詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

詩はどこにあるか(59)

2005-11-02 00:04:47 | 詩集
荒川洋治「心理」(みすず書房)

 「心理」の31ページ、8-9行。

雑誌「世界」に「超国家主義の論理と
心理」を発表、

 「心理」を冒頭にもってくる行の「わたり」というか、ことばの分断の仕方に「詩」がある。
 丸山真男はもろちん「論理と心理」という文脈で考えている。しかし、荒川は「心理」につまずいて、それにこだわっている。つまずきが「詩」なのである。こだわりが「詩」なのである。
 つまずいたとき、そこから人は自分が本当に感じていることはなんなのか、考えていることはなんなのかを見つめ始める。
 荒川は、こういう作業をとても丁寧にことばで追っていく。

 そうした作業は、具体的には32-33ページの許さんのエピソードに集約されている。

何の関係もないことをひとつふたつ言っておくと
(これが 重要だ)
ものごとはちょうどいい具合になり

 「ちょうどいい具合」――それが世界の理想だ。
 「論理」だけでは窮屈、「心理」だけでも窮屈ということか。

 ところで、「心理」とはひとつふたつ言われた「何の関係もないこと」か。たぶん、「何の関係もいなこと」ではなく、他人にとって「何の関係もないこと」に見えてしまうもの――つまり、他人からは関係の具体性が明確には見えないものの総称が「心理」なのだ。たとえていえば、「デトロイト」で登場した「トマト」が「心理」である。

 丸山真男は(あるいは、丸山真男から荒川が吸収したもの)は、もちろん「トマト」ではない。「何の関係もないこと」でもない。

菊池寛の「源氏から西鶴に飛ぶ」に、衝撃を受けた。
――と、川端康成は書く
心理は、この論理に おどろく
「菊池のこの言葉は私の骨身にしみて、爾来、時代と芸術家の運命とを思わせてやまない」

 川端は菊池のことばにつまずき、丸山は菊池のことばにつまずいた川端につまずき、荒川は菊池のことばにつまずいた川端が発したことばにつまずいた丸山のことばにつまずく。
 「心理」とは、たぶん、そうやってつづくもの、つまずきの連鎖なのだ。あるいは連鎖のつまずきが「心理」と言い換えた方がいいかもしれない。
 35-36ページの展開を読むと、そう思ってしまう。

「丸山さーん」
なんだね
「駅はそっちです」
ああそうだ
「ただ、ひとつ心配なことがあって」
なにが?
「未熟の時代の未達成の作家って、心配で」

 荒川ほど自然に、まるで映画の1シーンのように、鮮やかに「つまずき」を提示できる詩人はいないと思う。
コメント
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