いや知っての通り、五月って、ただのくいしんぼの語り部だったんだけどね。
ただ、前のエントリーでも最後の方で書いたように、五月は「母になる」という自己暗示、というか自縄自縛の「演技」があったからこそ、風太郎に対して、正気で対処することができた。
つまり、五つ子が風太郎に抱いた感情が、恋愛というよりも不在の「父」を埋め合わせるものだった、という本質に気づいていた。
風太郎から「おまえらの父になる」という言葉を聞かされていたしね。
反対に五月は、しばしば上杉家にお邪魔して、最も上杉家の人びとと親しかったわけで。
そういう意味では、上杉家が母不在の父子家庭だったことも、微妙に効いている。
五月が上杉家の食卓を囲んでも、なんら違和感がなかった。むしろ、母、というか、らいはからすると、兄嫁みたいな姉がいるような感じだったし。
そうして「母」の役割をずっと「演じ」続けてることで、逆説的に、上杉家において、彼女も上杉家の一員になることができていた。
だから、風太郎が五つ子の父になっていたとしたら、五月は上杉家の母になっていた、つまりは、風太郎の母にもなっていた、ということだよね。まったくもってポンコツだけどw
その結果、五月は風太郎を、恋愛対象からは外していた。
うーん、ここちょっと難しいところだけど、すでに食卓を上杉家で一緒に囲むことに寄って、恋をする前に愛情を抱いてしまったのだろうな、母としての。
そのため、五月にとって風太郎は、恋愛の対象ではなく、尊敬する対象に落ち着いた。
まぁ、だから、この恋をするよりも先に愛を抱いた五月は、もう少し物語に尺があれば、この先、風太郎を、大人として恋愛対象にする、という展開もあり得たと思うのだけど。
だから、ちょっと惜しい。
恋愛をする前に、いわば正妻の位置についてしまったようなもので。
ただ、それもこれも、五つ子と風太郎が行っていたのは、基本的に恋愛ゲームでなく家族ゲームだったせいだと思う。
だって、二乃なんて完全に父親の姿を求めていたわけじゃない。
そういう意味では、マルオとの関係が改善された時点で、実は彼女にとっての風太郎の役割は終わっていたのかもしれない。その意味で『最後の祭りが二乃の場合』は一つの終わりを暗示していた。
でも、この風太郎との家族ゲームという「ちょっと歪な事実」に、五月は、母を演じることを普段からしていたため、気づいていた。その分、彼女は、正気を保っていられた。恋愛感情には発展させず、あくまでも、父の姿を重ねるレベル。せいぜいが「兄」に対する思慕くらい。
その上、五月の場合は、四葉の依頼で零奈になりすます、ということも中盤から始めてしまい、最後は、四葉の意向を無視して、自分から零奈になりすます、というところまで言ってしまったわけだけど。
この「零奈を演じる」というのも、結局、五月に対して、風太郎との関係を客観的に見ることをしいてしまったのだろうなぁ、と。
いや、「零奈」は五つ子の母の名前だから、客観的に見れば、五月は、変わらず「母を演じ続けている」だけなんだけどねw
ただ、かつてと今の四葉の気持ちを、零奈を演じる過程で慮らないわけがなく、結局、これをきっかけに、五月は、四葉の気持ちを風太郎に届けるメッセンジャーの役割を演じるようになってしまって。
簡単に言えば、五月って、自分の「本当の」気持ちがどこにあるか、よくわからなくなってしまったのだろうな。
だから、「母のような教師になる」という目標を掲げたところで干渉してきた実父・無堂との一件で、風太郎がマンションまで駆けつけて支えてくれようとしたところで、彼女は彼女で、キュン!としたはずなのだけど。
ただ、すでに(連載終了に向けた)時間切れw
風太郎を、理想と仰ぐ気持ちを素直に表明したところで終わってしまった。
で、何が言いたいのか、というと、五月の場合、母を演じ、零奈を演じ続けたことが、ヒロイン化を阻む心理的要因になっていた。
同時に、作者からすれば、五月を「くいしんぼの語り部」に作劇的に留めるための安全弁だったのだろうな、と思う。
なので、繰り返しになるけど、もう少し連載期間があったら、もう一段回進んで、五月も花嫁レースに参戦、ということにもなったのだろうけど。。。
惜しい。
しかし、そう考えると、この物語は、ホント、「演じる」ことが大きな役割を果たしているね。
一花が女優の卵であるだけでなく、その一花を越える「嘘つき=名優」ぶりを示していたのが、風太郎と高2で再会して以後の四葉だったわけだし。。。
よくよく考えたら、最後は不問になってしまったようだけど、一花が、6年前の京都での風太郎への接触をきっかけに、そもそも(高2の時点でも)四葉が占めるべき「幼馴染」の場所を一花が締めようとしていたところもあったのだから。
物語の随所で「演じる」こと、すなわち「嘘をつく」ことが大きな役割を果たしてきた。
恋愛ゲームをしていたようで、その実体は家族ゲームだったこと。
家族ゲームを成立させるために、五つ子は(養父はいるけれど)事実上の孤児、上杉家は父子家庭、という、「家族」という主題を自然に扱えるような設定が導入されていた。
その環境の中で、五月を、語り部の役にとどまらせることができた。
ホント、隅から隅までよく練られた物語。
ただ、前のエントリーでも最後の方で書いたように、五月は「母になる」という自己暗示、というか自縄自縛の「演技」があったからこそ、風太郎に対して、正気で対処することができた。
つまり、五つ子が風太郎に抱いた感情が、恋愛というよりも不在の「父」を埋め合わせるものだった、という本質に気づいていた。
風太郎から「おまえらの父になる」という言葉を聞かされていたしね。
反対に五月は、しばしば上杉家にお邪魔して、最も上杉家の人びとと親しかったわけで。
そういう意味では、上杉家が母不在の父子家庭だったことも、微妙に効いている。
五月が上杉家の食卓を囲んでも、なんら違和感がなかった。むしろ、母、というか、らいはからすると、兄嫁みたいな姉がいるような感じだったし。
そうして「母」の役割をずっと「演じ」続けてることで、逆説的に、上杉家において、彼女も上杉家の一員になることができていた。
だから、風太郎が五つ子の父になっていたとしたら、五月は上杉家の母になっていた、つまりは、風太郎の母にもなっていた、ということだよね。まったくもってポンコツだけどw
その結果、五月は風太郎を、恋愛対象からは外していた。
うーん、ここちょっと難しいところだけど、すでに食卓を上杉家で一緒に囲むことに寄って、恋をする前に愛情を抱いてしまったのだろうな、母としての。
そのため、五月にとって風太郎は、恋愛の対象ではなく、尊敬する対象に落ち着いた。
まぁ、だから、この恋をするよりも先に愛を抱いた五月は、もう少し物語に尺があれば、この先、風太郎を、大人として恋愛対象にする、という展開もあり得たと思うのだけど。
だから、ちょっと惜しい。
恋愛をする前に、いわば正妻の位置についてしまったようなもので。
ただ、それもこれも、五つ子と風太郎が行っていたのは、基本的に恋愛ゲームでなく家族ゲームだったせいだと思う。
だって、二乃なんて完全に父親の姿を求めていたわけじゃない。
そういう意味では、マルオとの関係が改善された時点で、実は彼女にとっての風太郎の役割は終わっていたのかもしれない。その意味で『最後の祭りが二乃の場合』は一つの終わりを暗示していた。
でも、この風太郎との家族ゲームという「ちょっと歪な事実」に、五月は、母を演じることを普段からしていたため、気づいていた。その分、彼女は、正気を保っていられた。恋愛感情には発展させず、あくまでも、父の姿を重ねるレベル。せいぜいが「兄」に対する思慕くらい。
その上、五月の場合は、四葉の依頼で零奈になりすます、ということも中盤から始めてしまい、最後は、四葉の意向を無視して、自分から零奈になりすます、というところまで言ってしまったわけだけど。
この「零奈を演じる」というのも、結局、五月に対して、風太郎との関係を客観的に見ることをしいてしまったのだろうなぁ、と。
いや、「零奈」は五つ子の母の名前だから、客観的に見れば、五月は、変わらず「母を演じ続けている」だけなんだけどねw
ただ、かつてと今の四葉の気持ちを、零奈を演じる過程で慮らないわけがなく、結局、これをきっかけに、五月は、四葉の気持ちを風太郎に届けるメッセンジャーの役割を演じるようになってしまって。
簡単に言えば、五月って、自分の「本当の」気持ちがどこにあるか、よくわからなくなってしまったのだろうな。
だから、「母のような教師になる」という目標を掲げたところで干渉してきた実父・無堂との一件で、風太郎がマンションまで駆けつけて支えてくれようとしたところで、彼女は彼女で、キュン!としたはずなのだけど。
ただ、すでに(連載終了に向けた)時間切れw
風太郎を、理想と仰ぐ気持ちを素直に表明したところで終わってしまった。
で、何が言いたいのか、というと、五月の場合、母を演じ、零奈を演じ続けたことが、ヒロイン化を阻む心理的要因になっていた。
同時に、作者からすれば、五月を「くいしんぼの語り部」に作劇的に留めるための安全弁だったのだろうな、と思う。
なので、繰り返しになるけど、もう少し連載期間があったら、もう一段回進んで、五月も花嫁レースに参戦、ということにもなったのだろうけど。。。
惜しい。
しかし、そう考えると、この物語は、ホント、「演じる」ことが大きな役割を果たしているね。
一花が女優の卵であるだけでなく、その一花を越える「嘘つき=名優」ぶりを示していたのが、風太郎と高2で再会して以後の四葉だったわけだし。。。
よくよく考えたら、最後は不問になってしまったようだけど、一花が、6年前の京都での風太郎への接触をきっかけに、そもそも(高2の時点でも)四葉が占めるべき「幼馴染」の場所を一花が締めようとしていたところもあったのだから。
物語の随所で「演じる」こと、すなわち「嘘をつく」ことが大きな役割を果たしてきた。
恋愛ゲームをしていたようで、その実体は家族ゲームだったこと。
家族ゲームを成立させるために、五つ子は(養父はいるけれど)事実上の孤児、上杉家は父子家庭、という、「家族」という主題を自然に扱えるような設定が導入されていた。
その環境の中で、五月を、語り部の役にとどまらせることができた。
ホント、隅から隅までよく練られた物語。