順当に、風太郎の意中の人が四葉だった場合、次回のタイトルは『最後の祭りが二人の場合』になるのかね?
その場合、年内の回数を考えると、①と②の2回になるのだろうけど。
あるいは、次回は間違いなく四葉の京都の子バレの回だろうから、『最後の祭りが四葉の場合③』である可能性もある。
で、その次に『最後の祭りが二人の場合』が来る、という展開かな。
ところで、113話の最後で四葉のいる保健室を風太郎が訪れたことで、この物語のテーマである「風太郎の花嫁は誰だ?」に答えが出たことになっている。
いうまでもなく、四葉ね。
ただ、本当に四葉なの?、という声もネットでは多いようで、それなりに荒れているらしいw
でも、それはそれでわからない話でもなく。
というのも、繰り返しになるけど、四葉と風太郎の間には6年前の京都での出会いと誓いがあって、その事実を二人が確認しないままに、この物語が終わることはありえないから。
それくらい重い設定が、ここまでなぜか放置されてきていたわけで。
だから、風太郎が6年前の「あの子」のことをなおざりにして、五つ子の誰かを好きになるというシチュエーション自体が、さすがに考えにくい。
だって、すでに、五つ子の中にあの時の女の子がいることだけは、五月扮する零奈とのやり取りで確定済みのことだから。風太郎は、修学旅行の後、こっそり用意した五つ子の旅行中の姿を撮ったスクラップブックを、五月が扮した零奈に手渡して、その上で「ありがとう」とまで言っている。
だから、五つ子の中から誰かを選ぶのなら、この零奈が誰かを含めて京都の女の子のことを突き止めないはずがない。
いや、だからね。
「よう、待たせたな」
というのは、四葉がずっと発していた「私が6年前の京都の子だよ」というメッセージを受け取ったぞ、そのことを伝えに来たぞ、四葉、ということのように思うんだよね。
風太郎からすれば、誰が好きか嫌いかの前に、四葉に直接伝えなければならないことがあった、ということで。
で、風太郎が誰を恋人、すなわち未来の花嫁、として選ぶのか、というのは、次に来る、もう一つ別のメッセージであるようにも思える。
で、そんな(まぁ、ほぼありえない)展開を考えると、
114話が、『最後の祭りが四葉の場合③』、で
115話が、『最後の祭りが二人の場合』
になるようにも思える。
となると、四葉が最終的な選択でない展開もあり得るのかな、と。
とすると、それは誰か、ということだけど、
結論からいうと、一花、が改めて選ばれる可能性もあるのではないか、と思えてきている。
115話が、『最後の祭りが一花の場合③』、となる可能性があるように思っている。
いくつかもっともらしい理由はあって、
まずは、京都の子、の一部(夜、トランプをして遊んだ女の子)は一花であったこと。
でも、この事実はまだ、風太郎には伝わっていない。
五月も気づいていない。
もしも仮に、風太郎が、四葉が京都の子であることを四葉の口から確定させて、その上で、でも、風太郎にとっては、あの夜のトランプをしている時間がとても楽しかった、とでも四葉に伝えたらどうなるのか?
四葉は、それは自分ではない、一花だった、と答えるのではないか?
その返答を受けて、風太郎は、どういう態度を取るのか?
その時、「全部、嘘」といった一花の、京都での三玖なりすまし事件の直後の、長女として発言した言葉の真意に、風太郎は気づいてしまうのではないか?
この「長女」のところとも被るのだけど、もう一つ、例の102話の一花回②での、自販機で飲み物の選択を風太郎にさせたところ。
113話の描写で、あの時風太郎が、四葉に該当するオレンジジュースを手にしているのを見て、一花は、風太郎が四葉を選んだと、今回、判断していたけれど、そもそも、あの場面では、一花は、自分自身を選択肢から外していた。
つまり、自分だけ「番外地」の選択外の存在だ、と風太郎に告げていた。
けれども、それは同時に、自分は風太郎にとって特別だ、ということの暗示でもある。
だから、それも含めて、風太郎は、一花のもとに戻ってきて、お互い、長男、長女は、大変だな、と告げていたはずで。。。
ここからわかるのは、風太郎が、一花に対しては、他の姉妹とは異なる視点から捉えていたこと。
6年前に四葉が自分にとって大切であったように、この1年半あまりの間は、一花もまた、風太郎にとって大切な存在であった。
この102話の公園でのキスのシーンで見過ごせないのは、この一花とのやりとりが、風太郎からすれば、二乃に病院でキスされた後の出来事だったということ。
つまり、二乃にキスをされた後でも、風太郎は、ジュースでは四葉を選んだ上で、一花にねぎらいの言葉をかけたことにある。
となると、風太郎の頭の中では、少なくとも、四葉と一花は、(二乃ファンには申し訳ないけど)少なくとも二乃よりも「特別」の存在だと思っていたことになる。
(もちろん、二乃には、直前にすでにキスされていたからもういいや、ここでは対象外、と風太郎が思っていたという解釈も可能だけど、それではさすがに風太郎が鬼畜すぎだろうw)
で、さらにもう一つ、風太郎にとって一花が特別な存在だ、というのは、実は、三玖が、そのように捉えていたのでないか、ということ。
例の、一花が高校をやめて女優業に専念する、という選択をしようとした時、風太郎は必死にそれを止めようと尽力したことがあった。
その時、最後に「自主映画制作のために勉強シーンが必要だから、そのために一花を雇う」という、苦し紛れの提案をしに行った時、風太郎に付き添っていたのは三玖だった。
で、多分、この一連の出来事の中で、三玖は、風太郎がどれだけ一花のことを特別に思っているのか、実感したんじゃないかな。
だから、105話で、「この恋の成就は不可能だって私は知っている」という独白をしていたのではないか。
三玖からすれば、少なくとも、一花にはかなわない、と。
もちろん、この三玖の判断は、あくまでも、彼女が最初の頃からずっと、一花を恋敵として意識していたことも影響しているとは思う。
(なので、ここでも二乃ファンには申し訳ないけど、三玖から見ても、二乃ならなんとかなると思っていたのかもしれない。)
ところで、ここで大事なのは、三玖は、「風太郎と四葉の出会い」というこの物語の最重要事件の情報から最も遠い存在であったこと。
ほとんど知らないんじゃないかな?
だって、四葉が風太郎に恋心を抱いているかも?という疑問自体、日の出祭二日目の、竹林との遭遇のときに四葉がとった態度から、ようやく気づいたかもしれないくらいなのだから。
さらにいえば、「四葉と風太郎の6年前の出会い」についても、そのことを竹林から聞いた二乃の口から、四葉を見舞いに行った日の出祭二日目の夜の時点で、初めて知らされたかもしれないくらいだから。
となると、三玖が、恋の成就を諦めているのは、「風太郎の意中の人は(自分でも二乃でもなく)一花だ」と、103話の時点で思っていたから、と捉えるほうが適切だろう。
要するに、周辺状況からすれば、「最後の祭り」の、「誰が風太郎に選ばれるか」という五つ子バトルロイヤルの中では、当初から恋愛合戦に参加していなかった五月は論外として、日頃から風太郎に好意を伝えてきた三人、つまり一花、二乃、三玖、の中では、一花が頭一つ抜け出ていた。そこに、いきなりその外からシード権を使って四葉が加わった、という構図になっている、ということ。
要するに、一花と四葉。
ふたりとも、京都で6年前に直接、風太郎にあっていた二人。
なので、
もしかしたら、本当に、もしかしたら、だけど、
最後の最後で、一花が風太郎に選ばれる可能性もあるのではないか、と思えてきた。
その場合、
114話が『最後の祭りが四葉の場合③』で、
115話は『最後の祭りが一花の場合③』となる
でも、もしも一花が最終的に風太郎に選ばれるとしたら、それはそれで、ラブコメとしては王道だよね。
だって、一花については、今まで風太郎に対する好意も、姉妹に対する嫉妬も、卑怯な手段に訴えることも、それを反省して自ら身を引くことも、およそひとりの女の子として抱くであろう恋に伴う感情表現をすべて、風太郎にも、読者にも示してきているのだから。
ということで、ここに来てなんだけど、
最後のどんでん返しとして、
風太郎に 一花 が選ばれる可能
も指摘しておきたいと思う。
ポイントは、一花も「京都の子」の一部なんだよ。
そして、それは四葉が(もしくはギリギリのところで、四葉とともに、一花が四葉になりすまして風太郎と遊んでいる場面を目撃した二乃が)伝えない限り、伝わらない事実なんだよ。
その事実への鍵を掴むためにも、まず風太郎は、四葉に「よう、待たせたな」といって、今までの感謝を伝えるところから始めないといけない。
でないと、一花は一花で、「あの時、私たちも会っていたんだよ」という思いを、ずっと心の中に秘めながら、四葉と風太郎の結婚式に出席しなくちゃいけないから。
それは、やっぱり、心残りになると思う。
そもそも、もしかしたら一花にとって、実は四葉こそがつねに「お手本」だったのでないかと思える節もあるから。
というのも、64話のスクランブルエッグ編の一場面で、四葉は一人で五月の真似の練習をしているところがあるのだけど、もしかしたら四葉って、子どものころ、最も早く自我に目覚めたことを逆に意識していて、過剰に他の姉妹から突出しないように真似ができなきゃ、と思っていたのかな、と。
その結果、四葉は、日頃から、他の人たちの姿をよく目にして、相手の立場から事態を眺める癖がついていた、だから、結果的に演技もうまくなったように思えるんだよね。その成果が、日の出祭での演技の上手さだった。四葉が、国語が得意だった、というのも、同じ理由かなと。
つまり、姉妹の中では、実は、最初に「演じる」ことを覚えたのは四葉であって、それを真似たのが一花だったのでないかということ。
一花にとって、実は、四葉こそがつねに「お手本」だった。
四葉こそが、一花にとっての姉のような存在だった。
いずれにしても、四葉と一花の間の微妙な関係がある。
それが、最終コーナーでのポイントではないか、と思っている。
つまり、四葉の進路について風太郎は女優になれ、といい、一花と四葉の立場が入れ替わることになるような展開。
ともあれ、
まずは、風太郎が、四葉のもとに駆けつけて、6年前のことを確認すること。
それは、風太郎が一花を選ぶために必要なステップなんだよ。
一花に続く扉を開く鍵なんだよ。
そして、6年前に一花とも本当に会っていたことに風太郎が気づいた時、
物語の流れは、もう一回、大きくうねりだす。
もしもそんなことが本当に起こったら、この物語はホントに凄いな。
大傑作、決定だ!
その場合、年内の回数を考えると、①と②の2回になるのだろうけど。
あるいは、次回は間違いなく四葉の京都の子バレの回だろうから、『最後の祭りが四葉の場合③』である可能性もある。
で、その次に『最後の祭りが二人の場合』が来る、という展開かな。
ところで、113話の最後で四葉のいる保健室を風太郎が訪れたことで、この物語のテーマである「風太郎の花嫁は誰だ?」に答えが出たことになっている。
いうまでもなく、四葉ね。
ただ、本当に四葉なの?、という声もネットでは多いようで、それなりに荒れているらしいw
でも、それはそれでわからない話でもなく。
というのも、繰り返しになるけど、四葉と風太郎の間には6年前の京都での出会いと誓いがあって、その事実を二人が確認しないままに、この物語が終わることはありえないから。
それくらい重い設定が、ここまでなぜか放置されてきていたわけで。
だから、風太郎が6年前の「あの子」のことをなおざりにして、五つ子の誰かを好きになるというシチュエーション自体が、さすがに考えにくい。
だって、すでに、五つ子の中にあの時の女の子がいることだけは、五月扮する零奈とのやり取りで確定済みのことだから。風太郎は、修学旅行の後、こっそり用意した五つ子の旅行中の姿を撮ったスクラップブックを、五月が扮した零奈に手渡して、その上で「ありがとう」とまで言っている。
だから、五つ子の中から誰かを選ぶのなら、この零奈が誰かを含めて京都の女の子のことを突き止めないはずがない。
いや、だからね。
「よう、待たせたな」
というのは、四葉がずっと発していた「私が6年前の京都の子だよ」というメッセージを受け取ったぞ、そのことを伝えに来たぞ、四葉、ということのように思うんだよね。
風太郎からすれば、誰が好きか嫌いかの前に、四葉に直接伝えなければならないことがあった、ということで。
で、風太郎が誰を恋人、すなわち未来の花嫁、として選ぶのか、というのは、次に来る、もう一つ別のメッセージであるようにも思える。
で、そんな(まぁ、ほぼありえない)展開を考えると、
114話が、『最後の祭りが四葉の場合③』、で
115話が、『最後の祭りが二人の場合』
になるようにも思える。
となると、四葉が最終的な選択でない展開もあり得るのかな、と。
とすると、それは誰か、ということだけど、
結論からいうと、一花、が改めて選ばれる可能性もあるのではないか、と思えてきている。
115話が、『最後の祭りが一花の場合③』、となる可能性があるように思っている。
いくつかもっともらしい理由はあって、
まずは、京都の子、の一部(夜、トランプをして遊んだ女の子)は一花であったこと。
でも、この事実はまだ、風太郎には伝わっていない。
五月も気づいていない。
もしも仮に、風太郎が、四葉が京都の子であることを四葉の口から確定させて、その上で、でも、風太郎にとっては、あの夜のトランプをしている時間がとても楽しかった、とでも四葉に伝えたらどうなるのか?
四葉は、それは自分ではない、一花だった、と答えるのではないか?
その返答を受けて、風太郎は、どういう態度を取るのか?
その時、「全部、嘘」といった一花の、京都での三玖なりすまし事件の直後の、長女として発言した言葉の真意に、風太郎は気づいてしまうのではないか?
この「長女」のところとも被るのだけど、もう一つ、例の102話の一花回②での、自販機で飲み物の選択を風太郎にさせたところ。
113話の描写で、あの時風太郎が、四葉に該当するオレンジジュースを手にしているのを見て、一花は、風太郎が四葉を選んだと、今回、判断していたけれど、そもそも、あの場面では、一花は、自分自身を選択肢から外していた。
つまり、自分だけ「番外地」の選択外の存在だ、と風太郎に告げていた。
けれども、それは同時に、自分は風太郎にとって特別だ、ということの暗示でもある。
だから、それも含めて、風太郎は、一花のもとに戻ってきて、お互い、長男、長女は、大変だな、と告げていたはずで。。。
ここからわかるのは、風太郎が、一花に対しては、他の姉妹とは異なる視点から捉えていたこと。
6年前に四葉が自分にとって大切であったように、この1年半あまりの間は、一花もまた、風太郎にとって大切な存在であった。
この102話の公園でのキスのシーンで見過ごせないのは、この一花とのやりとりが、風太郎からすれば、二乃に病院でキスされた後の出来事だったということ。
つまり、二乃にキスをされた後でも、風太郎は、ジュースでは四葉を選んだ上で、一花にねぎらいの言葉をかけたことにある。
となると、風太郎の頭の中では、少なくとも、四葉と一花は、(二乃ファンには申し訳ないけど)少なくとも二乃よりも「特別」の存在だと思っていたことになる。
(もちろん、二乃には、直前にすでにキスされていたからもういいや、ここでは対象外、と風太郎が思っていたという解釈も可能だけど、それではさすがに風太郎が鬼畜すぎだろうw)
で、さらにもう一つ、風太郎にとって一花が特別な存在だ、というのは、実は、三玖が、そのように捉えていたのでないか、ということ。
例の、一花が高校をやめて女優業に専念する、という選択をしようとした時、風太郎は必死にそれを止めようと尽力したことがあった。
その時、最後に「自主映画制作のために勉強シーンが必要だから、そのために一花を雇う」という、苦し紛れの提案をしに行った時、風太郎に付き添っていたのは三玖だった。
で、多分、この一連の出来事の中で、三玖は、風太郎がどれだけ一花のことを特別に思っているのか、実感したんじゃないかな。
だから、105話で、「この恋の成就は不可能だって私は知っている」という独白をしていたのではないか。
三玖からすれば、少なくとも、一花にはかなわない、と。
もちろん、この三玖の判断は、あくまでも、彼女が最初の頃からずっと、一花を恋敵として意識していたことも影響しているとは思う。
(なので、ここでも二乃ファンには申し訳ないけど、三玖から見ても、二乃ならなんとかなると思っていたのかもしれない。)
ところで、ここで大事なのは、三玖は、「風太郎と四葉の出会い」というこの物語の最重要事件の情報から最も遠い存在であったこと。
ほとんど知らないんじゃないかな?
だって、四葉が風太郎に恋心を抱いているかも?という疑問自体、日の出祭二日目の、竹林との遭遇のときに四葉がとった態度から、ようやく気づいたかもしれないくらいなのだから。
さらにいえば、「四葉と風太郎の6年前の出会い」についても、そのことを竹林から聞いた二乃の口から、四葉を見舞いに行った日の出祭二日目の夜の時点で、初めて知らされたかもしれないくらいだから。
となると、三玖が、恋の成就を諦めているのは、「風太郎の意中の人は(自分でも二乃でもなく)一花だ」と、103話の時点で思っていたから、と捉えるほうが適切だろう。
要するに、周辺状況からすれば、「最後の祭り」の、「誰が風太郎に選ばれるか」という五つ子バトルロイヤルの中では、当初から恋愛合戦に参加していなかった五月は論外として、日頃から風太郎に好意を伝えてきた三人、つまり一花、二乃、三玖、の中では、一花が頭一つ抜け出ていた。そこに、いきなりその外からシード権を使って四葉が加わった、という構図になっている、ということ。
要するに、一花と四葉。
ふたりとも、京都で6年前に直接、風太郎にあっていた二人。
なので、
もしかしたら、本当に、もしかしたら、だけど、
最後の最後で、一花が風太郎に選ばれる可能性もあるのではないか、と思えてきた。
その場合、
114話が『最後の祭りが四葉の場合③』で、
115話は『最後の祭りが一花の場合③』となる
でも、もしも一花が最終的に風太郎に選ばれるとしたら、それはそれで、ラブコメとしては王道だよね。
だって、一花については、今まで風太郎に対する好意も、姉妹に対する嫉妬も、卑怯な手段に訴えることも、それを反省して自ら身を引くことも、およそひとりの女の子として抱くであろう恋に伴う感情表現をすべて、風太郎にも、読者にも示してきているのだから。
ということで、ここに来てなんだけど、
最後のどんでん返しとして、
風太郎に 一花 が選ばれる可能
も指摘しておきたいと思う。
ポイントは、一花も「京都の子」の一部なんだよ。
そして、それは四葉が(もしくはギリギリのところで、四葉とともに、一花が四葉になりすまして風太郎と遊んでいる場面を目撃した二乃が)伝えない限り、伝わらない事実なんだよ。
その事実への鍵を掴むためにも、まず風太郎は、四葉に「よう、待たせたな」といって、今までの感謝を伝えるところから始めないといけない。
でないと、一花は一花で、「あの時、私たちも会っていたんだよ」という思いを、ずっと心の中に秘めながら、四葉と風太郎の結婚式に出席しなくちゃいけないから。
それは、やっぱり、心残りになると思う。
そもそも、もしかしたら一花にとって、実は四葉こそがつねに「お手本」だったのでないかと思える節もあるから。
というのも、64話のスクランブルエッグ編の一場面で、四葉は一人で五月の真似の練習をしているところがあるのだけど、もしかしたら四葉って、子どものころ、最も早く自我に目覚めたことを逆に意識していて、過剰に他の姉妹から突出しないように真似ができなきゃ、と思っていたのかな、と。
その結果、四葉は、日頃から、他の人たちの姿をよく目にして、相手の立場から事態を眺める癖がついていた、だから、結果的に演技もうまくなったように思えるんだよね。その成果が、日の出祭での演技の上手さだった。四葉が、国語が得意だった、というのも、同じ理由かなと。
つまり、姉妹の中では、実は、最初に「演じる」ことを覚えたのは四葉であって、それを真似たのが一花だったのでないかということ。
一花にとって、実は、四葉こそがつねに「お手本」だった。
四葉こそが、一花にとっての姉のような存在だった。
いずれにしても、四葉と一花の間の微妙な関係がある。
それが、最終コーナーでのポイントではないか、と思っている。
つまり、四葉の進路について風太郎は女優になれ、といい、一花と四葉の立場が入れ替わることになるような展開。
ともあれ、
まずは、風太郎が、四葉のもとに駆けつけて、6年前のことを確認すること。
それは、風太郎が一花を選ぶために必要なステップなんだよ。
一花に続く扉を開く鍵なんだよ。
そして、6年前に一花とも本当に会っていたことに風太郎が気づいた時、
物語の流れは、もう一回、大きくうねりだす。
もしもそんなことが本当に起こったら、この物語はホントに凄いな。
大傑作、決定だ!