詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

パク・チャヌク監督「お嬢さん」(★)

2017-03-05 21:05:53 | 映画
パク・チャヌク監督「お嬢さん」(★)

監督 パク・チャヌク 出演 キム・ミニ、キム・テリ、ハ・ジョンウ 

 「オールド・ボーイ」「渇き」のパク・チャヌクが監督、ということで期待して見に行ったのだが。
 私はストーリー展開(逆転、また逆転の見えないラスト)という映画が嫌い。退屈してしまう。「肉体」に真実味が感じられない。人間性が見えてこない。
 この映画は「詐欺師」が登場した瞬間から、これはもう、最初から最後まで「逆転、逆転、大逆転」という展開になることがわかってしまう。ここで私はもう眠くなってしまった。舞台となる邸宅、英国式と日本式を合体させて家というのが嘘っぽいから、さらに悪い。こけおどし、ということばを久々に思い出してしまった。「謎」を演出しようとしているだが、薄っぺらという印象しかない。どこかの本物の邸宅をつかえばいくらか雰囲気は変わってきたかもしれない。本物が「嘘」を隠すという効果が生まれたかもしれないが、これでは嘘があふれすぎて退屈。
 だいたい「詐欺」というのは「ことば」が基本。「ことば」で騙す。そうすると、どうしても映画が「ことば」になってしまうのだが。
 うーん。
 あのたどたどしい「日本語」は韓国人、あるいは日本以外の外国人には、エキゾチックな効果があるのかもしれないが、私には「どっちらけ」。「声」が「肉体」になっていないから、退屈さに拍車がかかる。ストーリー展開のための「ことば」にすぎない。「声」に「過去」がない。言いかえると「存在感」がない。
 これを「ごまかす」ために二つの方法が取り入れられている。
 一つは、「ことば」そのもの。エロチックな稀覯本を収集している男がいる。ただ収集しているだけではなく、それを若い女に朗読させる。それを聞きながら、あるいは見ながら、男たちが興奮する。そういう「サロン」で、主役の「お嬢さん」と「伯爵(詐欺師)」が出会う。「ことば」は「真実」というよりも「欲望」を育てるための道具。「ことば」だけでは不十分なので(文学として完成していないので?)、それを「若い女」の「声」という仕掛けで刺激的にする。「お嬢さん」が読みながらどういう「欲望」を感じているかわからないが、聞いている方は自分と同じ「欲望」をもっていると思い込む。エロチシズムの「共犯者」と思って聞く。
 もう一つは、この「お嬢さん」を「声」だけではなく、実際に裸にして、セックスさせるという方法。「ことば」の映画なのに、「ことば」を忘れさせる。そういう仕掛け。さらに。「稀覯本」のなかのセックスは男と女なのに、映画で展開されるセックスは女と女。「お嬢さん」と「女中(いまは、こう言ってはいけないようなのだけれど)」。すでに映画では何回も描かれているけれど、それでもまだまだ「目新しい」。
 あまりおおっぴらには読まれない「セックスの稀覯本」、まだまだポピュラーとは言えない女性同士のセックスシーン。(しかも、おっぱいが小さい二人。)これが、ストーリーを「攪乱」する。
 これはたぶん「脚本」だけ読んだ方がおもしろい。「肉体」でストーリーを見せるには、韓国人の日本語ではだめだろう。「声」そのもののなかに「嘘(詐欺)」と「真実」を織りまぜるというのはネイティブでもむずかしい。それを韓国人がやるのでは、よほど達者でないと「紙芝居」になる。日本向けには公開しなかった方が「評判」に拍車がかかったかもしれない。
                       (中洲大洋2、2017年03月05日)


 
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