監督 林弘樹 出演 佐藤仁美、中西美帆、宮崎美子、藤田弓子
映像がとても美しい。ただ、この美しさは説明するのがむずかしい。舞台となっている古い旅館、その離れ(?)の畳や障子、柱、壁の美しさは、時間をかけて生まれてきた美しさである。宮崎美子が板の間(廊下)に雑巾をかけるシーンがある。つるつるの板ではない。ざらざらしている。しかし、木目にそって、ていねいに時間をかけて雑巾がけをすることで、つやをもってきている。この「木目にそって雑巾をかける」という仕種は、子供たちが塾の机に雑巾がけをするシーンで「ことば」として語られる。つまり、ひきつがれる。そういう「暮らし」が引き継いできたものが磨き上げた美しさである。わずかな水、布の摩擦が板をなめらかにしていく。「何時間」ではなく「何年」という繰り返される時間。そこには宮崎美子だけの時間ではなく、もっと前からの時間が積み重なっている。他人の時間をひきついでいく美しさである。
冒頭の雨のシーンの緑の美しさも、日本独特のものだと私は感じたが、そこには日本人の「美意識」の時間があるのだろう。水と光と緑がどういうときに美しいものとして見えるか、ということを私たちは知らず知らずに「過去」から受け継いでいる。その受け継いでいる美意識が風景を切り取っている。だから美しい。
で、主人公(と言っていいのだろうか)の佐藤仁美。私は、佐藤仁美を見るのは初めて。中西美帆を見るのも初めて。そして、佐藤仁美を見た瞬間に、あ、太っている。やぼったい、と感じた。顔がでかい、とも感じた。これを2時間見るのかと思うと、少し気が滅入ったのだが。
なんと言えばいいのか。
見ているうちに、妙に安心してしまった。無理して作り上げた「細いからだ」ではなく、生きているうちに自然に身についたたくましさを感じた。「太さ」のなかに「時間」を感じたのだ。「他人の時間」を引き継いで、「自分の時間」を太らせていく。この「時間」の「太さ」が、佐藤仁美の「肉体の太さ」で具体化され、それが映画全体のテーマとぴったり重なって感じられた。だんだん好きになってくる。
いまはやりの「細いからだ」ではだめだなあ。きっと、まったく違った映画になってしまう。
特に、風呂に入っている妹の中西美帆の対話のシーンがすばらしい。シングルマザーになる妹、その決意までの「時間」を思い、「太いからだ」で受け止める。「太い」からこそ、妹の「肉体」そのものを、そのまま「内部」に取り込むことができる。二人分の「感情」が佐藤仁美の「肉体」のなかで動く。「感情」というよりも妊娠した「肉体」そのものの変化を受け止めて、それが佐藤仁美の「感情」となって動いている感じ。
裸の中西美帆と服を着たままの佐藤仁美が交互にスクリーンに登場するのだが、中西美帆の裸なんかどうでもいいから、もっともっと佐藤仁美が見たい、という気持ちになる。吸い込まれてしまう。
佐藤仁美は「役どころ」としても「一家の大黒柱」なのだが、いやあ、すごいなあ。年をとって「肝っ玉母さん」を演じる女優は何人もいるが(この映画では、藤田弓子がそれに近い感じ)、若くて(何歳か知らないが……)、この「時間感覚」をもった「肉体」というのは、すごい。
映画のなかで「家族とは何か」という問いが何回か出てくる。「鍋」だとか「花」などか、いくつか「答え」が語られるが、私には「ひきつがれる時間」と思えた。佐藤仁美は登場人物を、時には批判的に(冷静に)見ているが、それは「他人の時間」をどうやって自分の「肉体」でひきつぐか、それをゆっくりと手さぐりしているように感じられる。拒まず、引き受け、引き継ぐ。そういう「力」を感じさせる。
今年のベスト1、というには早すぎるかもしれないが、傑作である。「東京物語」のように、時間が経てば経つほど評価が高くなる作品であると思う。
(中洲大洋4、2017年03月01日)
*
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映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
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映像がとても美しい。ただ、この美しさは説明するのがむずかしい。舞台となっている古い旅館、その離れ(?)の畳や障子、柱、壁の美しさは、時間をかけて生まれてきた美しさである。宮崎美子が板の間(廊下)に雑巾をかけるシーンがある。つるつるの板ではない。ざらざらしている。しかし、木目にそって、ていねいに時間をかけて雑巾がけをすることで、つやをもってきている。この「木目にそって雑巾をかける」という仕種は、子供たちが塾の机に雑巾がけをするシーンで「ことば」として語られる。つまり、ひきつがれる。そういう「暮らし」が引き継いできたものが磨き上げた美しさである。わずかな水、布の摩擦が板をなめらかにしていく。「何時間」ではなく「何年」という繰り返される時間。そこには宮崎美子だけの時間ではなく、もっと前からの時間が積み重なっている。他人の時間をひきついでいく美しさである。
冒頭の雨のシーンの緑の美しさも、日本独特のものだと私は感じたが、そこには日本人の「美意識」の時間があるのだろう。水と光と緑がどういうときに美しいものとして見えるか、ということを私たちは知らず知らずに「過去」から受け継いでいる。その受け継いでいる美意識が風景を切り取っている。だから美しい。
で、主人公(と言っていいのだろうか)の佐藤仁美。私は、佐藤仁美を見るのは初めて。中西美帆を見るのも初めて。そして、佐藤仁美を見た瞬間に、あ、太っている。やぼったい、と感じた。顔がでかい、とも感じた。これを2時間見るのかと思うと、少し気が滅入ったのだが。
なんと言えばいいのか。
見ているうちに、妙に安心してしまった。無理して作り上げた「細いからだ」ではなく、生きているうちに自然に身についたたくましさを感じた。「太さ」のなかに「時間」を感じたのだ。「他人の時間」を引き継いで、「自分の時間」を太らせていく。この「時間」の「太さ」が、佐藤仁美の「肉体の太さ」で具体化され、それが映画全体のテーマとぴったり重なって感じられた。だんだん好きになってくる。
いまはやりの「細いからだ」ではだめだなあ。きっと、まったく違った映画になってしまう。
特に、風呂に入っている妹の中西美帆の対話のシーンがすばらしい。シングルマザーになる妹、その決意までの「時間」を思い、「太いからだ」で受け止める。「太い」からこそ、妹の「肉体」そのものを、そのまま「内部」に取り込むことができる。二人分の「感情」が佐藤仁美の「肉体」のなかで動く。「感情」というよりも妊娠した「肉体」そのものの変化を受け止めて、それが佐藤仁美の「感情」となって動いている感じ。
裸の中西美帆と服を着たままの佐藤仁美が交互にスクリーンに登場するのだが、中西美帆の裸なんかどうでもいいから、もっともっと佐藤仁美が見たい、という気持ちになる。吸い込まれてしまう。
佐藤仁美は「役どころ」としても「一家の大黒柱」なのだが、いやあ、すごいなあ。年をとって「肝っ玉母さん」を演じる女優は何人もいるが(この映画では、藤田弓子がそれに近い感じ)、若くて(何歳か知らないが……)、この「時間感覚」をもった「肉体」というのは、すごい。
映画のなかで「家族とは何か」という問いが何回か出てくる。「鍋」だとか「花」などか、いくつか「答え」が語られるが、私には「ひきつがれる時間」と思えた。佐藤仁美は登場人物を、時には批判的に(冷静に)見ているが、それは「他人の時間」をどうやって自分の「肉体」でひきつぐか、それをゆっくりと手さぐりしているように感じられる。拒まず、引き受け、引き継ぐ。そういう「力」を感じさせる。
今年のベスト1、というには早すぎるかもしれないが、傑作である。「東京物語」のように、時間が経てば経つほど評価が高くなる作品であると思う。
(中洲大洋4、2017年03月01日)
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