BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

五等分の花嫁 第114話 感想5: 結局、五月とは何だっのか?―「演じる」ことの意味。

2019-12-12 11:25:46 | 五等分の花嫁
いや知っての通り、五月って、ただのくいしんぼの語り部だったんだけどね。

ただ、前のエントリーでも最後の方で書いたように、五月は「母になる」という自己暗示、というか自縄自縛の「演技」があったからこそ、風太郎に対して、正気で対処することができた。

つまり、五つ子が風太郎に抱いた感情が、恋愛というよりも不在の「父」を埋め合わせるものだった、という本質に気づいていた。

風太郎から「おまえらの父になる」という言葉を聞かされていたしね。

反対に五月は、しばしば上杉家にお邪魔して、最も上杉家の人びとと親しかったわけで。

そういう意味では、上杉家が母不在の父子家庭だったことも、微妙に効いている。
五月が上杉家の食卓を囲んでも、なんら違和感がなかった。むしろ、母、というか、らいはからすると、兄嫁みたいな姉がいるような感じだったし。

そうして「母」の役割をずっと「演じ」続けてることで、逆説的に、上杉家において、彼女も上杉家の一員になることができていた。

だから、風太郎が五つ子の父になっていたとしたら、五月は上杉家の母になっていた、つまりは、風太郎の母にもなっていた、ということだよね。まったくもってポンコツだけどw

その結果、五月は風太郎を、恋愛対象からは外していた。

うーん、ここちょっと難しいところだけど、すでに食卓を上杉家で一緒に囲むことに寄って、恋をする前に愛情を抱いてしまったのだろうな、母としての。

そのため、五月にとって風太郎は、恋愛の対象ではなく、尊敬する対象に落ち着いた。

まぁ、だから、この恋をするよりも先に愛を抱いた五月は、もう少し物語に尺があれば、この先、風太郎を、大人として恋愛対象にする、という展開もあり得たと思うのだけど。

だから、ちょっと惜しい。
恋愛をする前に、いわば正妻の位置についてしまったようなもので。

ただ、それもこれも、五つ子と風太郎が行っていたのは、基本的に恋愛ゲームでなく家族ゲームだったせいだと思う。

だって、二乃なんて完全に父親の姿を求めていたわけじゃない。

そういう意味では、マルオとの関係が改善された時点で、実は彼女にとっての風太郎の役割は終わっていたのかもしれない。その意味で『最後の祭りが二乃の場合』は一つの終わりを暗示していた。

でも、この風太郎との家族ゲームという「ちょっと歪な事実」に、五月は、母を演じることを普段からしていたため、気づいていた。その分、彼女は、正気を保っていられた。恋愛感情には発展させず、あくまでも、父の姿を重ねるレベル。せいぜいが「兄」に対する思慕くらい。

その上、五月の場合は、四葉の依頼で零奈になりすます、ということも中盤から始めてしまい、最後は、四葉の意向を無視して、自分から零奈になりすます、というところまで言ってしまったわけだけど。

この「零奈を演じる」というのも、結局、五月に対して、風太郎との関係を客観的に見ることをしいてしまったのだろうなぁ、と。

いや、「零奈」は五つ子の母の名前だから、客観的に見れば、五月は、変わらず「母を演じ続けている」だけなんだけどねw

ただ、かつてと今の四葉の気持ちを、零奈を演じる過程で慮らないわけがなく、結局、これをきっかけに、五月は、四葉の気持ちを風太郎に届けるメッセンジャーの役割を演じるようになってしまって。

簡単に言えば、五月って、自分の「本当の」気持ちがどこにあるか、よくわからなくなってしまったのだろうな。

だから、「母のような教師になる」という目標を掲げたところで干渉してきた実父・無堂との一件で、風太郎がマンションまで駆けつけて支えてくれようとしたところで、彼女は彼女で、キュン!としたはずなのだけど。

ただ、すでに(連載終了に向けた)時間切れw

風太郎を、理想と仰ぐ気持ちを素直に表明したところで終わってしまった。

で、何が言いたいのか、というと、五月の場合、母を演じ、零奈を演じ続けたことが、ヒロイン化を阻む心理的要因になっていた。

同時に、作者からすれば、五月を「くいしんぼの語り部」に作劇的に留めるための安全弁だったのだろうな、と思う。

なので、繰り返しになるけど、もう少し連載期間があったら、もう一段回進んで、五月も花嫁レースに参戦、ということにもなったのだろうけど。。。

惜しい。

しかし、そう考えると、この物語は、ホント、「演じる」ことが大きな役割を果たしているね。

一花が女優の卵であるだけでなく、その一花を越える「嘘つき=名優」ぶりを示していたのが、風太郎と高2で再会して以後の四葉だったわけだし。。。

よくよく考えたら、最後は不問になってしまったようだけど、一花が、6年前の京都での風太郎への接触をきっかけに、そもそも(高2の時点でも)四葉が占めるべき「幼馴染」の場所を一花が締めようとしていたところもあったのだから。

物語の随所で「演じる」こと、すなわち「嘘をつく」ことが大きな役割を果たしてきた。

恋愛ゲームをしていたようで、その実体は家族ゲームだったこと。

家族ゲームを成立させるために、五つ子は(養父はいるけれど)事実上の孤児、上杉家は父子家庭、という、「家族」という主題を自然に扱えるような設定が導入されていた。

その環境の中で、五月を、語り部の役にとどまらせることができた。

ホント、隅から隅までよく練られた物語。

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五等分の花嫁 第114話 感想4: これは『君の名は。』のような転生譚を装ったボーイ・ミーツ・ガールの物語

2019-12-12 01:43:26 | 五等分の花嫁
互いに過去にすでに出会っていたことに目を向けず、今の出会いに運命的な意味を見いだした、という点では、この物語は、一種の「転生」ものだった、と言い切ることもできるのかもしれない。

少なくとも四葉にとっては。

物語の結構としては『君の名は。』のようなもの。

その「運命感」の出どころは、自分が落第した結果、他の四姉妹ともども転校した先で、6年前の「彼」である風太郎に「たまたま」出会ってしまったこと。

でも彼と自分の現状をみると、その彼に、あの時の子だよ、なんて言い出すこともできず、ずっと別人であるかのように振る舞ってきた。

だから、まぁ、自発的な「転生」みたいなものだよね、四葉の場合。

もっとも、面白いことに、風太郎も風貌は、6年前と全然変わっていたわけで。

それは、日の出祭中に現れた竹林との対比でも明らかで。

風太郎は、竹林も変わった、と言っていたけど、いやいや、どう見ても、風太郎、別人でしょw

ということで、この物語は、転生した二人が、前世の記憶を持たずに再び出会い、まるでそれが運命であるかのように惹かれ合う・・・という今どきのちょっとオカルトじみた恋愛譚を、強引に「現代の高校を舞台にしたラブコメ」の形に変えてみせた、という、結構、力技の物語だった、ってことだったんだな。

うん、そう思うと、最後の最後で、四葉が6年前を封印する、あえていえば健忘する策にでるというトリッキーなひねりに及んだのも理解できる。

もっとも、114話の「四葉大逆転劇」に一番ビックリしているのは、この状態を一種の転生のように6年前とは異なる人物としてそのキャラを演じていた四葉の方であって、風太郎の方は、114話の説明を聞くと、実は、もう少しドライに現実的な視点から捉えていたようにもみえる。

てか、風太郎、やっぱり恋愛オンチ?

だって、いや、ホント、四葉がいてくれたから、ここまで来れたわ、お前がいなかったら、今みたいに五つ子みんなと仲良しになんてなれてなかった、という感じだったのがちょっと可笑しい。

要するに、四葉がいなかったら、そもそも出発点にあった五つ子の家庭教師が成立していなかった、というんだもんね。

なんていうか、五つ子の貢献度ポイントを加算方式で集計したら、うん、グンバツで四葉がトップだった、だから君に俺をこれからも支えてほしい、といってるのだから。

これ、恋愛脳とはちょっと違うよね、というか、実はズレてるw

そこが、一花に指摘されていた、フータロー君、結構俗っぽいところあるから!、というところ。

実は、四葉とは似た者同士の、オコチャマだった、ってことだよね、風太郎も。

だって、四葉が運動の方に振れたバカだったとしたら、風太郎は勉強の方に振れたバカだったわけで。

ベクトルが違うだけの似た者同士のバカップルw

その互いのバカっぷりの原点は、6年前の「必要な人になる」という二人で交わした誓い/呪いなんだよね。

そう思うと、今回の選択も自然なものに思えてくる。

そういう意味では、四葉は封印したけど、風太郎と四葉の二人は、恋愛精神年齢としては、かつて出会った時の小学生くらいのレベルのママ、ってことなんだろうね。

その意味では、お似合いの二人。

まぁ、四葉はオコチャマパンツをはいたままだし、風太郎は風太郎で恋愛マニュアル本を読んで、もっと勉強せねば!と夏休みに言ってたくらいだからw

そりゃ、一花や二乃、三玖は選ばないよなー。

だって、彼女たち乙女のテイストとは、出発点から合わないんだものw

実際、冷静になって見直すと、風太郎の独白って家庭教師関係でテンパったときのようなものばかりで、恋愛については、ほとんどゼロだったものね。

そうすると、恋愛偏差値の程度を考えると、実は、収まるべきところに収まった、というのが今回の結果だったのかもしれない。

お子様同士の似たもの夫婦。
割れ鍋に綴じ蓋w

風太郎の心情が大して描かれないのをいいことに、勉強ができるから色恋沙汰にも一定の理解を示していると勝手に思ってしまっていたけど、実は、そんなことはなかったw

要するに、読者も、いつの間にか、一花視点、二乃視点、三玖視点で、風太郎をカッコイイ奴と勘違いさせられていた、ということだね。

見事に誘導されていた。

でも、風太郎の本質は、6年前のヤンキーっぽかった風太郎と全然、変わっていなかったw

風太郎が自分でいってる通り、「ダサい」情けない野郎、ということ。
(だって、いまどき、ダサい、という言葉を使っているあたりが、心底、アレだよね)。

いやー、いい感じに騙されていたw

だから、たとえば二乃だったら、ホント、あのバイクで迎えに来られた時に、何か吊り橋効果的なものに騙されてしまったにちがいないw

風太郎は、いつの間にか、美化されていたわけだ。

そこを差っ引くと、素直にバカをやれる四葉が実は一番、ナチュラルにあっていた。

つまり、風太郎は風太郎で、四葉同様、勉強バカに転じたことで自分を偽っていた、ということだよね。

で、その勉強だけやれば必要な人になれると思いこんでいた歪さに気づかせてくれたのが四葉だった。

だいたい、小学生の時に決めた目標で高3まで過ごしてきたのだから、それは確かに歪んでいるといえば確かに歪んでいる。
ガタイは高3だけど、心の本質は小学生のままのようなものだから。

そういう意味では、四葉以外の五つ子、特に二乃と三玖は、そうした歪さを抱えた風太郎をそのままホンモノの風太郎と思うしかなかったのが敗因といえば敗因。

一花は、自分が女優をしているからか、一定の人間観察力はあって、風太郎の「歪さ」に気づいていたから、「誰も選ばない」なんていわないで、と主張していたのだろうし、

五月は五月で、五つ子が風太郎に抱いていた気持ちが、恋愛というよりも不在の「父」を埋め合わせるものだった、という本質に気づいていて、それゆえ、尊敬する対象ではあっても、恋愛の対象ではない、というところに彼女のポジションは落ち着いたのだろうね。

つまり、五つ子と風太郎が行っていたのは、基本的に恋愛ゲームでなく家族ゲームであったと。

それは、五月も、母を演じることを普段からしていたからこそ、気づけたことだった。それゆえ、五月だけが、最初から最後まで正気でいることができた。だから、恋愛感情には発展しなかった。あくまでも、父の姿を重ねるレベル。
強いて言えば「兄」としての思慕。
(だから、五月は、らいはと仲が良かったのだと思う)

裏返すと、他の姉妹は、風太郎に父を重ねていることに意識がいかないだけに、少しばかり、正気を失っていた。

その中で、風太郎の本質を最初から知った上でここまで付き合ってきたのが四葉だった、ってことだよね。

とはいえ、四葉と風太郎は、互いに6年前にかけた誓いという一種の呪いを解かなければいけなくなっていたのも確かで、その作業もまた、二人で臨むしかなかった。

ということで、やっぱり、一応、転生譚の変形みたいなものだったんだな。
もともと、互いに互いを縛りあった間柄だったわけだから。
つまりは、運命の赤い糸。

やっぱり、『君の名は。』に近いなぁ。

なので、収まるべきところに二人は収まった、というだけのこと。

とはいえ、それも、若干正気だった姉の一花と母の五月のアシストがあればこそのことだったわけだけど。


もっとも、こんな見方、全部が終わらないと無理なことなので、完全に後知恵にすぎない。

いやー、改めて、興味深い物語だったってことに驚くな。

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