佐々木洋一『でんげん』(思潮社、2023年05月25日発行)
佐々木洋一『でんげん』の「シャバシャバシャバシャバ」。「娑婆」なのだが「バシャバシャ」と聞こえる。ことば(音)は、意味を裏切ることがある。裏切るのではなく、広げる、と考えた方がいいのかもしれない。
川の底に足を突っ込んで
泳ぎもはしゃぎもせず
ただシャバシャバ泥の底をこぐ
何がどうした
現は川の流れを必要としない
川面の浮き沈みも関係ない
ただむかしの思いのぬめりした川の底に足を入れ
シャバシャバシャバシャバ
何事か思うわけじゃなく
夕陽にもたれるわけじゃなく
シャバシャバシャバシャバ
この展開のなかでは「シャバシャバシャバシャバ」はもちろんなのだけれど、「ただむかしの思いのぬめりとした川の底に足を入れ」の「ぬめり」という音がいいなあ。「シャバ(娑婆)」の「ぬめり」か。ほかの音では、きっと間に合わない。
引用しなかったが、前半には「泥だらけ」「泥まみれ」ということばがあるが、「ぬめり」は、ちょっと違う。
この澱みにへばりつこうとしている
このあとに出てくる「へばりつく」とも少し違う。似ているが。
あれこれ思い返すと、引用部分にある「もたれる」が何か似ている。「夕陽にもたれるわけじゃなく」は、あえて主語を書き加えると、佐々木が、ということになる。「ぬめり」は佐々木が発生源であるよりも、他者(社会、娑婆)が発生源なのだろうけれど、それにしたって、どこかに「依存関係」がある。
一方だけが原因ではない。
あ、これだね、「音」と「意味」の交錯は。「音」でけではない。「意味」だけでもない。「一方」だけではない。こういう「一方だけではない」ものと向き合うのは、それこそ「シャバ(娑婆)」の「処世術」というものか。
説明したってしようがない。だから、私も、これ以上は書かない。
でも、書きたい。
たとえば、こんなことを。「あたらしい夜」という詩がある。
新しい朝が在るなら
あたらしい夜があるはずだ
これは、たぶん「明けない夜はない」ということばと「対」になる「一方」である。こんな連がある。
あたらしい夜にはあたらしい絶望が生まれるはずだ
絶望には目のない幼鳥や引き裂かれた獣や溺れる鮟鱇の叫びが
気休めと慰めと孤高が
解放されているのだ
「明けない夜はない」と主張するひと、そのことばを「希望」として信じるひとには申し訳ないが、その反対のものもあるのだ。そして、それは、なんというか、とても私を温かく受けとめてくれると感じてしまう。「溺れる鮟鱇」がいるかどうか知らないが、鮟鱇さえ溺れるというのは、何か安心してしまうなあ。鮟鱇が溺れるなら、人間が溺れたって何の不思議もない。
あたらしい夜には虫が這う
ぞろぞろ闇の方へ這っていく
あたらしい夜には闇の方へめしべがぞろぞろなびき
楽しくないか美しくないか 咲き競う
新しい朝が来るなら
あたらしい夜もくるはずだ
そこではあたらしい呻きがうまれているはずだ
これまでのいきものがいとしいいとしいと呻いているはずだ
いとしいいとしいと呻いては
いまわしい夜のしじまを生き抜いているのだ
ふいにあらわれる「生き抜いている」という強い動詞。
ひとのこころは、どんなことにも共感してしまう。そういう錯誤は、けっして整えてしまってはいけない何かなのだと思う。
「シャバシャバシャバシャバ」は「バシャバシャバシャバシャ」とがんばって洗ってみても、きっと「ぬめり」を残している。それがないと、きっと、つらい。
「骨骨骨」には「こつこつこつ」とルビがついている。「骨骨」は別の詩でも出てきたが、巻末の「骨骨骨」がいい。
夜な夜なハイヒールの骨骨骨が消えた
骨は女の乳房を支えた骨だ
骨は女の踵を煽った骨だ
という行を挟んで、最後。
今日も骨骨骨 骨骨骨
女のハイヒールの骨を舐める音がする
「舐める」か、ここで「舐めるか」と、私は、うなる。私は、「ぬめり」を思い出してしまうのだ。そして、それは、ただ「なめる」ではない、「舐める音」が「骨骨骨(コツコツコツ)」なのだ。耳の螺旋階段を舌が「なめながら」「ぬめり」をひきずりながら、肉体の奥まで這ってくる。「あたらしい夜」がはじまる。
と、佐々木は書いているわけではないが。
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