詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

マイナーバーカードで管理(読売新聞を読む=2023年05月08日)

2023-05-08 21:53:06 | 読売新聞を読む

 2023年05月08日の読売新聞夕刊(西部版・4版)に不気味なニュースが載っていた。(番号は、私がつけた。)
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登下校 マイナで管理/保護者スマホに通知/今年度実験(見出し)
 政府は、マイナンバーカードで学校が児童・生徒の登下校状況を管理するシステム開発を後押しし、希望する全国の自治体への普及を目指す。島根県美郷町が今年度、実証実験に着手する。①共働き世帯が増加する中、デジタル技術を活用し、学校や保護者が子どもを見守りやすい環境を整える狙いがある。
 ②新たなシステムは、児童らが登下校する際に学校の各教室などに設置した専用の読み取り機にカードをかざし、時刻を記録するものだ。③保護者にはスマートフォンに通知が届き、学校側もパソコンなどで登下校の状況を速やかに把握することができる。
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 記事は、①「学校や保護者が子どもを見守りやすい環境を整える狙い」と書いているが、②のシステムは「児童らが登下校する際に学校の各教室などに設置した専用の読み取り機にカードをかざし、時刻を記録する」と書いている。これでは、子どもが学校にいつ到着し、いつ学校を出たか、しかわからない。これで③「保護者にはスマートフォンに通知が届き、学校側もパソコンなどで登下校の状況を速やかに把握することができる」ことになるのか。
 家を朝の8時に出た。学校に9時になっても着かない。あるいは学校を4時に出た、しかし9時になっても家に着かないとき、登下校の過程で何かがおきたのかもしれないと想像はできるが、これでは「子どもを見守る」ことにはならないだろう。親が「子どもがまだ学校に到着していない」(子どもがまだ家に帰っていない)ことがわかるだけである。だいたい、子どもが学校に行っているとき、つまり学校に着いて、授業が終わって学校を出るまでは、学校の中にいるわけだから、基本的に「子どもは見守られている」。
 子どもの通学で問題になるのは、学校にいる時間ではなく、学校にいない時間である。記事の末尾に、きちんとこう書いている。
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 児童の登下校を巡っては、全国的に防犯ボランティア団体が見守りを担ってきた。ただ、高齢化などを理由に2016年の4万8160団体をピークに減少しており、④子どもを狙った犯罪が増加する中、通学時の安全確保が課題となっている。
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 子どもを狙った犯罪は通学時に起きる。つまり④「通学時の安全確保が課題となっている」のである。②の「児童らが登下校する際に学校の各教室などに設置した専用の読み取り機にカードをかざし、時刻を記録する」では、通学している「時間」はまったくわからない。子どもがどこにいるか、わからない。これでは①の「子どもを見守る」という目的は果たせない。
 まったく、役に立たない。

 で、問題は、これからである。読売新聞は何も書いていないが、私のような疑問をもつ人間は必ず出てくる。見守らなければならないのは「登下校の時間」(学校の中にいない時間)である。そのために「防犯ボランティア団体」が活動しているのだが、②の「児童らが登下校する際に学校の各教室などに設置した専用の読み取り機にカードをかざし、時刻を記録する」というシステムは、まったく「防犯ボランティア団体」と関連づけられていていない。
 ここから、きっと②「児童らが登下校する際に学校の各教室などに設置した専用の読み取り機にカードをかざし、時刻を記録する」というシステムでは不十分だ。子どもをほんとうに見守るなら、「子どもが家を出発してから学校に到着するまで、学校を出てから家に到着するまでの過程を見守るシステム」が必要ということになるだろう。子どもの「常時監視」である。いまでも「防犯カメラ」がその役割をになっているが(問題がおきたとき、防犯カメラが調べられるが)、それがもっと頻繁になる。各通学路に改札口のような「ゲート」がいくつも設置され、そこのマイナンバーカードをタッチさせて通過する。そういうことになりかねない。
 これは、きっと「監視社会だ」という批判に晒され、成功しないだろう。
 そういうことは分かりきっている。だからこそ、「学校」で、その「訓練(苦情を言わない人間を育てる)」ということがはじまるのだ。批判力のない「幼稚園」「小学校」のときから、どこかを通過するたびにマイナンバーカードをタッチさせる。そうすることで「安全が守られる」と教え込む。それに慣らされてしまえば、どこへ行くにも「マイナンバー読み取り機」にタッチすることが「常識行動」になってしまう。「マイナンバー読み取り機」が「安全を守る」という保障になり、それを「監視」と気づかなくなる。
 狙いは、「子どもの安全を守る」なく、「監視に慣れさせる」ことである。その実験がはじまるのである。
 最初の実験が「島根県美郷町」というのも、私には、とても不思議である。「島根県美郷町」というのは、子どもの登下校で問題が置きやすい要素があるのだろうか。子どもを狙った犯罪が多い地区なのだろうか。そうではなくて、行政のやることに対して疑問の声を上げることが少ない地区なのではないのか。単に実験がしやすい場所が選ばれているだけなのではないのか。

 それにしてもねえ。

 私はつくづく思うのだが。こんなふうに「管理」して、ほんとうに子どもの安全が守れる? だいたい、「ずる休み」もできないなんて、つまらなくない? 親にも先生にも嘘をつく。それが「自立」の一歩というものではないだろうか。「行ってきます」と家を出て、友だちと誘い合わせて、家に引き返し、漫画を読む、ゲームをする、そういうことをする楽しみ(息抜き)がなくて、よく学校へ行けるなあ、と私なんかは思ってしまう。
 それは、ともあれ。
 これは、「子どもの安全」を掲げた「監視社会(管理社会)」の第一歩だ。反対運動を起こすべきである。なんといっても、子どもは行政に対して「反対運動」を起こせるだけの「意識」がない。それが、狙われている。「島根県美郷町」が狙われたのも、きっと、そうである。

 

コメント
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