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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

グレイプニル 第56話 『江麗奈の望み』 感想: 着ぐるみによる合体はエレナと修一の二人が望んだものだった!?

2020-09-04 11:55:02 | グレイプニル
引き続き、千尋との合体を通じて、エレナに消された記憶のサルベージを続ける修一。

なんていうか、基本的には、これまで読んできた中で推測できた仮説の答え合わせ、という感じになってきて、ちょっと戸惑っているのは、あまり新規の発見がなくて、サプライズがないこと。

もっと、劇的に物語のフェーズが変わると思っていたのだけど。

もっとも、まだ山場は残しているのかもしれないけれどね。


で、まずは冒頭で、修一とエレナは宇宙人のもとに訪れ、すっかり怪物と化したカイトとほのかへの対策を尋ねるのだけど、驚いたことに、宇宙人もわからないということ。

カイトが得た力は、100枚分のコインに相当する宇宙人の生命を使って得たものだから、ということで。

で、ほのかについては、結局、身体だけ作り直しても、そこに記憶や魂がなければ、一見蘇ったように見えてもそれは生前のほのかとは別物だというわけで。

だから、二人を封じるなら、ほのかを蘇らせたカイトを倒すしかない、という結論にいたるわけで。

特に新しい情報も発見もないんだよね。

しいていえば、コインのなかにある宇宙人の生命を実際に消費して能力にしている、というところぐらいかな?

カイトは、100枚=100人の宇宙人の生命をつかって能力にしたから、あんな化け物じみたものになっている、というところ。

でも、そうやって宇宙人の生命を消費してしまったら、そもそもコインを集めている意味は無いんじゃないの?って思うのだけど、

もっとももとmとコイン集めをゲームにしょうと提案したのはほのかだったはずだから、もしかしたらそのとき、宇宙人とほのかの間でなにか取り決めがあったのかもしれない。

宇宙人の生命を使って能力を付与する、ということ自体をね。

まぁ、それが宇宙人のいう「ほのかとの約束」なのかもしれないけれど。


で、もう一つ気になったのは、体はあっても魂がなければダメかも、っていうのだけど、でも、そもそも宇宙人の母星では、身体を捨てて魂だけを抜き出すことができたから、宇宙航行中はコインの形にできたわけでしょ?

だったら、身体から切り離された魂の扱い方にもなにか知っているようにも思うのだけど、それもだんまり、ってところ。

なんか、いろいろと宇宙人が隠しているようなんだよね。

もっとも、今回の記憶のサルベージって、あくまでも半年前に修一が知り得たことを回復しているだけだから、そこに情報の欠落があってもおかしくはないし、ましてや真実がわかるわけでもない。

そういう意味では、単に謎が深まっているだけ。


で、そんな中で一応真実っぽく語られたのが、タイトルにもある「江玲奈の願い」としての、修一の着ぐるみ化の秘密のこと。

どちらかというと「江玲奈のわがまま」という感じだけど。

要は、エレナと修一の二人でカイトを倒そう、という話になったものの、修一がコインを見つけたら、自分だけ能力を授けてもらってカイトに臨むに違いない、でもコインを見つけたのはエレナだった。

そこで、エレナが考えたのは、コインを使って、修一を着ぐるみに変えて、その中にエレナが入り、二人で一緒になって戦う、ということ。

なんてことはない、エレナがやっていること自体は、クレアがやっていることとまったく同じ。

さすが姉妹w

・・・と最初は思ったのだけど、これはもしかして、修一の発案だったのかな?

最後のあたりを読むとそうもとれるのだけど。

ちょっと、このあたりは曖昧に扱われているようにも思える。

「一緒になりたい人がいるの」というエレナの言葉からすると、発案者はエレナだったよように思うのだけど、これ、でも、意味が、端的に恋人になってセックスしたい相手がいるってことで、それが修一だった、ってことだったともとれなくはない。

というか、そう捉えて、そんな彼女の願望が、修一の姿を着ぐるみにした、というのなら、むしろ、最初から性交の代替として想像されていた、ということになって、なんか、心情的にも、合理的にも納得しやすいのだけど。

だって、コインの授ける能力は、本人が強くイメージすることで成立するわけでしょ?

つまり、エレナという女の情念があの形をもたらしたのではないか?

あるいは、純粋に合理的に、修一が着ぐるみという形を思いついたのか?

どっちなんだろう?

どうも、単純に、修一の自由意志で着ぐるみを選択した、というようには思えないんだよなぁ。

むしろ、修一が自由意思で着ぐるみになるのを選択した、と思わせるところまで、エレナが誘導した、と思いたいのだけど。

その意味では、彼女の能力はやはり心理誘導するたぐいのものなんじゃないの?って思うのだけどね。

若干メタな見方になるけど、この物語って、基本的に男性が女性のワガママ、というか情念に翻弄されて、やむなくドツボの道を歩む、という選択をさせられるのが、デフォルトとのような気がするから。

カイトしかり、直人しかり、でしょ?

だから、エレナだけ単なるいい娘ってことはないと思うのだよね。

そういう意味では、いま、修一が観ている記憶すら、上書きされたものじゃないのかな、と思ったり。

まぁ、考えすぎかもしれないけれど・・・ね。


ともあれ、要は、文字通り「二人で戦いたい」という願いを叶える方法が、修一の着ぐるみ化だった、というわけで、わかってしまえば、そのまんまの話で、特にサプライズはない。

となると、次に必要なのは、では、なぜ、その「仲睦まじい」はずの修一とエレナが離反することになったのか、ということで。

これ、さすがに流れ的に考えれば、クレアが何かしでかした、としか思えないよね?

それこそ、記憶を消される前のクレアが、修一の中に入って好き放題していた、ということすらあるように思えてきた。

ともかく、エレナと修一が二人で戦えなくなる事情ができてしまい、そこでコインを見つけたエレナが、自分だけの能力を改めて宇宙人に願って、今の形になり、そこで、一人では戦えない修一の記憶を消した。

そして、同じようにクレアの記憶も消した。

ってことは、やっぱり、そもそもエレナと修一が離れざるを得ない理由を作ったのがクレアだったことしかありえない。

だからこそ、悪魔め!といって、修一がクレアの首を絞めていたのではないか。

結局、疑問は、ほとんど解消されず、もとのところに戻ってきているように思えるのだよね。

もちろん、修一にとっては発見だとは思うけど。

でも、読者にとってはサプライズではなく、むしろちょっと迂遠なエピソードのようにすら思えてきた。

あ、あと、どうでもいいけど、江玲奈が下着を脱いて修一の着ぐるみの中に入るところで、無駄に赤面している千尋がちょっとおもしろかった。

むしろ、今回の記憶のサルベージで、千尋がどう思ったのか、そこのほうが気になるかな。

あと、現在のエレナの場面で、彼女が直人に呼び出されていたけど、この流れだと、いよいよエレナは直人と合体して戦うのだろうか?

てか、そもそも、どうして直人が修一と同じ能力になったのか、も気になるのだけど。

むしろ、エレナの「合体」という願望を聞いて、宇宙人とコインが想像したのが、着ぐるみというか、スーツだったのかもしれないなぁ、なんて思ったりして。

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やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完 第9話『きっと、その香りをかぐたびに、思い出す季節がある。』 感想: なんでこれでガハマさんエンドじゃないの?

2020-09-04 11:21:57 | 俺ガイル
なんだろうなぁ、とにかく、ガハマさんが、ガハママとともに最後の輝きを見せているとき、って感じの寂寥感が、ずっとそこはかとなく漂っていて、つらいなあ。

いやー、これ、ガハママとここまで良好な関係をもったら、普通に考えて、ガハマさんでいいんじゃないの?って思うよなぁ。

でも、今回の八幡とのやり取りは、基本的に全て、前回、雪ノ下から言われた、由比ヶ浜さんの願いを叶えること、という約束に従ったものなわけだよね?

そんな約束を取り付けるところで、そもそも雪乃、やばくない?って思うし、なにより、雪ノ下家の、ヤンだ母や姉よりもガハマ母・娘のほうがいいに決まってるじゃん。

でも、そうじゃないんでしょ?

いろはすじゃないけど、ほんと、めんどくさいなぁ。


今回、冒頭は、小町とのやりとり、

その後は、基本的に結衣とその母とのケーキ作り

で、間に、結衣のグループの「あーし」の人と、

元生徒会長のめぐり先輩が登場、と

雪ノ下のいないシーンが多かったけど、そのほうがすんなり見られるという奇妙さ。

それは、終盤で、いろはすと雪乃、結衣、八幡が廊下で出会って話しているときも同じで。

ほんと、いろはすが「通訳」だよなぁ。

裏返すと、結衣は、その通訳ができなかったんだよなぁ。

てか、この4人のシーンがやっぱり面白いというのが、この作品の本質だと思うんよね。

だから、ここから無理やり雪乃を選ぶような展開にしなくてもよかっただろうに。


まぁ、もともと、あまたある「ラブコメ」の王道展開にケチを付けるのがこの作品の出発点だった、といわれてしまえばそれまでだけど、

でもそれなら、いっそラブコメでだれかを選ぶというオチを否認すればよかったのに。

単純に、ラブコメがあるぞ、あるぞー、と思わせながら、最後は八幡の成長で終わった、というのでもよかったと思うけどなぁ。

だって、それこそが青春じゃん。

ラブコメは拒絶しても、青春は否定しないのが、この物語なのだから、それで突き通せばよかったのにね。

そのあたりは、ラノベというジャンルが尻すぼみしてきた理由でもあると思うんだよなぁ。

「逆張り」が意味を持つのは先駆者だけで、しかも逆張りが歓迎されたのは、逆張りすべき王道ばかりが跋扈する前例があればこその話で、それは確かにゼロ年代には意味のあるものだったかもしれないけれど、でももう2020年だからね。平成も終わっちゃったし

なんか、むしろ、アニメの方は、まさかの雪乃エンドの回避!というので終えたら、製作スタッフを、世相の変化を敏感に読んだことで、称賛するけどなぁ。

てか、いい意味で、アニメと原作とは、メディアが違うのだから、オチも違って当然!くらいの思い切りがあってもいいと思うし、でないと、アニメなんてもはや単なる原作の宣伝材料でしかないという理解のもと、視聴者からも見放されると思うのだけどね。

だいたい、原作エンドは、原作読めばいいだけのことだから。

そうそうどうでいいミスだけど、めぐり先輩のCVの「浅倉杏美」が「朝倉杏美」ってクレジットされてたね。かわいそう。

あ、あともうひとつ、どうでもいいけど、比企谷家の猫のカマクラと、由比ヶ浜家の犬のサブレ、どちらも無駄に作画や動きに力が入っていて、毎回、スタッフの動物愛を感じるところw

特にカマクラのぬるっとした猫っぽい動きは素晴らしいw

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