詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

広島サミット

2023-05-11 13:47:44 | 考える日記

 2023年05月11日の読売新聞(西部版・14版)が広島サミットについて書いている。
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 政府は、19~21日に広島市で開く先進7か国首脳会議(G7サミット)に合わせ、インドや韓国など、招待国8か国の首脳に広島平和記念資料館を訪問してもらう方向で調整に入った。岸田首相と8か国首脳がそろって訪問する案も検討している。
 複数の政府関係者が明らかにした。資料館訪問を巡っては、G7各国首脳がそろって行うことが既に固まっており、G7の枠を超え、核軍縮の重要性を国際社会に広く強調する狙いがある。
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 これが実現するなら、とてもうれしい。(バイデンは、債務問題で欠席する可能性がほうどうされているが。)
 この記事を読みながら思ったのは、「戦争」そのものについてである。

 「戦争」は、いつのころからかはっきりしないが(私は歴史が苦手)、兵士と兵士(軍隊と軍隊)の戦いではなくなっている。かならず一般市民がまきこまれるようになっている。その最大の悲劇のひとつが、広島、長崎への原爆投下である。敵の軍隊に勝利したら戦争は終わりではなく、なんというか、「敵の国民」を殲滅しない限り、戦争はおわらないという状態になってしまっている。

 そこから、ふと思うのだけれど。

 最近、活発に語られる「敵基地攻撃」なのだけれど、そんなことで戦争が防げるのか。戦争は軍隊と軍隊の決着という時代は、もうとっくの昔になくなっている。敵基地を攻撃し、ミサイル攻撃を一時的にしのいだとしても、戦争はつづく。
 戦争が話題になると、多くのひとが「敵が日本に上陸してきたら、どうするんだ。戦わないのか。家族をおいて逃げるのか」。私は「一緒に逃げよう」とは言うが、いざとなったらひとりだけ逃げるかもしれない。家族のために戦う、というようなことは、言っても実行はできないなあ。
 ということよりも。
 「敵が日本に上陸してきたら、どうするんだ。戦わないのか。家族をおいて逃げるのか」という質問、おかしくない? 敵の軍隊が、一般市民を殺すということを前提にした意見だと思う。つまり、戦争とは国と国(組織)の戦いではなく、ある国民が別の国民を殺すことが戦争である、という定義で話していると思う。国(自民党・公明党政権)だけでなく、多くの日本国民が「戦争の定義」を変更してしまっていることになる。
 もし、「戦争」というものが、多くの軍備増強派が定義するように、軍人が一般市民を平気で殺すことを意味するのなら、「敵基地攻撃」というのも、実は「敵の国民を全滅させる」ということではないのか。それは、「核による抑止力」というよりも、「核によって殲滅させるぞ」ということではないのか。

 戦争は、軍人と軍人が正々堂々(?)と戦い、それによって決着するという時代は、もう遠い過去のことなのだ。広島と長崎の原爆は、核兵器によって国民が殲滅させられるという恐怖を感じ、国が国民の命を守るためには降伏する(敗北を認める)と言わない限り終わらないのだ。その「証拠(記録)」が広島と長崎に残されている。
 これは、ぜひ、見てもらいたい。実感してもらいたい。多くの市民が犠牲になったというだけではなく、現代の戦争は、いったんはじまれば軍隊と軍隊の戦いで終結しないことを実感してもらいたいと思う。

 

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安俊暉『灯草心』

2023-05-11 13:07:34 | 詩集

安俊暉『灯草心』(思潮社、2023年05月17日発行)

 安俊暉『灯草心』は、あとがきによれば「二十一から二十四歳までに記した四年間の日記」からの抜粋である。

私の成すことが神の導きに入っているかどうかである。       (24ページ)

道を求めて生きよ。                      (173ページ)

 ということばがある。「神」と「道」が重なるものかどうか、私にはよくわからない。「神」とは、キリスト(教)を指しているのだが、私はキリスト教徒ではないので、どう語っていいかわからない。「道」ということばで私がいつも思い出すのは、和辻哲郎の『古寺巡礼』である。和辻の父が、和辻に対して、「お前の今やっていることは道のためにどれだけ役に立つのか」と問う。私は、いつも、この和辻の父のことばにつまずく。「道」というとき、そこにはかならず「ひと」がいる。「神」というときも、「ひと」が視野に入っているのかもしれない。
 ただ。
 私は「神」は、どうもなじめない。ひとが「神」を信じるのは、それはそれでわかるが、その「神」を信じるために「教会」があるということが、どうにも納得できないのである。教会によって「神」がひとつに限定されることが(あるいは集団が組織されることが)、何か奇妙に感じられる。ひとの数だけ「神」があって、それぞれのひとの「道」につながる道を、それぞれが持っているかどうか自問するという姿は(あり方は)、私には考えることができるが、それ以外のことは、私には「空想」になってしまう。

議論してはならない。                     (118ページ)

 ということばがある。
 議論しても、どこにもたどりつけないということだと思う。だから、「神」については、私は、これ以上書かない。
 私の印象にいちばん残ったのは、同じ118ページにある、

挫折。
それは私を導いて私本来の道により着実にそわせようとする。

 この二行である。
 「挫折は私を導いて私本来の道により着実にそわせようとする。」ではなく「挫折。/それは私を導いて私本来の道により着実にそわせようとする。」と二行になっている。「挫折」を明確に意識化、対象化して、その上で、「私」との関係をみつめる。そこに、「神」ということばが登場したときにつかわれていた「導く」という動詞がある。「神」と「挫折」は同一ではないが(神が挫折するかどうか、私は知らないが)、そこに「契機」がある。
 そのあとに、とてもことばにしにくいというか「対象化」がむずかしい「より」という副詞が出てくる。それは「着実にそわせる」というかたちで動く力なのだが。
 他の文章(記述)も、正直が書いてあるのだと思うが(想像するが)、私は「挫折」の対象化が「より」を引き出しているように感じ、それで印象に残ったのだと思う。「より」という気持ちがあるから、「挫折」を対象化することになったのか、「挫折」を対象化することで「より」が動いたのか。
 わからないが、ここには何か、安と「神」、安と「道(ひと、あるいはと生きること)」とのあいだにある「断絶」を越えようとする意思が、それこそ「着実」に記されていると思う。「神」も「ひと」も「私(安)」ではない。いわば「他者」と「私」にとっての不可欠な「断絶」(断絶がなければ、「神」も「ひと」も存在しいない)を、自己存在の起点にしようとする正直を、私は感じる。

 


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