関根由美子『川を洗う日』(詩的現代叢書47)(書肆山住、2021年08月12日発行)
関根由美子『川を洗う日』の巻頭の「川を洗う日」。「川」は「川」であると同時に「記憶」である。あるいは「記録」である。「記録」を思い出す日。どんな「記録」かは書かない。けれど……。
今日は 川を洗う日です。
川の家から回覧板がまわってきた
手に
手に
亀の子タワシをもって
川を洗う
波に
訊いて
傷めないように
川衣を捲くって洗う
川は
人々の吐く
汚れを呑み
水底に沈めた
石に
水草に
ぷわり ぷわり
不気味な 泡
ぬるり
身をかわすから
捉えようもない
川底に 棲みついている
厄介者
ぬるり
今日は川を洗う日です。
「傷めないように」ということばに、川に対する愛着がある。「川を洗う」にも愛着があるが「傷めないように」はそれをさらに推し進めている。体が動くだけではなく、こころが動いている。
こころは、川が「沈めた」もののことを思っている。川は「沈めた」のだが、関根は「沈めた」という事実を「川底に 棲みついている」と言い換えている。こころは、川が沈めたのではなく、川底を選んで住んでいると言いなおすのである。だから、「傷めないように」という具合にも、こころは動くのだ。
そのこころと、肉体が、川に出会って、その反応が「感覚(肉体反応)」のことばを引き出す。肉体を生きているものだけが感じる何か。川底に住んでいるものたちからつたわってくる、「生の感覚」。
「ぷわり」「ぬるり」。
このことばを、私自身のことばで言いなおすことはむずかしい。「ぷわり」も「ぬるり」も知っている。しかし、私の知っている「ぷわり」「ぬるり」は関根の書こうとしているものとは違うかもしれない。違っていても、どこかに共通点はあると思う。その、ことばにしにくいものが「ぷわり」「ぬるり」から迫ってくる。肉体が受け止めてしまう(受け止めなければならない)何か。
「不気味」「厄介者」。でも、それは、忘れることができない。忘れらないから「不気味」「厄介者」なのかもしれない。
どんな場所でもそうかもしれないが、そこで生きてしまうと、それが厳しい現実であっても、その場所を愛さずにはいられない。生きてきた記憶があるからだ。肉体は、それを忘れることはできない。
そういうことと関係があるのか、ないのか、すぐにはことばが定まらないが、「切符」の次の二連がとても印象に残った。
古い木のベンチの端で
電車を
待っていると
黄色い声のお婆さんがやってきた
待っているとね、電車は 来ないんさぁ
手を振ってね、こうゆうふうにねぇ
遠くの電車の軋る音を 呼び寄せるんだよ--。
川を洗う、は、この「呼び寄せる」に似ているだろう。何に対しても働きかけない限り、何かがやってくるということはない。しかし働きかければ、やってくる。「ぷわり」「ぬるり」が「やってくる何か」が「やってきた」証拠なのかもしれない。つまり、そこには「肉体」が感じる「再会」があるのだ。
「電車」もそうだねえ。一期一会の出会いではなく、それは「再会」である。「黄色い声のお婆さんがやってきた」とは再び会わないかもしれない。それこそ一期一会かもしれない。けれど、ことばにして、こうして詩に書いたとき、そこには「再会」がある。電車のように、「待っている」関根の方へやってくる。そういう感じがする。
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