詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

内山雄人監督「パンケーキを毒見する」(★)

2021-08-03 17:06:01 | 映画

内山雄人監督「パンケーキを毒見する」(★)(2021年08月03日、KBCシネマ2)

監督 内山雄人 

 菅の、「何もしゃべれない(自分のことば=思想を持たない)」愚かさを浮き彫りにしているが、その恐ろしさにまで迫っているとは言えない。それが物足りない。
 「出会い系バー(?)」に出入りしているということから、スキャンダルをでっちあげられた前川がなんとなく暗示しているが、菅は内閣調査室をつかって多くの人の「暗部」を握っているのだろう。そして「公表されたくなかったら俺の言うことを聞け」という形で他人を支配している。前川は、出会い系バーの問題では何も後ろめたいことをしていないので平然としていたが、ほかの人は平然とはしていられない「秘密」を持っているのかもしれない。それは自民党議員も野党議員も、官僚も、それから一般の企業経営者も同じかもしれない。そう考えないことには、あんなに何もしゃべれない人間がトップでいられるはずがない。
 共産党の小池に追及されたとき、加藤が「代弁」し、菅に質問した、菅が答えろと言われて、「加藤が言った通りです」という国会答弁があったが、それが象徴的だ。管は、小池の質問も加藤の聞いていない。理解していない。加藤の答弁を理解しているなら、「加藤の言った通りです」と言わずに、しれーっとして、それをそのまま言いなおせばいい。それができない。それすらできない。自分の問題として理解していないからだ。小学生だって、だれかの「言い訳」がうまいと思ったら、それを即座にコピーできる。あ、こう言えばいいんだと理解し、狡賢くふるまう。それができないのは、何が原因で菅が追及されているか、それすら理解していないということだろう。理解しているのは、追及されている。追及をかわさないといけない、ということだけなのだ。
 何の答弁だったか忘れたが、官僚が急ごしらえで書いた「答弁」をそのまま読むシーンも再現されていた。急ごしらえなので「ふつう体(である体)」で書かれている。少し頭を働かせれば、「である」を「です、ます」に変えることくらいできるのに、それすらできない。
 口からでまかせの安倍の嘘がいいというわけではないが、その口からでまかせで乗り切るということが菅にはできない。嘘のためのことばも持っていない、ということだ。
 ここからわかるのは、やはり「脅し」だけである。「おまえには知られたくないことがあるんじゃないのか。私はそれを知っている。ばらしてもいいか」。ばらされたって、それで命がなくなるわけではないだろうが、みんな見栄っ張りなので、おとなしくしている。それだけではなく、菅を持ち上げている、ということか。菅を尊敬しているのではなく、ただ菅を恐れている。
 この映画は、菅の「出世(?)」を「博打」にたとえていたが、「博打」に菅は次々に失敗している。それなのに失脚せずに、逆に出世している。ここにも、ほんとうは注目しなければならない「何か」がある。ふつう、一般庶民は博打にまでは手を出せないが、パチンコや競馬、仲間内のマージャンなどで「負け」が込むとにっちもさっちもいかなくなる。借金に手を出し泥沼にはまる、ということも起きる。菅がそうならないのはなぜなのか。「博打」といえば「やくざ」である。そういう「うさんくさい」何かを監督はつかみ、暗示しようとしているのかもしれないが、よくわからない。博打で負けても、負けをチャラにするだけの、相手の「弱み(秘密)」をちらつかせて、負けても負けても、勝負(賭け)ができるのかもしれない。
 女博徒がさいころを振るシーンをばかばかしい演出と思ってみていたが、それはばかばかしい演出を超えた「暗示」なのかもしれない。前川を脅し、口封じをしようとした行為に通じるものが、その演出に隠されているかもしれない。もし、そうであるなら、この演出はおもしろいが、実際のところはよくわからない。
 映画の最後に、若者が出てきて、政治と若者について語ったが、菅に対して、あるいは日本の政治に対して「恐怖」を感じていないのが、なんとも不気味だった。恐怖を感じていないから、怒りも感じていない。つまり批判にならない。政治を語ることさえ、なんというか「保身」のための行動に見えてしまった。
 「新聞記者」と同様、どこまでも追及してやる、という気概が伝わって来ない映画なので、私は、見て損をした、と思った。管に接近はしているが、素顔に迫るにいたっていないし、素顔を暴くとは、到底言えない。日本の映画の限界なのかもしれない。
 映画館は、私を含め、高齢者でいっぱいだったが……。

 


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岡田哲也、横手じゅんこ『春は自転車に乗って』

2021-08-03 10:12:17 | 詩集

岡田哲也、横手じゅんこ『春は自転車に乗って』(花乱社、2021年07月21日発行)

 『春は自転車に乗って』は詩画集。詩を岡田哲也が書き、画を横手じゅんこが担当している。絵は引用できないので、ことばだけ引用する。

  おんぼろ自転車に
  パッパとパパはふたりのり
  ふたりのりの自転車は
  パパとハッパの好きなもの

 書き出しの4行だけで、あ、この詩はいいなあ、と感じる。「ハッパ」という名前がいい。「パッパ」は小さい。幼い子どもだとわかる。女の子かなあ。男の子でもいいが、女の子の方がいい。「ハッパ」という響きのなかに、はつらつとした元気さがある。
 これがナツコだったり、ヨウコだったりしたら、たとえナツコちゃん、ヨウコちゃんと書いてあったとしても、こんなに楽しくはない。
 ハッパはパパと音が似ていて、響きあう。だから、それだけで「仲良し」のイメージがつたわってくる。
 ハッパとパパとはじまって、次にはパパとハッパと順序が入れ替わるのもいい。ふたりは対等なのである。対の感じがとても気持ちがいい。
 この「ハッパ」は先へ進むと、こんな具合にかわる。

  自転車は大きな橋を渡る
  ハッパは川をのぞく
  「ここには カニさんがいるの」
  「うん アユやナマズもいるよ」
  「カッパもいるの」
  パパも川をのぞく
  「カッパだっているよ」

 ハッパ、カッパ、パパ。とても楽しい。「川」もここでは必然性がある。池や湖、沼ではだめだ。「かわ」の音がカッパ、ハッパ、パパへとつながっていく。

  「あっ いたっ
  カッパの頭 ほらっ」
  ハッパが叫ぶ
  「ほらっ まんまるいあの石」
  「ほんとだ」
  流れのなかに浮かぶ
  てっぺん禿の石ひとつ
  川はデコポンを千個頬ばったみたいに
  まぶしく光っている

 ふと、パパは禿かもしれない、などと思ってしまう。「川はデコポンを千個頬ばったみたいに」の一行がほんとうに鮮やかだ。デコポンはイメージそのものと同時に、音としても楽しい。ハッパ、カッパ、パパ、デコポン。異質な音が入ってくることで、ハッパ、カッパ、パパがより自然になるし、同時に、それが破られて新しいことがはじまる予感もあふれてる。

  自転車は中学校のよこの
  ●(せんだん)の木のしたを通る
  教科書のようにウグイスが鳴く
  「ほう ほけきょ けきょ」
  よく出来ました
  ハッパが先生のようにうなずく
              するとパパが口笛を吹く
              「ふう ふけひょ へひょ」
              ハッパが笑う
              「ウグイスのほうが じょうずだね」
              ウグイスも笑う
              けきょ けきょ けきょ
                 (注 「せんだん」は木偏に諫早の諫のつくり)

 ウグイスをまねた口笛の音が傑作。これが「わざと」ではなく自然に聞こえてくるのは、それまでの音の楽しさがあるからだ。

  穴ぼこに自転車がはいる
  パパのおしりがごとんと跳ねる
  ハッパのおしりもことんと跳ねる

 この「ごとん」「ことん」もとてもいい。
 横田の画は「貼り絵」。色が濁らない感じがいいなあ。

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オリンピックは中止すべきだ(15)

2021-08-03 09:19:14 | 考える日記

 8月3日の読売新聞の一面(西部版・14版)

「入院 重症者ら限定」に転換/感染者急増地域 自宅療養 基本(見出し)
政府は2日、新型コロナウイルス感染者の療養方針見直しを決めた。感染者が急増している地域では自宅療養を基本とし、入院は重症者や重症化のおそれが強い人などに限る。
↑↑↑↑
 この前文だけでは、真剣に読まないとなんのことかわからないが、いままでは「軽症」の場合も入院できたが、今後は軽傷者は受け入れないということだ。「入院は重症者や重症化のおそれが強い人などに限る」がポイント。コロナ感染者は隔離病棟で徹底治療するという方針をやめて、重症者だけを病院に受け入れることにする、という具合に、どこがかわったのかわかるように書かないといけない。変わることによって、医療が充実するのが、それとも患者が見すてられるのか、そういうことを問題視しないといけない。
 記事を読んでいくと、こう書いてある。
↓↓↓↓
 入院患者を重症者や重症化リスクの高い人などに限り、その他の感染者は自宅療養を基本とする。家族に感染させかねないといった事情があれば、ホテルなどでの宿泊療養を認める。いずれの場合も、症状が悪化すればすぐに入院させる。
↑↑↑↑
 これも非常にわかりにくい。いままでの「経緯」を知らないと、理解しにくい。いままでは、入院できなかった人は、ホテルなどの宿泊施設で療養し、宿泊施設にも入れない人は自宅療養だったのが、順序が逆になる。入院患者以外は自宅療養。家庭内感染のおそれがある場合は宿泊療養にする。

 で。
 ここで私がいちばん疑問に思うのは、なぜ、こういう「方針」がいまごろでてくるか、ということ。こういう方針を打ち出すのは、コロナが終息に向かっているからではなく、まだまだ拡大するおそれがあると見ているからである。
 まだまだ拡大すると見ているのなら、「自宅療養を基本」とするのではなく、さっさと専門病棟をつくる、専門スタッフを養成するべきだろう。コロナ感染がはじまったころ、中国は専門病棟を建設し受け入れた。勧告はPCR検査を徹底した。その両国は、そうすることで感染の拡大を防いだ。日本も中国、韓国に学んで、同じ方法をとればよかったのである。「手本」があるにもかかわらず、1年半以上も何もせず、あげくのはてには感染防止策が見当たらないので、逼迫しないように「入院は重症患者に限定」。これは、対策として逆行しているだろう。
 いまからでも病院を建設すればいい。患者の早期発見にPCR検査を徹底すればいい。しかし、そうしない。病院を建設したくない、PCR検査もしたくない。金がかかるからである。金がかかることは何もしたくない。
 緊急事態宣言で休業する人への支援金を出さないのも同じ。
 税金は、政府の(菅の)小遣いではない。国民が助け合い(公共の福祉)、生きていくための「所得の再配分」としてつかわないでどうするのだ。金を使わずにすまそう、すまそうとして、最初に病院建設、PCR検査を結果が、こうなっている。しかも、コロナ感染がまだまだ拡大すると予測している。だから、金がかからない方法を必死になって探している。医療が後退するのに、あたかもそれが「効果的」であるかのように宣伝している。それを、読売新聞は、そのまま、政府の言う通りに「新方針」として宣伝している。
 批判力をなくしたジャーナリズムの典型である。

 それにもまして不思議でならないのが、こんなふうにまだまだ感染が拡大するという認識がありながら、なおかつオリンピックを継続していることである。
 オリンピック関係の感染者はどうなっているか。
↓↓↓↓
 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は2日、ボランティアら海外から来日した6人を含め、新たに17人が新型コロナウイルス検査で陽性と判定されたと発表した。選手村(東京都中央区)の滞在者は含まれていない。組織委が7月1日に公表を始めてから、大会関係者の陽性者は計276人となった。
↑↑↑↑
 感染が止まらない。「ボランティアら海外から来日した6人」というのは具体的には、ボランティアが何人で、その他の関係者が何人なのか、いつ来日したのかなどがわからない。「ボランティアら」は選手よりももっと多くの人と触れ合うだろう。いったい「濃厚接触者」は何人なのか。なぜ、濃厚接触者数を公表しなくなったのか。

 コロナ感染者の病院をつくらず、自宅療養を強いる方針を掲げて、オリンピックを続行するのは、あまりにも無責任である。即座に中止すべきである。

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