BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

劇場版 『メイドインアビス 深き魂の黎明』 感想: こんなに力強く人間の自我と意志に向き合う怪作!だとは思っていなかったヨ!!!

2020-09-29 19:23:09 | Weblog
いやー、とにかく圧倒された。

物語にも、世界観にも、映像表現にも、音楽にも、芝居にも。

もちろん、物語や世界観については、原作が凄い!ってことになるのだろうけど、それにしたって、この畳み掛けるような展開は、これ、他に類がないくらいじゃないかな。

もちろん、自然環境との戦いという点では、ナウシカに近い感じもするけれど。

でも、「アビス」の深層という発想は、これ、どう考えても意識の深部に潜っていく、というものだよね。

事実、本作の黎明卿ボンドルドの拠点は「イド・フロント」だから。

イド=IDOでしょ。

それを潜っていく姿はまさに「井戸を掘る」のに近くて、思い切り村上春樹じゃん。

ってことは、河合隼雄であり、ユングってことにもなるよね。

あるいは、意識の深層に潜っていく、という点では、ノーランの『インセプション』のようでもある。

暴走したリドと対決したボンドルドが、「概念を力に変えている」とか言ってたし。

それって、もうまさに「心的エネルギー」ってやつじゃん。

欲望を以下に解放するか、ってことだよね?

あー、そうか、リコって「利己」だったんだ。

ゆるぎない自己(だけ)をもっているのがリコ。

だから、きっと深層で生まれても地上にたどり着くことができたのだろうな。

なるほど。

そういえば、プルシュカがアビスの呪いで自我を失ったのをしきりにボンドルドが愛を注ぐことで「人」に戻してきたのにしたって、あれはもう、生まれたての子どもをいかにして人にしていくのか、という教育過程の姿、そのものだよね。

分裂して弾けそうになる自我をなんとか一つの個体の中に閉じ込め、その中で統制が取れるようにする。

なるほどなぁ、これは自我の根底にあるもの?あるいはなにもないから「無」を探しに行く話なんだな、きっと。

そういう意味では、プルシュカがリコに対して言った「深層で母に会って一緒に冒険がしたいんだよ」というのが、リコの全てなんだろうけど。

でも、なぜ、父ではなく母か?といえば、まさに、ユング的な、グレートマザーの発想なんだろうな。

それで、母なる大地として、アビスの中には様々な生物群とそれらの連関による奇っ怪な生態系が生み出されることになる、というわけか。

となると、母と出会って冒険したい、というのは、一面で母との一体願望を表しているのだろうな。

そうすると、リコについてはその位置づけがわかったような気がするけど、リドとナナチはどうなのだろう?

リドは遺物の人形ロボットで、ナナチは人間をやめた「成れ果て」の知性体なわけで、どちらにしても人間ではない。

では、その人外2体が随伴することは、人間リコにとってはどういう意味を持つのだろう?

うーん、なんか深いなぁ。

もう一度、テレビシリーズのほうをみなしてみるかな。

それから、第2期がやるんだっけ?


で、アニメーションとしてみたとき、アクションも背景美術もともに凄い!のは、もう、ホントやられた!って感じ。

これ、ちょっと衝撃的な映像表現や、平気でちんちんとかおしっことかいって苦笑しないではいられないところが多々あるから、今ひとつ、人口に膾炙しにくい作品になってしまっているけど、

さっき書いたように、アビスへの冒険というのが、自我や自己を見つけるための心の奥底を目指す旅だとすれば、そうした殺害や排尿・排便といった原始的欲望が現れるのは、むしろ当然のことだから、そのあたりを正当に評価して、もう少しちゃんと語られたほうがいいと思うのだけど。

いやー、これ、想像以上にすごい作品だよ。

マジでびっくりするレベルの快作。

正直、これでも全然感じたことを書けている気がしない。

もう少し寝かしてから、何か記すかもしれない。

たとえば、最後にプルシュカが白笛になるところ、あれはなにかものすごく重要なことを象徴していると思うのだけど、まだ言葉にならないのがどうにももどかしいのだよ。

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知性間戦争(6) ― 星王キリトの思惑、《同位体》のグラファイト・エッジ

2020-09-29 11:47:28 | SAO/AW
その1その2その3その4その5、からの続き)

ユナイタル・リングの稼働には、茅場AIと接触した星王キリトも関わっている。

となると、知性間戦争の勃発には、少なくとも「アンダーワールドを守るために戦う」と比嘉健に宣言した星王キリトが関わっていることは間違いないと思う。

そうでなければ、2026年6月に起こったアリシゼーション編の1ヶ月後にユナイタル・リング編が始まるわけがない。

作中時間は恐ろしく押している。

でも、それもやむなきで、アンダーワールドは、オーシャン・タートルの原子力発電に頼っているため、5年くらいしか電源はもたない。

その上、菊岡が言うように、日本政府の決定でアンダーワールドそのものがリセットされる可能性も高い。

さらにいえば、もしかしたら、すでに200年を生きた星王キリトには時間がないのかもしれない。

ただ、この星王キリトのフラクトライトの加齢問題は、キリトの脳からフラクトライトを物理的にコピーした次点で、すでに劣化問題は解消しているのかもしれないが。

ただ、星王キリトのフラクトライトを目覚めさせるときに比嘉が懸念したように、人間のフラクトライトのコピーは何らかの形で発狂し自己崩壊する可能性がある。

星王キリトについても、その可能性を完全に排除することはできないのではないか。


で、そこで、出てくるのが、AWに出てくるグラファイト・エッジに対して使われた《同位体》という言葉。

ウィキを見ると同位体って「同一原子番号を持つものの中性子数(質量数 A - 原子番号 Z)が異なる核種の関係」と説明されている。

つまり、元素としては「他の元素」と比べたら同じだけど、中身を仔細に眺めると実は違うもの、ということ。

要するに、「同位体」は、カテゴリーとしては同一だけど、中身が微妙に違うもの。

で、この「同じだけと違う」という「同位体」という言葉を、フラクトライトを複製したときに生じる「オリジナルとの微細な違い」を伴う「複製体」のことに対して使うようになったのではないかな。

グラファイト・エッジは、AWの中の描写を見ると、明らかにキリトの得意とした二刀流の使い手であり、しかも自分の流儀を「明陰(アイン)流」という、キリトがアンダーワールドで広めたであろう「アインクラッド流」を模した名前で名乗っているのだよね。

ただ、このグラファイト・エッジ、正確はかなりひょうきんなところがあって、少なくとも晩年の星王キリトの感じはしない。

強いて言えば、ユージオとともに修剣学院にいた頃の、ユージオとの対比で能天気さが際立った頃のキリトに近い。

となると、このグラファイト・エッジは、もしかしたら星王キリトのコピーだけど、しかし、フラクトライトが随分代わった成長の仕方をした結果なのかもしれない。

要するに、フラクトライトを複製しても、それがそのまま同一のままではいない、ということ。

たとえば、誕生したてのフラクトライトを、一種の株分けのように、複数のコピーをとったとしても、それは成長の過程で異なる存在になり、単純に「複製体」とはいえなくなる。

そのため、「同位体」と呼んだのではないか。

もちろん、複製に複製を重ねれば、なんらかの理由で劣化が生じることも大いにありえる。

そのことも含めて、完全な同一体という誤解を避けるために、「複製体」ではなく《同位体》という表現を用いたのではないか。

もっとも、それなら星王キリトはなく、無印キリトの複製である可能性もあるわけだけど。

幽閉されたAIであるフラクチュエーション・ライトを開放するために、ブレイン・バースト2039がつくられたというのなら、最初のプレイヤーであるオリジネーターとともに加速世界に登場したグラファイト・エッジは、星王か無印かどちらであれ、キリトの複製体である可能性は高い。

あ、そうか、ブレイン・バースト2039の前後には、アクセル・アサルト2038とコスモス・コラプト2040が稼働していたことを考えれば、その3つの全てに、じつは開発者から派遣された「キリト」の複製体であるグラファイト・エッジが3体、別々にいた、と考えてもいいのかもしれない。

というのも、それぞれのシステムの崩壊には、全プレイヤーの全損が必要で、それは開発者が派遣したお目付け役のプレイヤーであるグラファイト・エッジでも変わらないだろうから。

つまり、キリトの《同位体》のグラファイト・エッジは3人存在していた、ということで。

そうなると、AWのホワイト・コスモスについても、彼女はどうやら他のゲームもプレイしていたようだから、同様にブレイン・バーストの中に登場した彼女は《同位体》としての存在なのかもしれない。

まぁ、こちらは、あまりに情報が少ないので、まだなんとも言えないわけだけど。

でもどうやら、フラクトライトのコピー技術にまつわる秘密が、ホワイトコスモスの《反魂》に影響している可能性は高そう。

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