詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

自民党憲法改正草案再読(21)

2021-08-10 12:31:58 |  自民党改憲草案再読

(現行憲法)
第33条
 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。
(改正草案)
第33条(逮捕に関する手続の保障)
 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、裁判官が発し、かつ、理由となっている犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

 「権限を有する司法官憲」が「裁判官」に変更されている。「司法官憲」は裁判官や検察官を指すと思う。なぜ検察官が除外されたのかわからない。
 思い出すのは、安倍の「お友だち」が強姦事件を起こした。裁判所から逮捕状は出たが、逮捕寸前に差し止められた。逮捕に向かっていた警官の上層部が差し止めた、と言われている。
 第33条は、令状がなければ、そのひとがだれであろうが逮捕されない(権力は逮捕してはいけない)ということを意味していると思う。これは被害者の側から言えば、逮捕状が出たなら加害者(容疑者)は「逮捕される」を意味すると思う。逮捕→裁判と進み、判決によって加害者が罰せられる。そのことによって、被害者の人権が守られると考えることができる。手続きを踏んでいるにもかかわらず、被害者救済の道を閉ざし、加害者(容疑者)を逮捕しないというのは、被害者にとっては二重の苦痛である。
 第32条の「裁判を受ける権利」は、被害者にとっては「裁判を受けさせる権利」でもあるだろう。それを、逮捕する主体(警察側)によって封じられたというのが、安倍のお友だちの強姦事件である。
 裁判所の「令状」よりも、警察上部の「命令」の方が、現実の中で大きな力として働いた。「検察側」を令状の発行主体から除外したのは、もしかすると、そういうことと関係があるかもしれない。
 もし、裁判所が逮捕状を出しても、権力側が「逮捕したくない」ときは逮捕せずにすませるために、あえて発行の主体を「裁判官」に限定したのかもしれない。捜査機関である検察が逮捕状を出したのに、捜査の実行者である警官が逮捕を遂行しないのでは組織が成り立たない。しかし、裁判所の出した令状ならば、捜査機関がそれを無視することもできるだろう。それが、安倍のお友だちの強姦事件ではなかったか、と思う。
 そう考えると、この事件の動きもまた、改憲草案を先取り実施していることになる。

(現行憲法)
第34条
 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
(改憲草案)
第34条(抑留及び拘禁に関する手続の保障)
1 何人も、正当な理由がなく、若しくは理由を直ちに告げられることなく、又は直ちに弁護人に依頼する権利を与えられることなく、抑留され、又は拘禁されない。
2 拘禁された者は、拘禁の理由を直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示すことを求める権利を有する。

 この変更もよくわからない。私自身を、この条文の中で動かしてみるということができないからである。逮捕されるような犯罪を犯した自覚がないから、その後のことも想像できない。
 「正当な理由がなく、もしくは」が挿入され、「且つ、」が「又は」に言いなおされている。
 どういうことなのだろうか。
 挿入された「正当な理由がなく」から考えてみる。
 「逮捕されるような犯罪を犯した自覚がない」と書いたが、逮捕寸前までいったことがある。横断歩道を自転車に乗って渡っていたとき、歩行者に危険を与えたというので警官に呼び止められた。だれかが、怪我をしたとか、悲鳴を上げたとか、危ないと怒ったとかというのではない。警官によると私の自転車といちばん近い歩行者は「1メートル」くらい離れていたそうである。1メートルと言うのは人の感覚によって違うだろうが、福岡市の歩道ではもっと近い距離を自転車が通り抜ける。それこそ接触寸前。それに比べると、かなり離れていると思う。で、そのあと。私は、福岡地検にまで呼び出された。「次は逮捕する」という忠告であった。
 そこから、強引に(?)考えるのであるが。
 「正当な理由がなく」は、逮捕する側から(警察側から)みて、「正当な理由」と判断すれば、逮捕できるということにならないか。横断歩道を自転車に乗ったまま走行することは道交法違反である、といえばそうなのだろうが、福岡市では横行している。でも、逮捕されたという話は、私は聞いたことがない。私が自転車事故の被害者になったとき、実況検分の現場の交差点では、警官の目の前を自転車がすいすい走っていく。途中から車道を逆走して路地へはいる自転車もある。でも、注意すらしない。そういう状況がある一方、走行するとき「1メートル」まで接近すると危険である。歩行者に危険を与えたと、警官が判断し、それを「正当な理由」と考えれば、「逮捕できる」。そういうことをするための改正ではないのか。(ちょっと脇道にそれるが、私が警官に注意され、地検まで呼び出されたのは、松井久子監督の「不思議なクニの憲法」の上映会を企画していたころである。安倍批判をブログに書き続けていたころである。ある友人が「地検まで呼び出されるというのは、そのせいじゃない?」と言った。)
 第31条の「適正な」という文言の挿入に似ている。だれが「適正」「正当」と考えるか。そのことが問題になってくる。「正当な理由」とは第33条との関係で言えば、「裁判官の逮捕状」が「正当な理由」になるだろうから、わざわざ第34条で「正当な理由」を挿入する必要はない。しかし、挿入する。そこには、裁判官以外のだれかが判断した「正当」というものがあるということだ。
 それは逆に言えば、逮捕状がでいているときでも、だれかがそれを「正当な理由」と判断しないときは逮捕しないということが起きうることを意味するだろう。安倍のお友だちの強姦事件のように。
 「且つ」から「又は」への変更は大問題である。「且つ」は同時である。つまり弁護人の存在は必須である。しかし、「又は」では弁護人が不在でも「抑留、拘禁」が可能なのだ。私もそうだが、多くの人は法律のことなど知らない。何が犯罪か、ということも知らないことが多い。人を殺したり傷つけたり、ものを盗んだりすれば犯罪だとわかるが、それ以外のことはあまり知らないだろう。それは何かをしたときの自分の「権利」について知らないことに通じる。だから、自分の変わりに弁護をしてくれる専門家が必要なのだ。その専門家が不在のまま、抑留、拘禁されるということは、それにつづく取り調べでも、何もわからないまま取り調べを受けることになる。自分は逮捕されるようなことはない、と思い込んでいてはいけない。逮捕(抑留、拘禁)のの「正当な理由」は、私が考える「正当な理由」ではなく、警察の考える「正当な理由」なのだから。
 「適切」とか「正当」ということばは、まっとうにみえる。なんの問題もないようにみえる。だからこそ、危険。だれが「適切」「正当」と考えるか。「主語」が必要な、「主観的」なことばである。
 分割された第二項。ここでは「公開の法廷で示されなければならない」が、「公開の法廷で示すことを求める権利を有する」に書き換えられている。何回も書くが、「権利を有する」としても、「権利を侵害される」ということがある。憲法で大事なのは、国(権力)が国民の権利を侵害してはいけない、と「禁止」をつきつけることである。「権利を有する」と規定するだけでは、国(権力)の暴走は防げない。憲法は国への禁止時効でなければならない。

(現行憲法)
第35条
1 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第33条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。
(改憲草案)
第35条(住居等の不可侵)
1 何人も、正当な理由に基づいて発せられ、かつ、捜索する場所及び押収する物を明示する令状によらなければ、住居その他の場所、書類及び所持品について、侵入、捜索又は押収を受けない。ただし、第33条の規定により逮捕される場合は、この限りでない。
2 前項本文の規定による捜索又は押収は、裁判官が発する各別の令状によって行う。

 ここでは「侵されない」(権力は、侵してはならない)が、「受けない」と書き直されている。「受けない」では、「住居、書類及び所持品」が個人の自由(権利)であることがわかりにくい。どこに住むか、何を持つかというのは個人の自由であり、個人の権利である。それは、「侵されない(侵してはいけない)」というのが現行憲法。改憲草案は、個人の権利、自由を尊重するのではなく、国民を憲法で縛ろうとしているのは、こういう細部からもわかる。いちばん大事なのは国民の権利、自由である。それを国は「侵してはならない」。その意識がない。だから、国に対する「禁止条項」をなくすのである。

 

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オリンピックは中止すべきだった(21)

2021-08-10 09:56:12 | 考える日記

 8月10日の読売新聞(西部版・14版)。コロナ感染の続報。
↓↓↓↓
 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会は9日、新たに大会関係者28人が新型コロナウイルス検査で陽性と判定されたと発表した。組織委が7月1日に公表を始めてから大会関係者の陽性者は計458人となった。
↑↑↑↑
 458人、で集計(発表)を終えるのだろうか。それが気懸かりである。
 というのも。
 引き続き行われるパラリンピックでは、こう書いてある。
↓↓↓↓
 東京パラリンピックに出場するため8日夜に来日したガーナ選手団10人のうち男性スタッフ1人が、成田空港での新型コロナウイルス検査で陽性と判明した。男性は、検疫所が指定した施設で療養している。ホストタウンとして選手団を受け入れる福島県猪苗代町が9日、発表した。
 選手ら残る9人は9日、バスで空港から町内のホテルに移動した。県会津保健福祉事務所は9人をホテル内に隔離し、今後PCR検査を実施する。選手団は22日まで事前合宿を町内で行い、24日に開幕するパラリンピックに出場する予定だ。
 浜松市で事前合宿中のブラジル選手団のスタッフ1人も、来日した6日に成田空港で新型コロナ感染が確認された。市は9日、選手団約120人のうち52人を濃厚接触者と特定し、宿泊施設で待機させている。
↑↑↑↑
 五輪選手団の、最初の頃の陽性者判明報道と同様に、ていねいに「濃厚接触者」のことまで書いてある。五輪選手団については、途中から濃厚接触者情報が消えた。きょうの新聞にも、濃厚接触者の累計はどこにも書いていない。
 ところで、オリンピック、パラリンピックは別のものであるが「一体」のものでもある。コロナ感染者も「一体」のものである。ウィルスはオリンピック、パラリンピックを気にしないし、選手団、関係者、観客、その周辺の人々をも区別しない。
 だから最初に引用した記事の「組織委が7月1日に公表を始めてから大会関係者の陽性者は計458人となった」で分析を終わらせてはいけない。パラリンピックに関する発表が「組織委」ではなく、猪苗代町、浜松市であることにも、私は大きな疑問を感じている。なぜ「組織委」ではないのか。「組織委」はパラリンピックを無視しているのか。切り離そうとしているのか。
 読売新聞は1面で、オリンピックの「検証」をはじめているが、その「検証」では、オリンピック→パラリンピックとつづいていくコロナ感染は書かれたとしても、切断された断片情報になるだろう。選手それぞれの活躍は個別だが、コロナウィルスの活動は「デルタ株」「ラムダ株」、さらに「東京株」と代わって言ったとしても個別ではない。そのことを忘れてはいけない。

 だから。

 管が五輪とは関係がないと主張している国内の感染状況も見てみる。
↓↓↓↓
 国内の新型コロナウイルス感染者は9日、46都道府県と空港検疫で新たに1万2073人確認された。1万人以上は7日連続。死者は12人、重症者は前日より52人増の1190人だった。
 東京都の新規感染者は2884人で、約7割が30歳代以下の若年層だった。1日の感染者が3000人を下回るのは今月2日以来1週間ぶりとなったが、月曜としては過去最多。
↑↑↑↑
 東京は、一見、減っているようにもみえるが「月曜日としては過去最多」。減っていない。東京以外の状況を見ると、神奈川2166人、埼玉1160人、千葉952人、大坂995人。マラソンのあった北海道310人。このあと北海道の感染者が減るなら、五輪は感染と無関係といえるだろうが、今後増えるなら、絶対に関係があることになる。この「310人」は「基準点」として記憶しておく必要がある。
 大阪995人に関しては、web 版に載っている。
(https://www.yomiuri.co.jp/national/20210810-OYT1T50037/ )
↓↓↓↓
9日の府内の新規感染者は995人。9日までの直近1週間の累計は7980人で、人口10万人あたりでは90人と「第4波」のピークと並んだ。前週からの増加比は1・4倍で、「どこまで増えるか、天井が見えない」(府幹部)状況だ。
↑↑↑↑
 大騒ぎした「第4波」は「第5波」の「予告」のようなものだったのかもしれない。
 前にも書いたが、コロナウィルスの感染が(陽性が)表面化するのは、1-2週間後であることが多いようだ。東京オリンピックは「終わった」のではなく、東京オリンピックを要因とする感染は「はじまった」ばかりであり、それはパラリンピックへとつづいていく。パラリンピック開幕まで2週間あるが、その間に感染者がゼロに向かって激減するのではなく、まだまだ拡大するのだ。それはパラリンピックへ向けて入国した選手団のなかから陽性者が出たことからもわかる。感染者が「減る」要素はどこにもない。
 何度でも書く。
 東京リオンピックは中止すべきだった。パラリンピックも中止すべきである。私の気持ちとしては、オリンピックは中止してもパラリンピックはやってもらいたいという思いはあるが、コロナ感染のことを思うと中止すべきだと思う。
 あちこちで、管はパラリンピックは中止することを前提にオリンピック開催を強行したと書かれている。これはあきらかな商業主義と差別である。そんな差別を許すわけにはいかない。だからこそ、オリンピックが終わったあとでも、私は「東京オリンピックは中止すべきだった」と言い続ける。差別を許さないために。パラリンピックを中止するなら、オリンピックは中止すべきだったのだ。パラリンピックの「安心安全」が保障できないなら、オリンピックは中止すべきだったのだ。

 

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