む。
「霧」のなかに「無」は融合する。
「9」。あらゆるものは対立項を持ち、同時に不可分である。
その霧の中で 二人の争いは愛と
愛は争いと 見分けがたく
けれども 結果は一方的に
ぼくがあなたを涜したことに (25ページ)
想像力は一方的に「絶対的他者」を冒涜する。それが「詩」の権利である。また、その「詩」を一方的だと批判するのは読者の権利である。その権利があるからこそ、また、次の「詩」が誕生しうる。
「無」をくぐりぬけ、次々に「詩」が生成しつづけなければならない理由がそこにある。
そうした「論理」とは別に、この作品には不思議な「詩」がある。引用した部分の「霧」。そのことばは、いったいどこからきたのか。
引用に先立つ3行。
あなたは ぼくの剣(つるぎ)をひったくった
ぼくは あなたの勾玉(まがたま)を乞い受けた
たがいに噛み砕いて 吐き出した (25ページ)
意味的には、たがいに噛み砕いて吐き出したものが「霧」になるのか。あるいはたがいのものを奪い、あるいは受け取り、そして否定することが「霧」になるのか。
どちらにしろ、すっきりとは落ち着かない。
この行は、むしろ、唐突に高橋の内部からやってきた、あるいは頭上から高橋に降って来たもの、インスピレーションがもたらしたものだろう。
こうした書き手自身と不可分、どんな説明もつかないものこそ「詩」である。
「霧」。そのなかに存在するものは外部からはよく見えない。
たぶん、そうした意味合いが、この詩の世界を支配している。
世界は、そのなかで争っているもの、愛しあっているものには、事実として確認できる。しかし、その事実は、争い・愛が不可分である。その不可分な運動は、外部(他人)からはよく見えない。「霧」のなかの存在のように。
「霧の中」は混沌としてみえる。「無」の世界のように。
「霧」は「む」、「無」と韻を踏む。
「霧」のなかに「無」は融合する。