監督 ロマン・ポランスキー 出演 ジョディ・フォスター、ケイト・ウィンスレット、クリストフ・ヴァルツ
どんな映画の役でも「損な役」と「得な役」がある。この映画では主役はジョディ・フォスターになるのだと思うが、これはとても「損な役」である。途中で「ジェーン・フォンダのお友達」と揶揄されたりするが、問題への取り組みが真剣すぎておもしろくない。まあ、そういう意味では、とても難しい役である。
一方、クリストフ・ヴァルツはとても「得な役」である。問題となっていることがらなんて、どうせこどものけんかけがといってもどうせ歯が折れただけ--とタカをくくって、ごちゃごちゃが早く片づけばいいと思っているだけ。なげやりな、いわば「脇役」といった感じなのだが--その手抜きできそうなところをきちんと「顔」で演技しているので笑えてしまう。
バスルームで洗ったズボンをドライヤーで乾かしている。ドアが開いて、ジョディ・フォスターに見られてしまう。その瞬間の「顔」。あるいは、ひっきりなしに携帯電話で話していて、ふと「電話を立ち聞きするな」というときの「顔」。立ち聞きも何も、他人の部屋で大声で電話していれば誰にでも聞こえるんだけれど、みんなが真剣に聴いているとわかって、思わず「立ち聞きするな」という理不尽な要求の、瞬間的な「顔」。--この映画はもともと舞台劇らしいが、舞台では、まあ、その表情はわからないね。それを映画ではしっかりと映像化している。
この無防備な顔--これが、いわばこの映画の核心にだんだん近づいていく。けんか--ことばのけんかというのは、ほんらいとても「理論武装」が大事なのだけれど、突発的なできごと(不規則発言?)によって、だんだん「武装」が通じなくなる。その「武装」では闘えない部分が出てくる。「武装」していない部分つかれて、無防備の「肉体」(思想)が反応してしまう。話が混み合えば混み合うほど、だんだん「武装」が剥がされ、裸になっていく。「無防備の顔」が出てくる。
つまり、ほんとうは「ジョディ・フォスター一家」と「ケイト・ウィンスレット一家」の「けんか(いざこざの処理)」なのだが、「一家対一家」のはずが、女同士が連帯し、男をやっつけたり、逆に男同士が連帯し、女攻撃をはじめたりする。「対立点」がずれていく。ときには2対2ではなく、1対3になる。夫婦なのに、夫婦の味方をしない。「敵」側にまわってしまう。
そこにあるのは、もう「無防備そのものの顔」。最初は誰もこんな具合になるとは思っていなかった。--はずである。「こどものけんか、こどものけが」はそっちのけで、自己主張と、なにがなんだかわからない「連帯」へと引きずり込まれる。「人間ってみなん同じ」という「連帯」へ。
連帯というより、「共感」と言えばいいのかな。--まあ、おかしくて、かなしい。とてもしゃれている。この感じを、クリストフ・ヴァルツがとてもうまくリードしている。ほんとうは「いやあな男」なんだけれどね。--だから、「得な役」という。「いやな男」なのに、かわいいのである。
ジョディ・フォスターは、逆にほんとうに「損な役」なのだけれど、でも、「羊たちの沈黙」以来つづいてきた強い女(彼女が出てくればすべて解決する--まさにジェーン・フォンダ)から離れた役なので、それはそれで、次の映画を期待したくなる。
ケイト・ウィンスレットはゲロを吐いてしまうシーンが、えっ、ほんもの?という感じで、思わず笑いだしてしまう。それとは別に、疲れてきてハイヒールを脱いでしまうシーンが色っぽくて、あ、さすがハイヒールの文化圏のおんなだなあと感じさせる。(見逃したらだめだよ。)
舞台(原作)そのものがそうできているのだろうけれど、小道具のつかい方が緊密でおかしい。ドライヤーが何度も活躍するのがとてもおかしい。最後に出てくるハムスターもおもしろいし、その公園をいったりきたりする犬の散歩も、もういっかいハムスターが出てくるの?と思わせて、なんだかおかしい。
と書いてきて、ひとつ、とても大切なことを書き忘れていることに気がついた。
映像の全体の色調--これが非常に落ち着いている。室内劇であり、ことばが主役(映画なのだから「顔」も主役)なのだが、その「主役」をすっきり浮かび上がらせる色調がいい。絵でいうなら、彩度をおさえている感じ。あるいは輝度をおさえている感じ。ジョディ・フォスターが大事にしている「画集」など、もっと色彩がはっきりしているはずだと思うが--なんといっても、見栄っ張りでテーブルの上にわざわざ置いているのだから、そういうものも非常に落ち着いて「背景」そのものに溶け込んでいる。窓から見える街並み(電車)も、まるでいつでもそこにある感じ--素顔の感じで描かれる。
役者に対する演出力もすばらしいと思うが、こういう「背景」に対する演出力がポランスキーはすごいなあ。前に見た「ゴーストライター」も「背景」に対するの演出力、色彩の統一感がすばらしかったなあ。
どんな映画の役でも「損な役」と「得な役」がある。この映画では主役はジョディ・フォスターになるのだと思うが、これはとても「損な役」である。途中で「ジェーン・フォンダのお友達」と揶揄されたりするが、問題への取り組みが真剣すぎておもしろくない。まあ、そういう意味では、とても難しい役である。
一方、クリストフ・ヴァルツはとても「得な役」である。問題となっていることがらなんて、どうせこどものけんかけがといってもどうせ歯が折れただけ--とタカをくくって、ごちゃごちゃが早く片づけばいいと思っているだけ。なげやりな、いわば「脇役」といった感じなのだが--その手抜きできそうなところをきちんと「顔」で演技しているので笑えてしまう。
バスルームで洗ったズボンをドライヤーで乾かしている。ドアが開いて、ジョディ・フォスターに見られてしまう。その瞬間の「顔」。あるいは、ひっきりなしに携帯電話で話していて、ふと「電話を立ち聞きするな」というときの「顔」。立ち聞きも何も、他人の部屋で大声で電話していれば誰にでも聞こえるんだけれど、みんなが真剣に聴いているとわかって、思わず「立ち聞きするな」という理不尽な要求の、瞬間的な「顔」。--この映画はもともと舞台劇らしいが、舞台では、まあ、その表情はわからないね。それを映画ではしっかりと映像化している。
この無防備な顔--これが、いわばこの映画の核心にだんだん近づいていく。けんか--ことばのけんかというのは、ほんらいとても「理論武装」が大事なのだけれど、突発的なできごと(不規則発言?)によって、だんだん「武装」が通じなくなる。その「武装」では闘えない部分が出てくる。「武装」していない部分つかれて、無防備の「肉体」(思想)が反応してしまう。話が混み合えば混み合うほど、だんだん「武装」が剥がされ、裸になっていく。「無防備の顔」が出てくる。
つまり、ほんとうは「ジョディ・フォスター一家」と「ケイト・ウィンスレット一家」の「けんか(いざこざの処理)」なのだが、「一家対一家」のはずが、女同士が連帯し、男をやっつけたり、逆に男同士が連帯し、女攻撃をはじめたりする。「対立点」がずれていく。ときには2対2ではなく、1対3になる。夫婦なのに、夫婦の味方をしない。「敵」側にまわってしまう。
そこにあるのは、もう「無防備そのものの顔」。最初は誰もこんな具合になるとは思っていなかった。--はずである。「こどものけんか、こどものけが」はそっちのけで、自己主張と、なにがなんだかわからない「連帯」へと引きずり込まれる。「人間ってみなん同じ」という「連帯」へ。
連帯というより、「共感」と言えばいいのかな。--まあ、おかしくて、かなしい。とてもしゃれている。この感じを、クリストフ・ヴァルツがとてもうまくリードしている。ほんとうは「いやあな男」なんだけれどね。--だから、「得な役」という。「いやな男」なのに、かわいいのである。
ジョディ・フォスターは、逆にほんとうに「損な役」なのだけれど、でも、「羊たちの沈黙」以来つづいてきた強い女(彼女が出てくればすべて解決する--まさにジェーン・フォンダ)から離れた役なので、それはそれで、次の映画を期待したくなる。
ケイト・ウィンスレットはゲロを吐いてしまうシーンが、えっ、ほんもの?という感じで、思わず笑いだしてしまう。それとは別に、疲れてきてハイヒールを脱いでしまうシーンが色っぽくて、あ、さすがハイヒールの文化圏のおんなだなあと感じさせる。(見逃したらだめだよ。)
舞台(原作)そのものがそうできているのだろうけれど、小道具のつかい方が緊密でおかしい。ドライヤーが何度も活躍するのがとてもおかしい。最後に出てくるハムスターもおもしろいし、その公園をいったりきたりする犬の散歩も、もういっかいハムスターが出てくるの?と思わせて、なんだかおかしい。
と書いてきて、ひとつ、とても大切なことを書き忘れていることに気がついた。
映像の全体の色調--これが非常に落ち着いている。室内劇であり、ことばが主役(映画なのだから「顔」も主役)なのだが、その「主役」をすっきり浮かび上がらせる色調がいい。絵でいうなら、彩度をおさえている感じ。あるいは輝度をおさえている感じ。ジョディ・フォスターが大事にしている「画集」など、もっと色彩がはっきりしているはずだと思うが--なんといっても、見栄っ張りでテーブルの上にわざわざ置いているのだから、そういうものも非常に落ち着いて「背景」そのものに溶け込んでいる。窓から見える街並み(電車)も、まるでいつでもそこにある感じ--素顔の感じで描かれる。
役者に対する演出力もすばらしいと思うが、こういう「背景」に対する演出力がポランスキーはすごいなあ。前に見た「ゴーストライター」も「背景」に対するの演出力、色彩の統一感がすばらしかったなあ。
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