送っていただいた資料は最初画像としてしかコピーできないと思っていました。しかし試してみるとワード文章としてコピーができることがわかりました。そこで冒頭の記事と山崎さんのエッセーと山崎さんの奥さんの3本の記事を紹介します。
冒頭の記事
ガザ戦争(08.12.27~09.01.12)の結果、今年は新年早々からネゲブ地域のアラブ人とユダヤ人のコミュニティー間で双方の嫌悪感がつのり暴力沙汰が増えました。アラブ人とユダヤ人の間に築かれた今までのデリケートな均衡関係が崩れるのではないかという危機感もありました。私たちはこの問題に直接取り組まなければなりませんでした。中東とイスラエルのこの地に新しい未来を切り拓きたいと行動してきた私たちの努力と成果が、水の泡になる懸念が出てきたのです。
しかしこの試練を通して、私たちは今まで以上に「ユダヤ・アラブ平等教育推進ハガール協会」(注)の活動に確信を持ち、鍛えられたと感じています。戦争という暴力に対処する唯一の解決法は、真の共存を推進していくことです。今日、ネゲブ地域に私たちと同じ夢を持つ人々が増えています。この9月に始まる新学期から新しい20家族以上の人々が、ユダヤ・アラブ・バイリンガル・多文化容認校での教育を選択しました。ベルシェバ・ハンド・イン・ハンド・ハガール校では、3~7歳の子どもたち約70人が人種差別のないバイリンガル・マルチカルチャーの統合学校で学習を始めます。
(注)2006年、イスラエル南部のベルシェバ地域でユダヤ・アラブの平等教育推進のために設立されたNGO組織。会員はユダヤ人アラブ人25名から成る。ユダヤ人とアラブ人の親たち、教師、コミュニティー活動家、ベルシェバの市民から構成され2民族間の協力、相互理解と信頼を築くために活動している。2007年4月イスラエル法務省よりNGO組織として正式に認可された。
一年生の登録者は25名で、開校が保証されました。そこで、今年3月に二つの重要な会合が持たれました。一つはベルシェバ市庁職員との会合、もう一つはイスラエル教育省職員との会合でした。この会合でユダヤ・アラブの共同事業は、ベルシェバ副市長であり教育担当官ヘフツイ・ゾハル博士と地域教育視学官であるユディット・ブルーム女史から祝辞を受けました。
その後、ベルシェバ地域教育視学官の先導で関係3団体の実行委員会が組織されました。私たちの共通の目標を実行に移すためです。すでに、1年生の年間学習計画と教授法の規範設定任務も終わりました。
ベルシェバ市庁はハガール校に最終敷地と施設を譲渡することを宣言し、このことに対し「ハガール協会」は満足しています。ハガール小学校は、人口の老齢化により例外的に生徒数が減尐し、閉校寸前のデガニア校の中に併設されます。校舎は古いけれど広いです。校庭は残念ながら荒れています。ハガール校併設の提案は、デガニア校とその周辺地域に活力を与えるために出されたものですが、その提案を私たちは受諾しました。そして、ハガール校が発展した暁にはハガール校の最終校舎になるという確約があります。この校舎は、ベルシェバ市庁が割り当てたハガール幼稚園と尐々離れていますが、二施設はハンド・イン・ハンド・ハガール校として一体です。
奨学金制度も発足しました。今年は、経済的な理由から援助を必要としている家族に奨学金を支給するため、ソーシャル・ワーカーとコミュニティー代表、ハガール協会代表から成る独立した委員会を設置しました。2008 ~2009年度は、10、000ドルの予算が組まれ、子ども一人あたり75ドル(295シェケル)から、1、550ドル(6、000シェケル)までの奨学金が授与されました。ハガール協会は、質の高い教育がすべての子どもに行きわたるよう配慮しています。私たちは経済的援助を求めた全家族に奨学金を与えられたことを誇りに思っています。 このように、開校のための条件がそろいました。親たちやボランティアの活動で校舎や校庭も整いつつあります。私たちは、胸を踊らせて、9月1日のベルシェバ・ハンド・イン・ハンド・ハガール小学校開校と1年生の入学式を待っています。(翻訳と要約:松村)
右の写真はタルブッカと呼ばれるアラブの太鼓演奏です。スカーフをしている子とそうでない子がいますね。