写真は「心の貧しい人は、幸いである。天の国はその人たちのものである」に始まるイエスのもっとも有名な山上の説教(マタイ5章~7章)があった場所に立つ山上の垂訓教会です。
以前からこの「心の貧しい人」という意味がわかりませんでした。そこで少し調べてみることにしました。ルカ6章―20~21節には同じような言葉があります。「貧しいものは幸いである。****今飢えている人々は幸いである」 こちらの方はよくわかります。イエスは私のような貧乏人の味方なんだな!と。
田川建三氏はマタイの「心の貧しい人」を「霊において貧しい人」(ギデオン聖書英文ではthe poor in spirit)と訳してこれはマタイの著者の付け加えとしています。その意味は「金がない人ではなく、『霊』に置いておごり高ぶっていない者、神に対して謙虚であるものが祝福の対象」としてこの思想をユダヤ教の伝統だとしています(「イエスという男」p72)。高尾利数氏はこの田川氏の説を踏まえルカのほうがイエスの本来の教えでありマタイの「心の***」はルカの本来の意味を「換骨奪胎」(イエスとは誰だ)p290)したものだと断じています。
いやはや聖書、キリスト教は難しい。