あはは、いささか待ち疲れたw
いや、あの114話のラストで、2週間お預けを食らうというのは、結構、しんどいものだね。
週刊連載のリズム、というのは、やはりあるんだな、と感じている。
といっても、単行本になったら、頁は続くわけだから、その2週間のタメもきれいに消えてしまうのだけどw
で、115話、どこから始まるのだろう?
風太郎と四葉の二人かね?
それとも、五月が残りの姉妹を巡回して慰めているところかね?
いずれにしても、一花、二乃、三玖、の心理描写があるのかどうか、というのは気になるところ。
というのも、この作品の一つ残酷なところは、恋のライバルがみな姉妹である、ということね。
五等分の呪い。
普通の恋愛なら、想いを遂げた人と、遂げられなかった人は、究極的には他人で、その対応には、祝福から激高まで、振れ幅がある。
二人が結ばれた後で、友達であり続けることもあれば、全く異なる道を歩むこともある。
でも、この物語の場合は、五つ子という「家族」の縛りが最後までつきまとう。
それが、最終局面では、結構、しんどい。
だからなんだろうね、112話で、多分、一花の言葉だったと思うけど、
「わたしたちは、いつまで五つ子なのだろう?」
と語られてしまうのも。
五つ子の縛りがなくなれば、自由に好きなだけ泣き喚くこともできるかもしれないのに。
けれども、自動的に抑制が生じてしまう。
作中では、一度、一花がそんなリミッターを外して突っ走ろうとしたわけだけど、よくも悪くも、五つ子の影の良心だった二乃の騎士道精神によって、そうした抜け駆けは、現場に立ち会えば、断罪されてしまう。
何が言いたいかといえば、嫉妬の感情が最初から封印されている、ないしは抑圧されていること。
そして、これもまた強いて言えば、自らその抑圧の呪縛に悩みながら、ひとり影で泣いていたのが四葉だった、という複雑さ。
つまり、恋心の表明を完全に滅していた子だけが、皮肉なことに、特権的に「嫉妬」の感情を表現する権利が得られる、という構図。
これはねー。
厳しい。
こんなことを考えているのは、普通に読んでくれば、四葉の気持ちも、四葉が花嫁候補としてかなり優位にあることはわかっていても、なんとなく114話の結果が釈然としないのはなんでろう?と思っていたからで。
結論的には、いま書いたように、この漫画は、五つ子の姉妹=家族によるヒロイン争いという物語構造的に嫉妬を描くのが困難だったからなんだろうなぁ、と思ったから。
そのため、嫉妬心があることを、自分の気持ちを表明しないことでしか表現できなかった。
で、それが唯一できたのが、姉妹にも風太郎にも負い目を感じていた四葉だった、ということ。
さらにいえば、風太郎にしても、そんな四葉の複雑な感情の存在をすっ飛ばして、とにかく高校で出会ってからいつも気にかけてくれてありがとう!、という理由で四葉を選んでいる。
なんていうか、気持ちの表現が、四葉にしても風太郎にしても、ストレートではないんだよね。
というか、どちらも、どこかしら、こじらせている。
いや、四葉がこじらせているのは読者にとっては周知のことだったので、むしろ、あれ?と思わせられたのは、おいおい、風太郎、お前もこじらせていたのかよ?、というところだったわけで。
それも114話がしっくりこない理由なんだよな。
つまり、一花はもとより、二乃や三玖のストレートな攻勢に対して、風太郎は実は、ほととんどその意味や意図を取り違えてしまうほどの、ガチな唐変木だった、というようにも取れてしまうオチだったように思えてしまう。
いくら、風太郎の内面はほとんど描写されていなかったからといって、さすがにそこまで恋愛、というか人の心の機微にふれるのが下手だったのか?と。
それがなんだかおかしいな、と感じるのは、三玖が風太郎に惚れた最大の理由が、風太郎は相手の心の奥底にすっと入り込んでその気持ちをわかってしまうところだったから。
あれ、この風太郎は、あくまでも三玖視点の、都合の良い誤解だったの?と思えてしまう。
多分、同じことは、二乃と一花に対してもあてはまる。
つまり、なんとなくこれが風太郎の本質だと思っていたこと、あるいは思わされていたことと、113話、114話の彼の言動が、どこかちょっとズレているように感じてしまう。
なんか、突然、四葉なみの、こじらせっ子、になってしまったような感じが拭えない。
なので、115話以降、彼が、他の姉妹に対してどんなふうに振る舞っていくのか、とても気になってきている。
それは同時に、一花、二乃、三玖がどう描かれるのか、にもつながるのだけど。
いや、あの114話のラストで、2週間お預けを食らうというのは、結構、しんどいものだね。
週刊連載のリズム、というのは、やはりあるんだな、と感じている。
といっても、単行本になったら、頁は続くわけだから、その2週間のタメもきれいに消えてしまうのだけどw
で、115話、どこから始まるのだろう?
風太郎と四葉の二人かね?
それとも、五月が残りの姉妹を巡回して慰めているところかね?
いずれにしても、一花、二乃、三玖、の心理描写があるのかどうか、というのは気になるところ。
というのも、この作品の一つ残酷なところは、恋のライバルがみな姉妹である、ということね。
五等分の呪い。
普通の恋愛なら、想いを遂げた人と、遂げられなかった人は、究極的には他人で、その対応には、祝福から激高まで、振れ幅がある。
二人が結ばれた後で、友達であり続けることもあれば、全く異なる道を歩むこともある。
でも、この物語の場合は、五つ子という「家族」の縛りが最後までつきまとう。
それが、最終局面では、結構、しんどい。
だからなんだろうね、112話で、多分、一花の言葉だったと思うけど、
「わたしたちは、いつまで五つ子なのだろう?」
と語られてしまうのも。
五つ子の縛りがなくなれば、自由に好きなだけ泣き喚くこともできるかもしれないのに。
けれども、自動的に抑制が生じてしまう。
作中では、一度、一花がそんなリミッターを外して突っ走ろうとしたわけだけど、よくも悪くも、五つ子の影の良心だった二乃の騎士道精神によって、そうした抜け駆けは、現場に立ち会えば、断罪されてしまう。
何が言いたいかといえば、嫉妬の感情が最初から封印されている、ないしは抑圧されていること。
そして、これもまた強いて言えば、自らその抑圧の呪縛に悩みながら、ひとり影で泣いていたのが四葉だった、という複雑さ。
つまり、恋心の表明を完全に滅していた子だけが、皮肉なことに、特権的に「嫉妬」の感情を表現する権利が得られる、という構図。
これはねー。
厳しい。
こんなことを考えているのは、普通に読んでくれば、四葉の気持ちも、四葉が花嫁候補としてかなり優位にあることはわかっていても、なんとなく114話の結果が釈然としないのはなんでろう?と思っていたからで。
結論的には、いま書いたように、この漫画は、五つ子の姉妹=家族によるヒロイン争いという物語構造的に嫉妬を描くのが困難だったからなんだろうなぁ、と思ったから。
そのため、嫉妬心があることを、自分の気持ちを表明しないことでしか表現できなかった。
で、それが唯一できたのが、姉妹にも風太郎にも負い目を感じていた四葉だった、ということ。
さらにいえば、風太郎にしても、そんな四葉の複雑な感情の存在をすっ飛ばして、とにかく高校で出会ってからいつも気にかけてくれてありがとう!、という理由で四葉を選んでいる。
なんていうか、気持ちの表現が、四葉にしても風太郎にしても、ストレートではないんだよね。
というか、どちらも、どこかしら、こじらせている。
いや、四葉がこじらせているのは読者にとっては周知のことだったので、むしろ、あれ?と思わせられたのは、おいおい、風太郎、お前もこじらせていたのかよ?、というところだったわけで。
それも114話がしっくりこない理由なんだよな。
つまり、一花はもとより、二乃や三玖のストレートな攻勢に対して、風太郎は実は、ほととんどその意味や意図を取り違えてしまうほどの、ガチな唐変木だった、というようにも取れてしまうオチだったように思えてしまう。
いくら、風太郎の内面はほとんど描写されていなかったからといって、さすがにそこまで恋愛、というか人の心の機微にふれるのが下手だったのか?と。
それがなんだかおかしいな、と感じるのは、三玖が風太郎に惚れた最大の理由が、風太郎は相手の心の奥底にすっと入り込んでその気持ちをわかってしまうところだったから。
あれ、この風太郎は、あくまでも三玖視点の、都合の良い誤解だったの?と思えてしまう。
多分、同じことは、二乃と一花に対してもあてはまる。
つまり、なんとなくこれが風太郎の本質だと思っていたこと、あるいは思わされていたことと、113話、114話の彼の言動が、どこかちょっとズレているように感じてしまう。
なんか、突然、四葉なみの、こじらせっ子、になってしまったような感じが拭えない。
なので、115話以降、彼が、他の姉妹に対してどんなふうに振る舞っていくのか、とても気になってきている。
それは同時に、一花、二乃、三玖がどう描かれるのか、にもつながるのだけど。