115話の最後で、三玖が四葉になりきって風太郎と付き合う、というヤンデレ全開の発言をしたのに対して、四葉は、倫理的に間違っている、と返していた。
倫理的!、だよ。
さすがは国語担当の五つ子w
四葉、やっぱり、超・真面目だよね。
もともと自我が芽生えるのも五つ子の中で早い方だったから、ということもあるのだろうし、加えて、例の姉妹を道連れにして退学/転校した事件もあって「正しいこと」を正しく行うことにかけては、多分、五月を超えて禁欲的。
でも、そうでないと、あれだけ五つ子の中で突出して体力バカにはなれないよね。
ストイックに訓練に精を出したからこその能力。努力の結晶。
でも、そんな四葉だからこそ、自分だけでなく五つ子がみな幸せになることを祈って、もしかしたら、なかば自爆的な行動をこの先、起こすのかもしれない。
その意味では、四葉は、五月以上に、母・零奈の願いに縛られ続けている、ともいえる。
四葉は公平にこだわる正義ガール。
となると、気になるのは、81話で、京都の修学旅行の時、三玖を追って風太郎とバスに乗っていた時の二人の会話かな。
四葉が「皆が幸せになる方法」を風太郎に尋ねると、彼は「何かを選ぶ時は、何かを選ばない時」と答えていた。
つまり、四葉のやることにも限度があって、端的に「皆が幸せになる」ことは不可能だ、というのが風太郎の答えだった。
多分、この「最後の祭り」の状況で、四葉は、この「皆が幸せになる」方法を探してあがく、ということになるんじゃないかな。
それこそ、風太郎の預かり知らぬところで。
というか、風太郎こそ、完全に蚊帳の外だよね。
むしろ、風太郎の気づかぬところで、勝手に五つ子の姉妹の間で、勝手に敗戦処理的作業が進んでいるわけで。
これ、一応、主人公の男子としてどうなんだ?
ホント、風太郎のポンコツ化が止まらない。この先も、風太郎がこんな感じになるのは、さすがに勘弁してほしいのだけど。
彼らしさを発揮して、ちゃんと「恋愛の機微」を(短期間の間に)学習してほしい。
でないと、このままだとただの間男みたいな存在にしかならない。
ともあれ、正義ガール四葉は、逆に、風太郎には隠し事はしない、という決断をして、いろいろと話すことになるのだろう。
その時、物語的に焦点になるのが、どういう形で、京都の子、であることを伝えるか、ということ。
だって114話で、風太郎が四葉にお前が「京都の女の子」だったんだろ?、もしくはお前が「零奈」だったんだろ?と四葉に問いただそうとしたら、四葉はその問いをみなまで言わせずにさえぎってしまったから。
「京都の子」問題は、実はまだきちんと触れられていない。。。
だから、その話題になった時、四葉は、一花や五月のことまで、バカ正直に話すのか、ということ。
そして、このことが、もしかしたら自爆行為になるのかもしれない。
もっとも、それまでに風太郎が、恋愛初心者の挙動不審者から抜け出していないといけないけれどw
こう見てくると、『最後の祭り』編の物語上の役割は、
●(半ば強制的に)四葉に風太郎が好きだと告白させること
●事前に風太郎に「好き」と伝えていた二乃と三玖に、「選ばれなかった」という事実を突きつけることで、(四葉の手前)自主的に退場してもらうこと。
その上で、
●四葉に6年前の京都の出会いを告白させることを通じて、付随的に、6年前に一花も風太郎に会っていること、ならびに、高2以後、「零奈」として風太郎に接触していたのは五月であったこと、を風太郎に知らせること。
にあったのではないか。
要するに、風太郎が四葉だったと思っていた相手は、全てが四葉だったわけではなく、一花と五月でもあった、という事実。
問題は、これを知って、風太郎がどういう行動に出るか。
もっとも零奈については、状況証拠から五月が怪しいと風太郎も思っているようにも思えるが。
ただ、ここのところの描写を見ると、風太郎は、そこまで勘のいいやつかどうかは疑問のところもあるし。わりと、三玖補正や二乃補正がされた風太郎像を、それが本人であるかのように読まされてきたのではないかという疑いが拭えなくなりつつある。
なにしろ、一花先生!だもの。
とまれ、四葉が、一花や五月についても正直に告白したのを聞いて、「おい、ちょっと待て、じゃあ、あいつがあの時言ったことは・・・」、というような反応を風太郎が示すようなら、まだこの先、物語の行く末は二転三転するのかもしれない。
倫理的!、だよ。
さすがは国語担当の五つ子w
四葉、やっぱり、超・真面目だよね。
もともと自我が芽生えるのも五つ子の中で早い方だったから、ということもあるのだろうし、加えて、例の姉妹を道連れにして退学/転校した事件もあって「正しいこと」を正しく行うことにかけては、多分、五月を超えて禁欲的。
でも、そうでないと、あれだけ五つ子の中で突出して体力バカにはなれないよね。
ストイックに訓練に精を出したからこその能力。努力の結晶。
でも、そんな四葉だからこそ、自分だけでなく五つ子がみな幸せになることを祈って、もしかしたら、なかば自爆的な行動をこの先、起こすのかもしれない。
その意味では、四葉は、五月以上に、母・零奈の願いに縛られ続けている、ともいえる。
四葉は公平にこだわる正義ガール。
となると、気になるのは、81話で、京都の修学旅行の時、三玖を追って風太郎とバスに乗っていた時の二人の会話かな。
四葉が「皆が幸せになる方法」を風太郎に尋ねると、彼は「何かを選ぶ時は、何かを選ばない時」と答えていた。
つまり、四葉のやることにも限度があって、端的に「皆が幸せになる」ことは不可能だ、というのが風太郎の答えだった。
多分、この「最後の祭り」の状況で、四葉は、この「皆が幸せになる」方法を探してあがく、ということになるんじゃないかな。
それこそ、風太郎の預かり知らぬところで。
というか、風太郎こそ、完全に蚊帳の外だよね。
むしろ、風太郎の気づかぬところで、勝手に五つ子の姉妹の間で、勝手に敗戦処理的作業が進んでいるわけで。
これ、一応、主人公の男子としてどうなんだ?
ホント、風太郎のポンコツ化が止まらない。この先も、風太郎がこんな感じになるのは、さすがに勘弁してほしいのだけど。
彼らしさを発揮して、ちゃんと「恋愛の機微」を(短期間の間に)学習してほしい。
でないと、このままだとただの間男みたいな存在にしかならない。
ともあれ、正義ガール四葉は、逆に、風太郎には隠し事はしない、という決断をして、いろいろと話すことになるのだろう。
その時、物語的に焦点になるのが、どういう形で、京都の子、であることを伝えるか、ということ。
だって114話で、風太郎が四葉にお前が「京都の女の子」だったんだろ?、もしくはお前が「零奈」だったんだろ?と四葉に問いただそうとしたら、四葉はその問いをみなまで言わせずにさえぎってしまったから。
「京都の子」問題は、実はまだきちんと触れられていない。。。
だから、その話題になった時、四葉は、一花や五月のことまで、バカ正直に話すのか、ということ。
そして、このことが、もしかしたら自爆行為になるのかもしれない。
もっとも、それまでに風太郎が、恋愛初心者の挙動不審者から抜け出していないといけないけれどw
こう見てくると、『最後の祭り』編の物語上の役割は、
●(半ば強制的に)四葉に風太郎が好きだと告白させること
●事前に風太郎に「好き」と伝えていた二乃と三玖に、「選ばれなかった」という事実を突きつけることで、(四葉の手前)自主的に退場してもらうこと。
その上で、
●四葉に6年前の京都の出会いを告白させることを通じて、付随的に、6年前に一花も風太郎に会っていること、ならびに、高2以後、「零奈」として風太郎に接触していたのは五月であったこと、を風太郎に知らせること。
にあったのではないか。
要するに、風太郎が四葉だったと思っていた相手は、全てが四葉だったわけではなく、一花と五月でもあった、という事実。
問題は、これを知って、風太郎がどういう行動に出るか。
もっとも零奈については、状況証拠から五月が怪しいと風太郎も思っているようにも思えるが。
ただ、ここのところの描写を見ると、風太郎は、そこまで勘のいいやつかどうかは疑問のところもあるし。わりと、三玖補正や二乃補正がされた風太郎像を、それが本人であるかのように読まされてきたのではないかという疑いが拭えなくなりつつある。
なにしろ、一花先生!だもの。
とまれ、四葉が、一花や五月についても正直に告白したのを聞いて、「おい、ちょっと待て、じゃあ、あいつがあの時言ったことは・・・」、というような反応を風太郎が示すようなら、まだこの先、物語の行く末は二転三転するのかもしれない。