中川智正「肉牛の眼」ほか(「ジャム・セッション」創刊号、2012年08月発行)
「ジャム・セッション」は江里昭彦が中川智正と出している同人誌。江里が同人誌を思い立った理由が書かれている。
「これからも継続して詩歌を作りたいという意思表示であると理解した私は」には、ふたつの「主語/述語(動詞)」がある。「中川」はこれからも継続して詩歌を作りたいと「思っている/意思表示をした」。「江里」は中川の歳時記の差し入れ希望を詩歌を作り続けたいという意思と「理解した」。中川は俳句を作り続けたいと直接言ったわけではない。でも、江里は「理解した」。
そうか、「理解する」とは、こういうことなのか。「他人」を引き受けること。「他人」のなかにある、まだ「ことば」にならないものを引き出し、一緒に生きること。「他人」もかわるが、引き受ける自分もかわる。その覚悟をもつことが「理解する」。
「ジャム・セッション」という同人誌の名前は、ふたりの関係を明確に語っている。「結論」はない。ただ、「はじめる」という「動詞」があるだけだ。「はじめる」は「かわっていく」でもある。
その「変化」、「かわる」は、「肉牛の眼」の最初の句にあらわれている。江里への挨拶、「ジャム・セッション」を読むひとへの挨拶の句。
「まえがき」がついている。「中学時代の教科書にあった随筆の内容を思い出して」とある。オウム真理教の引き起こした事件の死刑囚としてではなく、まだ何も知らなかった中学時代の自分を思い出して、そこから「自己紹介」している。できるなら、あのころへ帰りたいという思いがあるかもしれない。「習った」ことを、どうしたのか。それは書かれていないが、知らなかったことを「習う」。そして、それを「覚える」。あるいは、その瞬間を「思い出す」。ひととの出会いは、自分が無意識のうちに「覚えている」ことを「思い出す」ためにある。ひととの出会いは「覚えている」ことを「思い出させる」。「思い出させてくれた」江里への挨拶(感謝)として、この句を読んだ。
インドへ行ったら裸足で大地に触れる。裸足で触れることでインドのいのちに触れる。そう「習った」のだろう。「習った」ことを、正直に実践している。「笑われる」ということを「引き受けている」。ここにある「変化」も美しいと思う。
この「肉牛の眼」(肉牛の存在)は「幻」か。なぜ、中川は「肉牛の眼」を思い出したのだろう。いつ、中川は肉牛を見たのだろう。肉牛は何を受け入れていたのだろうか。何を受け入れていると中川は感じたのだろうか。
「映し過ぐ」という表現は、肉牛が出廷車を見ながら通り過ぎた、ということかもしれないが、私は「映し/過ぐ」とふたつの「動詞」として読んでしまう。肉牛が出廷車を「映している」。肉牛は動かず、その眼のなかを出廷車が「過ぎていく」。動いていくのは、あくまで出廷車(中川がそのなかにいる)である。ふたつの動詞が交錯して、その瞬間に「世界」が「ひとつ」のものとして結晶する。
肉牛は死刑囚の乗った出廷車を受け入れる。中川は中川をみつめる肉牛の眼を受け入れる。「現実」か「幻」か。断定はしない。その瞬間の「交錯」をただ「肯定する」。
深い悲しみ、悲しむことのできる「強さ」を感じる。
「二〇一一年一二月九日に、最高裁から判決訂正申立書の棄却決定書が届く。刑確定。この日は夏目漱石没後九五年の命日」というまえがきのある句。
「去私」か。「遠く」か。語られていないことばが重い。
「枯れて」というのか。「血」ということばがなまなましい。このとき中川は何を引き受けていたのだろうか。「遺す」という動詞から、「遺したい/遺りたい」という意思を感じる。細いものであってもいい。血のように、生きてきたということを遺したいということか。
「見る」。生き延びた結果として、蟻が蜘蛛の屍を運んでいるのを「見る」ことになった、という意味だろうか。あるいは蟻が蜘蛛の屍を運んでいるのを見て、もっと生き延びて「みよう」と思ったということか。生きるために蜘蛛の屍を運ぶ蟻のように、か。死んでなお、蟻の食料として「生きる」蜘蛛のように、か。「見る」も「生きる」も「死ぬ」も、断定できない。互いが互いを「引き受けている」。引き受けて「ひとつ」になっている。
江里の句では、
これが印象に残った。「一家族」という体言止めが何か不安定で、その不安定が「無防備」とぴったり重なり、くすぐったい感じがする。虹を一心に引き受けている。そのために自分を忘れてしまっている。その、おかしさ。かなしさ。美しさ。
江里と中川のあいだに懸かっている虹を思う。
「ジャム・セッション」は江里昭彦が中川智正と出している同人誌。江里が同人誌を思い立った理由が書かれている。
被告のころからすでに短歌・俳句の実作を試みていた中川氏は、私との面会が不可能になる直前、歳時記の差し入れを希望した。これからも継続して詩歌を作りたいという意思表示であると理解した私は、最後の面会において、ふたりだけで同人誌を出そうと提案した。
「これからも継続して詩歌を作りたいという意思表示であると理解した私は」には、ふたつの「主語/述語(動詞)」がある。「中川」はこれからも継続して詩歌を作りたいと「思っている/意思表示をした」。「江里」は中川の歳時記の差し入れ希望を詩歌を作り続けたいという意思と「理解した」。中川は俳句を作り続けたいと直接言ったわけではない。でも、江里は「理解した」。
そうか、「理解する」とは、こういうことなのか。「他人」を引き受けること。「他人」のなかにある、まだ「ことば」にならないものを引き出し、一緒に生きること。「他人」もかわるが、引き受ける自分もかわる。その覚悟をもつことが「理解する」。
「ジャム・セッション」という同人誌の名前は、ふたりの関係を明確に語っている。「結論」はない。ただ、「はじめる」という「動詞」があるだけだ。「はじめる」は「かわっていく」でもある。
その「変化」、「かわる」は、「肉牛の眼」の最初の句にあらわれている。江里への挨拶、「ジャム・セッション」を読むひとへの挨拶の句。
立春や卵も立つと習いけり
「まえがき」がついている。「中学時代の教科書にあった随筆の内容を思い出して」とある。オウム真理教の引き起こした事件の死刑囚としてではなく、まだ何も知らなかった中学時代の自分を思い出して、そこから「自己紹介」している。できるなら、あのころへ帰りたいという思いがあるかもしれない。「習った」ことを、どうしたのか。それは書かれていないが、知らなかったことを「習う」。そして、それを「覚える」。あるいは、その瞬間を「思い出す」。ひととの出会いは、自分が無意識のうちに「覚えている」ことを「思い出す」ためにある。ひととの出会いは「覚えている」ことを「思い出させる」。「思い出させてくれた」江里への挨拶(感謝)として、この句を読んだ。
笑われつつ裸足で踏みしインドかな
インドへ行ったら裸足で大地に触れる。裸足で触れることでインドのいのちに触れる。そう「習った」のだろう。「習った」ことを、正直に実践している。「笑われる」ということを「引き受けている」。ここにある「変化」も美しいと思う。
肉牛の眼が出廷車映し過ぐ
この「肉牛の眼」(肉牛の存在)は「幻」か。なぜ、中川は「肉牛の眼」を思い出したのだろう。いつ、中川は肉牛を見たのだろう。肉牛は何を受け入れていたのだろうか。何を受け入れていると中川は感じたのだろうか。
「映し過ぐ」という表現は、肉牛が出廷車を見ながら通り過ぎた、ということかもしれないが、私は「映し/過ぐ」とふたつの「動詞」として読んでしまう。肉牛が出廷車を「映している」。肉牛は動かず、その眼のなかを出廷車が「過ぎていく」。動いていくのは、あくまで出廷車(中川がそのなかにいる)である。ふたつの動詞が交錯して、その瞬間に「世界」が「ひとつ」のものとして結晶する。
肉牛は死刑囚の乗った出廷車を受け入れる。中川は中川をみつめる肉牛の眼を受け入れる。「現実」か「幻」か。断定はしない。その瞬間の「交錯」をただ「肯定する」。
深い悲しみ、悲しむことのできる「強さ」を感じる。
「二〇一一年一二月九日に、最高裁から判決訂正申立書の棄却決定書が届く。刑確定。この日は夏目漱石没後九五年の命日」というまえがきのある句。
刑決まり去私には遠く漱石忌
「去私」か。「遠く」か。語られていないことばが重い。
蜘蛛枯れて血のごと細き糸遺す
「枯れて」というのか。「血」ということばがなまなましい。このとき中川は何を引き受けていたのだろうか。「遺す」という動詞から、「遺したい/遺りたい」という意思を感じる。細いものであってもいい。血のように、生きてきたということを遺したいということか。
生きのびて見るや蜘蛛の屍はこぶ蟻
「見る」。生き延びた結果として、蟻が蜘蛛の屍を運んでいるのを「見る」ことになった、という意味だろうか。あるいは蟻が蜘蛛の屍を運んでいるのを見て、もっと生き延びて「みよう」と思ったということか。生きるために蜘蛛の屍を運ぶ蟻のように、か。死んでなお、蟻の食料として「生きる」蜘蛛のように、か。「見る」も「生きる」も「死ぬ」も、断定できない。互いが互いを「引き受けている」。引き受けて「ひとつ」になっている。
江里の句では、
虹仰ぐとき無防備の一家族
これが印象に残った。「一家族」という体言止めが何か不安定で、その不安定が「無防備」とぴったり重なり、くすぐったい感じがする。虹を一心に引き受けている。そのために自分を忘れてしまっている。その、おかしさ。かなしさ。美しさ。
江里と中川のあいだに懸かっている虹を思う。
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