BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

五等分の花嫁 第113話 感想4: もしも第115話が『最後の祭りが一花の場合③』になるとしたら?

2019-12-06 19:00:03 | 五等分の花嫁
順当に、風太郎の意中の人が四葉だった場合、次回のタイトルは『最後の祭りが二人の場合』になるのかね?

その場合、年内の回数を考えると、①と②の2回になるのだろうけど。

あるいは、次回は間違いなく四葉の京都の子バレの回だろうから、『最後の祭りが四葉の場合③』である可能性もある。

で、その次に『最後の祭りが二人の場合』が来る、という展開かな。


ところで、113話の最後で四葉のいる保健室を風太郎が訪れたことで、この物語のテーマである「風太郎の花嫁は誰だ?」に答えが出たことになっている。

いうまでもなく、四葉ね。

ただ、本当に四葉なの?、という声もネットでは多いようで、それなりに荒れているらしいw


でも、それはそれでわからない話でもなく。

というのも、繰り返しになるけど、四葉と風太郎の間には6年前の京都での出会いと誓いがあって、その事実を二人が確認しないままに、この物語が終わることはありえないから。

それくらい重い設定が、ここまでなぜか放置されてきていたわけで。

だから、風太郎が6年前の「あの子」のことをなおざりにして、五つ子の誰かを好きになるというシチュエーション自体が、さすがに考えにくい。

だって、すでに、五つ子の中にあの時の女の子がいることだけは、五月扮する零奈とのやり取りで確定済みのことだから。風太郎は、修学旅行の後、こっそり用意した五つ子の旅行中の姿を撮ったスクラップブックを、五月が扮した零奈に手渡して、その上で「ありがとう」とまで言っている。

だから、五つ子の中から誰かを選ぶのなら、この零奈が誰かを含めて京都の女の子のことを突き止めないはずがない。

いや、だからね。

「よう、待たせたな」

というのは、四葉がずっと発していた「私が6年前の京都の子だよ」というメッセージを受け取ったぞ、そのことを伝えに来たぞ、四葉、ということのように思うんだよね。

風太郎からすれば、誰が好きか嫌いかの前に、四葉に直接伝えなければならないことがあった、ということで。

で、風太郎が誰を恋人、すなわち未来の花嫁、として選ぶのか、というのは、次に来る、もう一つ別のメッセージであるようにも思える。

で、そんな(まぁ、ほぼありえない)展開を考えると、

114話が、『最後の祭りが四葉の場合③』、で

115話が、『最後の祭りが二人の場合』

になるようにも思える。

となると、四葉が最終的な選択でない展開もあり得るのかな、と。

とすると、それは誰か、ということだけど、

結論からいうと、一花、が改めて選ばれる可能性もあるのではないか、と思えてきている。

115話が、『最後の祭りが一花の場合③』、となる可能性があるように思っている。


いくつかもっともらしい理由はあって、

まずは、京都の子、の一部(夜、トランプをして遊んだ女の子)は一花であったこと。

でも、この事実はまだ、風太郎には伝わっていない。
五月も気づいていない。

もしも仮に、風太郎が、四葉が京都の子であることを四葉の口から確定させて、その上で、でも、風太郎にとっては、あの夜のトランプをしている時間がとても楽しかった、とでも四葉に伝えたらどうなるのか?

四葉は、それは自分ではない、一花だった、と答えるのではないか?

その返答を受けて、風太郎は、どういう態度を取るのか?

その時、「全部、嘘」といった一花の、京都での三玖なりすまし事件の直後の、長女として発言した言葉の真意に、風太郎は気づいてしまうのではないか?


この「長女」のところとも被るのだけど、もう一つ、例の102話の一花回②での、自販機で飲み物の選択を風太郎にさせたところ。

113話の描写で、あの時風太郎が、四葉に該当するオレンジジュースを手にしているのを見て、一花は、風太郎が四葉を選んだと、今回、判断していたけれど、そもそも、あの場面では、一花は、自分自身を選択肢から外していた。

つまり、自分だけ「番外地」の選択外の存在だ、と風太郎に告げていた。

けれども、それは同時に、自分は風太郎にとって特別だ、ということの暗示でもある。

だから、それも含めて、風太郎は、一花のもとに戻ってきて、お互い、長男、長女は、大変だな、と告げていたはずで。。。

ここからわかるのは、風太郎が、一花に対しては、他の姉妹とは異なる視点から捉えていたこと。

6年前に四葉が自分にとって大切であったように、この1年半あまりの間は、一花もまた、風太郎にとって大切な存在であった。

この102話の公園でのキスのシーンで見過ごせないのは、この一花とのやりとりが、風太郎からすれば、二乃に病院でキスされた後の出来事だったということ。

つまり、二乃にキスをされた後でも、風太郎は、ジュースでは四葉を選んだ上で、一花にねぎらいの言葉をかけたことにある。

となると、風太郎の頭の中では、少なくとも、四葉と一花は、(二乃ファンには申し訳ないけど)少なくとも二乃よりも「特別」の存在だと思っていたことになる。

(もちろん、二乃には、直前にすでにキスされていたからもういいや、ここでは対象外、と風太郎が思っていたという解釈も可能だけど、それではさすがに風太郎が鬼畜すぎだろうw)


で、さらにもう一つ、風太郎にとって一花が特別な存在だ、というのは、実は、三玖が、そのように捉えていたのでないか、ということ。

例の、一花が高校をやめて女優業に専念する、という選択をしようとした時、風太郎は必死にそれを止めようと尽力したことがあった。

その時、最後に「自主映画制作のために勉強シーンが必要だから、そのために一花を雇う」という、苦し紛れの提案をしに行った時、風太郎に付き添っていたのは三玖だった。

で、多分、この一連の出来事の中で、三玖は、風太郎がどれだけ一花のことを特別に思っているのか、実感したんじゃないかな。

だから、105話で、「この恋の成就は不可能だって私は知っている」という独白をしていたのではないか。

三玖からすれば、少なくとも、一花にはかなわない、と。

もちろん、この三玖の判断は、あくまでも、彼女が最初の頃からずっと、一花を恋敵として意識していたことも影響しているとは思う。

(なので、ここでも二乃ファンには申し訳ないけど、三玖から見ても、二乃ならなんとかなると思っていたのかもしれない。)

ところで、ここで大事なのは、三玖は、「風太郎と四葉の出会い」というこの物語の最重要事件の情報から最も遠い存在であったこと。

ほとんど知らないんじゃないかな?

だって、四葉が風太郎に恋心を抱いているかも?という疑問自体、日の出祭二日目の、竹林との遭遇のときに四葉がとった態度から、ようやく気づいたかもしれないくらいなのだから。

さらにいえば、「四葉と風太郎の6年前の出会い」についても、そのことを竹林から聞いた二乃の口から、四葉を見舞いに行った日の出祭二日目の夜の時点で、初めて知らされたかもしれないくらいだから。

となると、三玖が、恋の成就を諦めているのは、「風太郎の意中の人は(自分でも二乃でもなく)一花だ」と、103話の時点で思っていたから、と捉えるほうが適切だろう。


要するに、周辺状況からすれば、「最後の祭り」の、「誰が風太郎に選ばれるか」という五つ子バトルロイヤルの中では、当初から恋愛合戦に参加していなかった五月は論外として、日頃から風太郎に好意を伝えてきた三人、つまり一花、二乃、三玖、の中では、一花が頭一つ抜け出ていた。そこに、いきなりその外からシード権を使って四葉が加わった、という構図になっている、ということ。

要するに、一花と四葉。

ふたりとも、京都で6年前に直接、風太郎にあっていた二人。

なので、

もしかしたら、本当に、もしかしたら、だけど、

最後の最後で、一花が風太郎に選ばれる可能性もあるのではないか、と思えてきた。

その場合、

114話が『最後の祭りが四葉の場合③』で、

115話は『最後の祭りが一花の場合③』となる

でも、もしも一花が最終的に風太郎に選ばれるとしたら、それはそれで、ラブコメとしては王道だよね。

だって、一花については、今まで風太郎に対する好意も、姉妹に対する嫉妬も、卑怯な手段に訴えることも、それを反省して自ら身を引くことも、およそひとりの女の子として抱くであろう恋に伴う感情表現をすべて、風太郎にも、読者にも示してきているのだから。

ということで、ここに来てなんだけど、

最後のどんでん返しとして、

風太郎に 一花 が選ばれる可能

も指摘しておきたいと思う。


ポイントは、一花も「京都の子」の一部なんだよ。

そして、それは四葉が(もしくはギリギリのところで、四葉とともに、一花が四葉になりすまして風太郎と遊んでいる場面を目撃した二乃が)伝えない限り、伝わらない事実なんだよ。

その事実への鍵を掴むためにも、まず風太郎は、四葉に「よう、待たせたな」といって、今までの感謝を伝えるところから始めないといけない。

でないと、一花は一花で、「あの時、私たちも会っていたんだよ」という思いを、ずっと心の中に秘めながら、四葉と風太郎の結婚式に出席しなくちゃいけないから。

それは、やっぱり、心残りになると思う。

そもそも、もしかしたら一花にとって、実は四葉こそがつねに「お手本」だったのでないかと思える節もあるから。

というのも、64話のスクランブルエッグ編の一場面で、四葉は一人で五月の真似の練習をしているところがあるのだけど、もしかしたら四葉って、子どものころ、最も早く自我に目覚めたことを逆に意識していて、過剰に他の姉妹から突出しないように真似ができなきゃ、と思っていたのかな、と。

その結果、四葉は、日頃から、他の人たちの姿をよく目にして、相手の立場から事態を眺める癖がついていた、だから、結果的に演技もうまくなったように思えるんだよね。その成果が、日の出祭での演技の上手さだった。四葉が、国語が得意だった、というのも、同じ理由かなと。

つまり、姉妹の中では、実は、最初に「演じる」ことを覚えたのは四葉であって、それを真似たのが一花だったのでないかということ。

一花にとって、実は、四葉こそがつねに「お手本」だった。
四葉こそが、一花にとっての姉のような存在だった。

いずれにしても、四葉と一花の間の微妙な関係がある。
それが、最終コーナーでのポイントではないか、と思っている。

つまり、四葉の進路について風太郎は女優になれ、といい、一花と四葉の立場が入れ替わることになるような展開。


ともあれ、

まずは、風太郎が、四葉のもとに駆けつけて、6年前のことを確認すること。

それは、風太郎が一花を選ぶために必要なステップなんだよ。

一花に続く扉を開く鍵なんだよ。

そして、6年前に一花とも本当に会っていたことに風太郎が気づいた時、

物語の流れは、もう一回、大きくうねりだす。

もしもそんなことが本当に起こったら、この物語はホントに凄いな。

大傑作、決定だ!

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コードギアス 復活のルルーシュ 感想: 盛大なファンムービー!

2019-12-06 11:09:04 | ギアス
ようやく見れたギアスの新作・・・なんだけど。

きっとこれが、ナナリーが望んだ「優しい世界」だったのだろうなぁ。
そんな、皆が見たかったなぁ、というシーンをひたすらつないだ、ひとことでいえば、これぞ、ファンムービー、って感じのお話だった。

そのかわり、オリジナルのコードギアスにあったピカレスクな雰囲気、ある意味で殺伐とした、騙し合いを旨にしたシーソーゲーム的な展開は皆無だった。

恥ずかしいくらいのスタイリッシュなところもなければ、ケレン味もない。

そういう意味では、全然、コードギアスっぽくなかった。
全編通じて、緊迫感がゼロなんだもの。

なにより「もうお前らに嘘はつかない」なんていってしまうルルーシュは、もうルルーシュじゃないよw

ルルーシュは、いわば厨二病の代名詞みたいなキャラだったんだからw
それは踏襲しないとやっぱりだめだよ。
やっぱり、オリジナルが終了してから15年?くらい経っていると、新作続編といっても、そのあたりの根本的な設定からいじらないといけなくなるのはきつい。
エヴァンゲリオンが新作劇場版になってから、なんだこれ?、という感じになっているのと全く同じかなー。

というのが、全部見た後の・・・、というよりも途中まで見ながら、気づいてしまった印象。
そういう意味では、中盤ですっかり冷めてしまったね。

だって、物語自体、何のひねりもないテンプレの連続だし。

ルルーシュにしたって、ゼロレクイエムによる殺害の後遺症?で、最初はアーウーうめいているだけのダメ人間になっていたのが、CCと「Cの世界!(なつかしいw)」に行ったら、大した苦労もなく、なんかいつの間に「復活!」してるしw

でも復活したらただの真人間になっていた。
角が取れたいいやつになんか、なっていた。
お風呂あがりのようなさっぱり感w

いや、そんなエグみのないヤツ、ルルーシュじゃないからw

終始こんな感じで、だから、新作といっても、おまけのエピソード感が半端ない。

だって、ほんとにオリジナルのR2が終了した後に、当時ファンが見たがっていたようなシーンのてんこ盛りなんだもの。

ざっと挙げただけでも、

●カレンがルルーシュとの再会に感極まって抱きつくw (デレてる)
●カレンとスザクがついに共闘w
●扇がルルーシュに懺悔・謝罪w 
●コーネリアがルルーシュと(ギアスなしで)和解
●アーニャがジェレミアとともに何事もなかったかのように参戦w
●ジノが黒の騎士団にそのまま在籍w
●ナナリーがルルーシュに謝り、許しを請う

なんか、もう、カレンを筆頭にみんなルルーシュに対してデレてるのだから。
ハーレムエンドの主人公みたいだぞ、ルルーシュ!
といっても、最後はお約束どおり、カレンでもナナリーでもなく、CCを選ぶという、トゥルーエンドなんだけどw

ざっくりいえば、コードギアス本編でずっと争っていた敵対者たちが、皆、和解し、仲間になってしまった世界。
しかも、仲間になるきっかけを与えてくれたのはルルーシュだった、うん、だから、ルルーシュ、ありがとう!、という世界。

とっても、ほんわかとした世界w

むー、こそばゆいぞ、ルルーシュがそんなに皆から褒められている様子なんて。

で、そんなバラ色?はちみつ色?の世界になってしまったら、彼らが共通してあたる敵対者を外部に作るしかなくて。。。

でもね、コードギアスって、ルルーシュが、ほかもでもない「世界にあだなす」超上昇志向の物語だから疾走感があったのに、そこで、でもね、敵はまだ外にいたんですよ!、という感じになるのはね。

なんか、世界が急にリアルにしぼんだ気がするんだ。

その上、敵のギアスは、CCとVVが教祖を務めていた例のギアス教団の分派、とかいう、いかにもな設定なのだから。

しかも、その敵のギアスが「死に戻り」というのだから。
それ、リゼロのスバルのパクリじゃん“

というか、そもそもギアスって、相手の脳内に刺激を与えて、一種の心理操作をする話じゃなかったんだっけ?
つまり、認識に操作するだけで、物理に直接干渉するものではなかったんじゃなかったっけ?
さすがに死に戻りはないんじゃん?

もちろん、ハードSF考証なんてする必要はないけど、作中のお約束は一応徹底するからこその面白さじゃなかったのか、ってね。

もっとも、マリアンヌがアーニャの身体に「魂だけ転写した」なんて、反則ギリギリのギアスもあったから、すでにオリジナルでも、半分くらいルールを破っているわだけど。

まぁ、Cの世界をネタにするには丁度いいものだったように思うけど。

というか、このCの世界を前面に出して、オカルトファンタジーにする、というのも、ファンムービーって感じがした理由の一つかなぁ。

というか、典型的な二次創作ネタ、というか。。。

でもねー、Cの世界というのも、オリジナルでは、まさに物語を回すためだけにあるマクガフィンだったので、あの設定を真面目にいじろうとすると、必然的にいろいろとボロが出るはずなので、手を出しちゃいけないものにさわっちゃったなぁーという感じがして。

あー、やっちゃったかぁ。。。、という感じは拭えない。

そこから思ったのは、これはもう、ギアスが無効なCCのために作られたエピローグだったんだなぁ、ってことで。

実際、彼女がいない限り、勝ち筋が全く見えなかったのだから。

せっかく復活したルルーシュが、見事に、テンパってたくらいだしねw
それも、コーネリアなども含めて、仲間に大口叩いた直後にね。

でも、これはCCエンドのためのお話だったから、それもやむなきだったことで。

だって、最後に、ルルーシュが、もうルルーシュと名乗ることができないため、LL(エルツ―)と名乗ろうとしたあたりでは、CCが、あ、やっと伴侶を見つけることができた、という喜びを明らかにしていた。

あの、CCの笑顔がすべてを物語っていたんだろうなぁ。
そこまで、時の牢屋の中で追い詰められていたんだなー、CCって。
改めて思ったよ。

ところで、このエルツ―って呼称、そういえば、オリジナルのコードギアスが終了するあたりで、盛んにもうファンの間で言われていたことだったなぁ、と、今更ながら、しみじみと思い出しちゃったよw

放送終了時には、ゼロレクイエムでゼロ=ルルーシュがスザクに殺害された後、彼は復活したはずだ、なぜならCの世界でシャルルを倒したときに彼から不死のコードを奪っていたはずだから、という説もまことしやかに流れていたから。

だから、ホント、そういったファンが垂れ流した願望、というか妄想を、とにかくできる限り拾い集めて作ったファンムービー。

いってしまえば、ファンたちの「集合無意識」の産物w
つまりは、Cの世界がつくった「IFの世界」w

そういう意味では、谷口悟朗も随分、安直になったなぁ、堕落したなぁ、と感じてしまった。

繰り返しになるけど、何が残念か、って、ブリタニアの外には、普通に国際紛争があって、ブリタニアを越える敵もいます、という世界観。

いや、これはアギト?だっけ?
あちらで欧州戦線を舞台にしたときからすでに採用されていた世界観ではあったわけだけど。

でもね、
ルルーシュの魅力は、まさに厨二病全開の「世界が間違ってるのだから、俺が世界を正す」という姿勢にあったはずなのだけど、結局のところ、彼の言う「世界」とはせいぜいがブリタニアとエリア11、そして、超合衆国の母体の一つだった中華連邦ぐらいだった、ってこと。

なにより、それが明らかにされてしまったことが、(ルルーシュにとって)イタイなぁ、と思ったのだった。

その厨二病全開の高笑いのもとで勢いに任せて行われていた国盗りゲームの帝国的進撃がすっかり収まってしまって、諸外国との均衡関係が明らかになった。

そりゃ、急に世界観がしょぼくなってしまったように感じてもおかしくはない。。。

なんだかねぇ。。。


ともあれ、よくできたファンムービーだった。

でも、これ、さすがにこの続編はないよね?

せっかくルルーシュを復活させたのだから、続きが作られるかもしれないけれど、でも、この世界観なら、なくてもいいかなぁ。。。


その意味では、最後の最後のシーンで、ナナリーが、バサッとベッドから目覚めて、

「ねぇねぇ、聞いてください、咲世子さん、カレンさん、いま、お兄様が真人間になって帰ってくる夢を見たんです。私が囚われの身になったら、お兄様がさっそうと救いに現れてくださって。。。私、ちゃんと、お兄様に謝ることもできたんですよ。。。」

とか起き抜けなのに熱弁をふるって、咲世子とカレンが、生暖かい目でナナリーを眺めるくらいの、夢オチでもよかったかなぁ、と思う。

実際、そんな感じのファンムービーだったわけで。

そうそう、咲世子さんのNINJA姿、というかくノ一姿、かっこよかったなぁ。。。
オリジナルでの、ジェレミア戦以来の勇姿だった。

ほんと、いいファンムービーだw

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