ぼく勉2期の最終13話、普通に学園祭が終わったな、と思っていたら、いつの間にかCパートが始まって、卒業後の6月、うるかが留学に向かうため、皆が空港に見送りに来ているシチュエーション。
で、あれこれすっとばして結論だけいうと、あれ、うるかエンドなんですね?
成幸の相手はうるかだった、ということなんですね? という終わり方。
むしろ、そう締めることで、3期はないよー、という宣言で終わった感じだった。
正直なところと、『五等分の花嫁』とちがって『ぼく勉』は、ホントに読み飛ばすくらいしかしていない。
というか、このマンガはラブコメというよりも、ただのスラップスティックコメディにしか思えてないので、誰エンドで終わろうと構わない、という読み方。
だって、『五等分』と違って、特に誰かの心情がきちんと描かれるわけでもなく、また、そのような心情が生み出されるようなイベントがきちんと描かれてきたわけではないよね?
いや、学園祭を筆頭に、普通にイベントはたくさん、こなしてはいるけどさ。
あくまでも受験という設定と、そのための教師役、という設定があり、あえていえばその設定があまりにも『五等分』と酷似しているから、向こうに合わせてラブコメ認定されているだけだと思うのだよね。
だって、今回の学園祭の描写だって、ダメな教師たちを含めて特に物語にリアリティが込められているわけではないでしょ?
だから、単純にドタバタを愉しめばいいくらいの作品。
あ、別にこれはディスっているわけではないからね。
あくまでも、ジャンルとしては、ラブコメではなく、ドタバタ重視のスラップスティックコメディだというだけのこと。
なので、そのスラップスティックコメディの文法に則って、だれが、一番ビックリさせられるか?というのが多くの読者の関心事でもあるわけでしょ?
なので、結果的に、真冬先生への期待が高まっている!ということで。
加えて、文乃の、女子力には欠けるけれど、ある意味で古典的な気配り女子のところが好感度が高まっている、ということで。
なんていうか、真冬先生と文乃は、むしろ、このスラップスティックコメディに無理矢理「ラブコメ」成分を持ち込むための存在だよね。
強いて言えば、周りの気配りの点で、真冬先生と文乃の間で先生と生徒の位置づけが逆転しているくらいで。
だから、基本的にこの二人は、同じキャラの裏表みたいなところがあって。
どちらも、女子力ゼロの残念美人だしw
ただ、そこで、若干めんどうなのは、うるかと理珠が、ドタバタ担当であるにも関わらず無理矢理ラブコメ要因でもあると見せるために、身体的アピールと、調理が得意、という女子力を保持しているところで。
裏返すと、このヒロイン属性のアンバランスな分配が、本来のドタバタ劇を、ギリギリ、ラブコメっぽく演出することに貢献しているわけで。
で、ちょっと脇道にそれてしまったけど、言いたいことは、多分、本来的なヒロインは、やはり、真冬と文乃であって、今回のうるかエンドは、まぁ、ボーナスポイントみたいなもの、かなぁと。
てか、でなければ、物語の終盤になってわざわざ文乃に成幸への恋心に気付かせるなんてことさせないでしょ。
個人的には、あれで、てっきり、ラブコメとしては美しく互いの心情を理解できる文乃エンドなんだろうと思っていたし、いまもそうだと思っている。
ただ、繰り返すけど、誰のエンドになるかは、この作品については、ほとんど関心がないので、誰でもいいとは思ってるけどね。
その意味では、うるかエンドを見せられても、へ?、ぐらいにしか思わなかったかな。
むしろ、あれ、これ3期なしで、むしろ、せっかく2期までやったのに、アニメ企画としては打ち切りエンドにしてしまっただけ、ということかな、と。
あとは、原作の方も、最終コーナーに差し掛かっているところなので、こうしてアニメの方をうるかエンドにして、ある意味無理矢理、最終回への期待を高めようということかな、と。
前のヴィンランド・サガについてのエントリーでもちょっと触れたけど、今どきのアニメは、基本的には原作の拡販素材なわけだから、このアニメのエンドもそのように受け取るのが自然でしょ。
要するに、一種の炎上商法。
まぁ、そう言い切ってしまうと、ちょっと何なんだけど。
でも、直後に、作者自身までツイッターでつぶやいているとなると、そこまで含めての出来レースでしかないよね、きっと。
つまりは、原作の最終話で誰エンドか確定した時点で、うるかエンドはホントだったー、あるいは、うるかエンドはツリだったー、と騒ぐための仕込み。
むしろ、そう思えてしまうような無理矢理な終わり方のほうが気になってしまった。
『五等分』の方もそうだけど、漫画編集者も大変な時代なんだろうな、きっと。
ということで、うるかエンドはあくまでもネタでしかなくて、原作は、バランスよく文乃エンド、次点で、卒業後、少し時間を飛ばしたカーテンコール的エピソードを通じて真冬先生、かな。
いや、まじで、それが妥当なオチだと思うよ。
で、あれこれすっとばして結論だけいうと、あれ、うるかエンドなんですね?
成幸の相手はうるかだった、ということなんですね? という終わり方。
むしろ、そう締めることで、3期はないよー、という宣言で終わった感じだった。
正直なところと、『五等分の花嫁』とちがって『ぼく勉』は、ホントに読み飛ばすくらいしかしていない。
というか、このマンガはラブコメというよりも、ただのスラップスティックコメディにしか思えてないので、誰エンドで終わろうと構わない、という読み方。
だって、『五等分』と違って、特に誰かの心情がきちんと描かれるわけでもなく、また、そのような心情が生み出されるようなイベントがきちんと描かれてきたわけではないよね?
いや、学園祭を筆頭に、普通にイベントはたくさん、こなしてはいるけどさ。
あくまでも受験という設定と、そのための教師役、という設定があり、あえていえばその設定があまりにも『五等分』と酷似しているから、向こうに合わせてラブコメ認定されているだけだと思うのだよね。
だって、今回の学園祭の描写だって、ダメな教師たちを含めて特に物語にリアリティが込められているわけではないでしょ?
だから、単純にドタバタを愉しめばいいくらいの作品。
あ、別にこれはディスっているわけではないからね。
あくまでも、ジャンルとしては、ラブコメではなく、ドタバタ重視のスラップスティックコメディだというだけのこと。
なので、そのスラップスティックコメディの文法に則って、だれが、一番ビックリさせられるか?というのが多くの読者の関心事でもあるわけでしょ?
なので、結果的に、真冬先生への期待が高まっている!ということで。
加えて、文乃の、女子力には欠けるけれど、ある意味で古典的な気配り女子のところが好感度が高まっている、ということで。
なんていうか、真冬先生と文乃は、むしろ、このスラップスティックコメディに無理矢理「ラブコメ」成分を持ち込むための存在だよね。
強いて言えば、周りの気配りの点で、真冬先生と文乃の間で先生と生徒の位置づけが逆転しているくらいで。
だから、基本的にこの二人は、同じキャラの裏表みたいなところがあって。
どちらも、女子力ゼロの残念美人だしw
ただ、そこで、若干めんどうなのは、うるかと理珠が、ドタバタ担当であるにも関わらず無理矢理ラブコメ要因でもあると見せるために、身体的アピールと、調理が得意、という女子力を保持しているところで。
裏返すと、このヒロイン属性のアンバランスな分配が、本来のドタバタ劇を、ギリギリ、ラブコメっぽく演出することに貢献しているわけで。
で、ちょっと脇道にそれてしまったけど、言いたいことは、多分、本来的なヒロインは、やはり、真冬と文乃であって、今回のうるかエンドは、まぁ、ボーナスポイントみたいなもの、かなぁと。
てか、でなければ、物語の終盤になってわざわざ文乃に成幸への恋心に気付かせるなんてことさせないでしょ。
個人的には、あれで、てっきり、ラブコメとしては美しく互いの心情を理解できる文乃エンドなんだろうと思っていたし、いまもそうだと思っている。
ただ、繰り返すけど、誰のエンドになるかは、この作品については、ほとんど関心がないので、誰でもいいとは思ってるけどね。
その意味では、うるかエンドを見せられても、へ?、ぐらいにしか思わなかったかな。
むしろ、あれ、これ3期なしで、むしろ、せっかく2期までやったのに、アニメ企画としては打ち切りエンドにしてしまっただけ、ということかな、と。
あとは、原作の方も、最終コーナーに差し掛かっているところなので、こうしてアニメの方をうるかエンドにして、ある意味無理矢理、最終回への期待を高めようということかな、と。
前のヴィンランド・サガについてのエントリーでもちょっと触れたけど、今どきのアニメは、基本的には原作の拡販素材なわけだから、このアニメのエンドもそのように受け取るのが自然でしょ。
要するに、一種の炎上商法。
まぁ、そう言い切ってしまうと、ちょっと何なんだけど。
でも、直後に、作者自身までツイッターでつぶやいているとなると、そこまで含めての出来レースでしかないよね、きっと。
つまりは、原作の最終話で誰エンドか確定した時点で、うるかエンドはホントだったー、あるいは、うるかエンドはツリだったー、と騒ぐための仕込み。
むしろ、そう思えてしまうような無理矢理な終わり方のほうが気になってしまった。
『五等分』の方もそうだけど、漫画編集者も大変な時代なんだろうな、きっと。
ということで、うるかエンドはあくまでもネタでしかなくて、原作は、バランスよく文乃エンド、次点で、卒業後、少し時間を飛ばしたカーテンコール的エピソードを通じて真冬先生、かな。
いや、まじで、それが妥当なオチだと思うよ。