△金海市多国籍タウンの中心部
2017年夏の金海訪問では、いくつかのビルの前で、思わず立ち
止まった。
例えば、韓・中・越の食堂が同居するビル(上記写真)。これなど、
金海の多国籍タウンを象徴する光景ではないだろうか。
また、セブンイレブンの2階には易学・風水の占い所。隣2階には
ベトナム料理店。(上記写真)三者三様の異質さが当たり前のように
共存している光景から、しばらく目が離せなかった。
韓・印・泰が同居するビルの様子(上記写真)も、なかなか
印象的だった。
そして最後に、4か国語に対応しているカラオケ店(上記写真)。
正直、「ヲタク」はどの国の国旗も知らなかった。
(終わり)
2017年夏、「ヲタク」は金海市の多国籍タウンを訪問した。
そこには、モロッコ関連の店名を持つ店も何店かあった。
△金海のモロッコ食堂
1軒のモロッコ食堂の前で、この店は本当にモロッコ人がやって
いるのだろうかと半信半疑で眺めていると、店の中から本当に
黒装束のアラブ系の女性が出てきて驚いた。
△金海のイスラム寺院(右)
そう言えば、タウン界隈には、少なくともイスラム寺院が2か所も
あった。
△金海のイスラム寺院
おそらく、タウン界隈に集うイスラム教徒の中で最も多いのは
インドネシア人ではないかと推測されるが、少なからずアラブ系の
外国人もいるようだ。
また、タウン界隈では、ハラル(イスラム教の戒律を満たした)
マークもけっこう目についた。
金海市の多国籍タウンは、単に表面だけを万国旗で飾った
ような街では決してないことを、実感させられる。
(終わり)
2017年夏のプサン訪問では、金海市の多国籍タウンにも足をのばした。
多国籍タウンには朝鮮族を中心とする中国系の食堂や商店もかなり多く、
「ヲタク」が目にしただけでも、ざっと10店舗はくだらなかった。
「ヲタク」の印象では、ベトナム系の店舗に次ぐ多さだった。
結局、多国籍タウンで中国東北料理を賞味することはなかったが、
いくつかの店舗は写真に収めた。
ちょっと面白かったのは、航空券を販売していた両替店だ。その店では
代金を店の前面に張り出していた。
張り紙によると釜山-瀋陽が片道約26000円、往復約4万円。
釜山-延吉(延辺朝鮮族自治州の州都)が片道約1万7000円、
往復約3万4000円。
これなら、福岡-プサン間の航空券の相場と大差ない額である。
(終わり)
1930年代後半、ソ連のスターリンは、日本をにらんだ軍事的な
理由から、沿海州に居住する朝鮮系住民(当時は「日本」系住民)の
ほとんどを「敵性国民」として中央アジアに強制移住させた。
そのことは、おおよそ「ヲタク」も知っていた。
△ウクライナの位置を間違えている
しかし、その移住先の中心がウズベキスタンであったことや、
現在、旧ソ連圏で最も多くの朝鮮系国民が居住している国が
ウズベキスタンであることまでは知らなかった。
△釜山中華街のウズベク料理店。店名のUCHKUDUKはウズベクの都市名。
旧ソ連在住の朝鮮系の諸国民は、民族語である朝鮮(韓国)語では
「고려인(高麗人)」と自称している。
ただし、ロシア語(カリエーツ<男>/カリヤンカ<女>)では、
高麗人も韓国人、朝鮮人もみな同じだ。
△上記料理店と同じ
近年、韓国は、中国朝鮮族を中心とする「在外同胞」に特別な
法的地位を認め、韓国での就労や韓国への移住に大きく道を開いた。
△「VODIY」はウズベク語で「オアシス」の意味(金海市)
一方、旧ソ連崩壊後、ウズベク人による急進的(排外的)な
民族主義的政策が強化されるウズベキスタンを中心に、ロシア語
しか話せない高麗人やより豊かな生活を夢見る高麗人の多くが、
先祖の地である韓国に、未来への活路を見出すべく「帰還」し
続けているのだ。
△店名のベシバルマックとはカザフ、キルギスの料理名(金海市)
関連資料によれば、現在、4万人以上の高麗人(中心はウズベキ
スタン出身者)が韓国内に居住している。
・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・ ・・
△ロシアレストラン「サマルカンド」(プサン中華街)
2017年夏のプサン訪問時、そうした基礎知識を得た「ヲタク」は、
プサン中華街のサマルカンド(ウズベキスタンの古都)というロシア
料理店で、生まれて初めてボルシチ(牛肉と野菜のロシア風スープ。
ロシア語、韓国語では「ボルシ」)と黒パンを賞味した。
△サマルカンドの黒パンと浅漬け風サラダ
思い入れを抜きにして、「ヲタク」が料理を食べて感動したのは、
実に久しぶりのことである。
△サマルカンドのボルシチ。これで6000ウォン。
それくらいこの店のボルシチは美味であった。
△よく煮込まれた大きな牛肉も美味だった
店主に聞くと、昔、プサン駅前にあった「サマルカンド」とは
直接の関係はないとのことだった。
少しがっかりしたが、聞かなければ誤解し続けていたはずなので、
事実が知れてよかった。
おそらく、駅前の旧「サマルカンド」も、何らか高麗人と関係の
ある店だったことくらいは推測できる。
ちなみに、サマルカンドの店内のテレビからは、YouTubeを通じて、
ウズベキスタンの流行歌が流れていた。
△テレビ(モニター)からはYouTubeの動画
「ヲタク」には、その音楽が、ロシア風というより、ペルシャ風、
あるいはアラビア風の音楽に聞こえてしかたなかった。
最後に、プサン中華街には「サハリン」なる店名を持つ店もある。
△プサン中華街の「サハリン」商店
推測するに、サハリン在住の高麗人(多くは日本の強制徴用で
サハリンに連れていかれたまま放置された朝鮮人労働者の子孫)と
何らかの縁故のある店なのだろう。
(終わり)
2017年夏の金海訪問では、多国籍タウンのロシア(ウズベク)
料理店で、初めてロシア風の緑茶を飲んだ。
△NAVRUZとはウズベキスタンの町の名前
日本ではあまり知られていない事実だが、ロシア人は紅茶だけ
ではなく緑茶も好んで飲んでいるようだ。
ロシア語では、紅茶と緑茶をあわせて「チャイ(чай)」と呼ぶ。
△赤丸内には「차(茶)」の文字
そうした事情をよく知らなかった「ヲタク」が、とりあえずチャイを
注文した時、店員(ロシア人女性風)から、紅茶と緑茶のどちらに
するのかを聞き返された。
△緑茶は1瓶で1000ウォン
せっかくなので、「ヲタク」はロシア風の緑茶を飲むことにした。
真夏に熱い緑茶を飲むのも、なかなか乙なものだ。ただし、味は日本の
緑茶とはずいぶん異なっていた。
ところで、この店の経営者らしく(さらに女性の夫っぽく)見えた
東洋系の男性が、店内で「ヲタク」が見たこともないロシア(ウズベク?)
風の大きな三角形のパンを食べていた。
「ヲタク」は、その光景からある重要なことに気づき、プサンでも
金海でも、なぜ、ほとんどのロシア料理店がウズベク系なのか、
という疑問を解くことができた。
その件については、また、別に記したい。(関連記事)
(終わり)
2017年夏、「ヲタク」は金海市の多国籍タウンで、初めて
フィリピンの柑橘系果物の缶ジュースを飲んだ。
ジュース自体は非常に甘ったるく、舌がトロミを感じるほどの濃さ
だった。
なお、「Oishi」という店名は、どうやらフィリピンの菓子メーカーの
会社名から取られたもののようだ。
店の店頭には、「Oishi」をはじめ、東南アジア数か国のお菓子が
並んでいた。
(終わり)
2017年夏のプサン訪問では、西隣の金海市まで足をのばした。
プサン駅前のバス停で急行バスに乗り、片道およそ1時間30分の
バス旅だった。
△プサン駅前バス停
目的は、近年発展を遂げている金海市の多国籍タウンの探訪だ。
実は、その多国籍タウンのすぐそばに、金官伽耶国の建国者とされる
金首露王の王陵がある。
△金首露王陵入口
ついでと言っては失礼だが、見学させてもらった(入場無料)。
入場は無料だが、王陵内はきれいに整備されている。
△王陵は円墳
ところで、金首露王と言えば、韓国最大の氏族集団である金海金氏の
始祖とされる人物。
また、日本から見れば、「日本書紀」に登場する任那日本府が仮に
虚構だったとしても、中国や韓国の各種歴史書からも古代の朝鮮半島
南部と倭の交流が特に親密だったことは疑えないところであり、
金官伽耶と倭の関係など、古代の謎は実に興味深い。
なお、王陵の入口前には「宗親会」と呼ばれる氏族集団が、りっぱな
会館をかまえている。
△「使用後のペーパーを便器に流さないように!」
最後に下世話な話題だが、王陵公園内の公衆トイレは清潔で、
使用法はあくまで韓国式だった。
(終わり)
一種のレトロブームと言ってよいのかもしれない。
△旧百済医院
プサン駅前の草梁洞では、山腹道路ルネサンス事業の一環として、
近代の古い建築物をリノベーションし、カフェやゲストハウスと
して再活用する動きがある。
△旧百済医院
そうした名所をめぐってくれるのが、観光用の電動三輪車だ。
△168階段の上で
運転手兼案内者は、半分ボランティアの地元高齢者。
この電動三輪車、けっこうな馬力があるようで、人間3人を乗せ、
坂道を上り草梁の高台まで案内してくれる。
料金も1万ウォン(約1000円)とお手頃なので、汗をかかずに
草梁を観光したい人にはうってつけだ。
△観光客を乗せ中華街を走る電動三輪車
聞けば、プサン駅前を出発し1時間20分ほどかけて、草梁を
観光案内してくれるのだそうだ。
△電動三輪車の発着場所はプサン駅前
プサン駅前の発着場所付近では、地面に寝ころんでいる人が
ポツポツいたりするが(見えにくいが、上記写真の左手には
2人寝ている)、それはそれで、プサンの一つの現実だ。
△愛称はイバクチャジョンゴ(物語り自転車)
2017年夏のプサン訪問では、「ヲタク」自身、草梁の3か所で
電動三輪車の活躍をこの目にした。
なお、この電動三輪車のアイデアの元になったのが、過去、実際に
草梁で活躍していた人力の三輪車だという。
△人力三輪車のオブジェ
その昔、今でいうタクシー代わりに多くの市民が利用していたのだ。
△イバク工作所の屋上。左手に三輪車のオブジェ。
その人力三輪車は、今、オブジェとなって山腹道路横の「イバク工作所」
(草梁観光会館)の屋上に設置されている。
坂道の多い草梁では、さぞ運転手は大変だったことだろう。
△イバク工作所屋上から見る草梁洞
電動三輪車も、人力三輪車のオブジェも、今回のプサン訪問で初めて
目にした。
(終わり)