詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

佐々木洋一『でんげん』

2023-05-25 20:37:55 | 詩集

 

佐々木洋一『でんげん』(思潮社、2023年05月25日発行)

 佐々木洋一『でんげん』の「シャバシャバシャバシャバ」。「娑婆」なのだが「バシャバシャ」と聞こえる。ことば(音)は、意味を裏切ることがある。裏切るのではなく、広げる、と考えた方がいいのかもしれない。

川の底に足を突っ込んで
泳ぎもはしゃぎもせず
ただシャバシャバ泥の底をこぐ
何がどうした
現は川の流れを必要としない
川面の浮き沈みも関係ない
ただむかしの思いのぬめりした川の底に足を入れ
シャバシャバシャバシャバ
何事か思うわけじゃなく
夕陽にもたれるわけじゃなく
シャバシャバシャバシャバ

 この展開のなかでは「シャバシャバシャバシャバ」はもちろんなのだけれど、「ただむかしの思いのぬめりとした川の底に足を入れ」の「ぬめり」という音がいいなあ。「シャバ(娑婆)」の「ぬめり」か。ほかの音では、きっと間に合わない。
 引用しなかったが、前半には「泥だらけ」「泥まみれ」ということばがあるが、「ぬめり」は、ちょっと違う。

この澱みにへばりつこうとしている

 このあとに出てくる「へばりつく」とも少し違う。似ているが。
 あれこれ思い返すと、引用部分にある「もたれる」が何か似ている。「夕陽にもたれるわけじゃなく」は、あえて主語を書き加えると、佐々木が、ということになる。「ぬめり」は佐々木が発生源であるよりも、他者(社会、娑婆)が発生源なのだろうけれど、それにしたって、どこかに「依存関係」がある。
 一方だけが原因ではない。
 あ、これだね、「音」と「意味」の交錯は。「音」でけではない。「意味」だけでもない。「一方」だけではない。こういう「一方だけではない」ものと向き合うのは、それこそ「シャバ(娑婆)」の「処世術」というものか。
 説明したってしようがない。だから、私も、これ以上は書かない。

 でも、書きたい。

 たとえば、こんなことを。「あたらしい夜」という詩がある。

新しい朝が在るなら
あたらしい夜があるはずだ

 これは、たぶん「明けない夜はない」ということばと「対」になる「一方」である。こんな連がある。

あたらしい夜にはあたらしい絶望が生まれるはずだ
絶望には目のない幼鳥や引き裂かれた獣や溺れる鮟鱇の叫びが
気休めと慰めと孤高が
解放されているのだ

 「明けない夜はない」と主張するひと、そのことばを「希望」として信じるひとには申し訳ないが、その反対のものもあるのだ。そして、それは、なんというか、とても私を温かく受けとめてくれると感じてしまう。「溺れる鮟鱇」がいるかどうか知らないが、鮟鱇さえ溺れるというのは、何か安心してしまうなあ。鮟鱇が溺れるなら、人間が溺れたって何の不思議もない。

あたらしい夜には虫が這う
ぞろぞろ闇の方へ這っていく
あたらしい夜には闇の方へめしべがぞろぞろなびき
楽しくないか美しくないか 咲き競う

新しい朝が来るなら
あたらしい夜もくるはずだ

そこではあたらしい呻きがうまれているはずだ
これまでのいきものがいとしいいとしいと呻いているはずだ
いとしいいとしいと呻いては
いまわしい夜のしじまを生き抜いているのだ

 ふいにあらわれる「生き抜いている」という強い動詞。
 ひとのこころは、どんなことにも共感してしまう。そういう錯誤は、けっして整えてしまってはいけない何かなのだと思う。
 「シャバシャバシャバシャバ」は「バシャバシャバシャバシャ」とがんばって洗ってみても、きっと「ぬめり」を残している。それがないと、きっと、つらい。

 「骨骨骨」には「こつこつこつ」とルビがついている。「骨骨」は別の詩でも出てきたが、巻末の「骨骨骨」がいい。

夜な夜なハイヒールの骨骨骨が消えた
骨は女の乳房を支えた骨だ
骨は女の踵を煽った骨だ

という行を挟んで、最後。

今日も骨骨骨 骨骨骨
女のハイヒールの骨を舐める音がする

 「舐める」か、ここで「舐めるか」と、私は、うなる。私は、「ぬめり」を思い出してしまうのだ。そして、それは、ただ「なめる」ではない、「舐める音」が「骨骨骨(コツコツコツ)」なのだ。耳の螺旋階段を舌が「なめながら」「ぬめり」をひきずりながら、肉体の奥まで這ってくる。「あたらしい夜」がはじまる。
 と、佐々木は書いているわけではないが。

 

 


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Estoy Loco por España(番外篇360)Obra, Joaquín Llorens

2023-05-25 09:59:53 | estoy loco por espana

Obra, Joaquín Llorens

 El escultor de hierro contó la historia de cómo surgió la escultura: cómo apareció en la ciudad, de pie, de una forma diferente a todos los demás. Tenía un extraño "grieta" a su alrededor porque llevaba palabras que no podía decir a nadie. A veces fingía mirar fijamente la ropa de escaparate, preguntándose si podría traducir sus palabras pasando del atras. "Tengo un defecto en mi cuerpo". No eran palabras pronunciadas por el hombre, pero añadió que pudo oir la voz del pensamiento. Hay una extraña grieta en alguna parte, por donde entran las palabras. Mi cuerpo tiene la oscuridad del paso por la estación. Sale como una palabra, rezumando el olor de un hombre con un pequeño escondite. Al acercarme, la soledad que debería haber dejado se conjugaba profundamente en el cuerpo del hombre. La soledad y la otra soledad hablaban en un idioma de un país que yo no conocía: "Mi cuerpo tiene una grieta, una grieta de soledad". Comprendí el significado sin traducción, que no es el lenguaje del escultor, sino mi fabricación, para esta obra.

 この街にどうやってあらわれたのか、その男は、ほかの誰とも違う形で立っていた、とその彫刻が生まれたきっかけを、鉄の彫刻家は語った。だれにも言えないことばを抱えているために、彼の周りには不思議な「隙間」が生まれていた。ときどき、ショーウインドーの服をみつめるふりをして、通りすぎていくことばにあわせて、自分のことばを翻訳できないか考えているようだった。「私の体には欠陥があるのだ。」それは、男が発したことばではなかったが、思考の声が聞こえ、とつけくわえた。どこかに不思議な亀裂があって、そこからことばが侵入してくる。私の体には、駅の通り抜けの通路の暗さがある。小さな隠れ家を持っている男のにおいがにじみ出てしまう、ということばになって出て行ってしまう。近づくと、出て行ったはずの孤独が、男の体の中に深く組み合わさっていた。孤独と孤独が、「私の体には孤独の亀裂という欠陥がある」と私の知らない国のことばで話していた。翻訳しなくても、意味がわかった、というのは彫刻家のことばではなく、この作品のための、私の捏造である。

 

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