風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

吟友草加 スタート

2022年04月14日 | 詩吟
吟友草加の第一日目が始まりました。

特別なことは、何もしないで、通常の練習とは違うことは、写真を撮ったということだけ。
当初は、イベントを考えましたが、時節柄、お誘いすることはしないで、日頃の練習と変わりない始まりとしました。

先月と違うのは、新入会員にゅうかいがあり、それが、何よりうれしいことです。

これで、吟友草加の創立メンバーは、三人となりました。

今日撮った写真は、きらり教場トピックスと、東京芦孝会ホームページに掲載いたします。

「きらり」の原稿は、幹事のIさんにお願いしました。

新A-1の1番目の詩は、季節もちょうど良い「江南春望」杜牧作です。

経験者にとっては、お馴染みの詩ですが、新鮮な気持ちで、吟友草加のメンバーにとっては、初めての吟題をていねいに練習しました。

全くの初心者向けの教場です。相手に届く声を出すための発声と滑舌の練習をします。
そして、吟詠の練習は、ゆっくり進行します。

そして、3時間15分ある練習時間は、ビジターさんには、個人の課題を練習する時間もゆったりと取れます。

今は、少人数ですから、1時30分開始としています。
会場は、折角1時から使えるわけですから、ゆくゆくは、希望者へ補習の時間にあてることも考えています。

終了の片づけも、今は、ゆっくり片づけができます。
一生懸命になると、休憩も忘れてしまいがちですが、今日は、ちゃんと休憩をとり、窓を開けて空気の入れ替えもして、万全です。

穏やかに、始まりました。

こうして、第一歩を踏み出すことが出来たのも、一方ならぬお世話になった先生方のおかげです。お礼の言葉もありません。

本当にありがとうございました。独り立ちしたといえども、これからもどうか応援のほどよろしくお願いいたします。

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味付け

2022年04月11日 | 詩吟
吟詠に慣れてくると、様々に味付けをしたくなるものです。

その際たるものが、「揺り」です。

大山の七にきれいに上がるために、六の高さの発声が、要です。
しっかりと、太さと伸びやかさのある声が出せたら、揺ろうと思わなくても揺れるものです。

それには、力を入れるのではなく、きっちりと支えられた声を出すことがとても大事です。
支えられた声が出れば、楽に声を押したり引いたりすることが出来ます。

それは、喉でするのではなく、お腹でするものです。

その、支えられた声が出ていないのに、彩を添えようと思うと、失敗します。
時には、譜に反する音が混じったりします。
それを、声に彩が付いたとか変化を付けたと、慢心してはいけません。

それは、小手先のことです。毎回同じにはいかないし、まして、コントロールをや!なのです。
声をコントロールするには、真っすぐで豊かな声をどこまでも出せるようになりましょう。
たまたま、出来ちゃったではなく、この形でこの長さでと計算して出せるようになって、初めて正しい揺りができるようになります。

いそがないで、慌てないで、しっかりと支えられた声を出しましょう。
細い声では、揺りの幅が出ません。

しっかりと張った根を持った枝木は、よーく水を吸い上げ、これから花を咲かせる大出力を出すように準備をしています。その時の若緑は、本当に瑞々しく無限の力を発揮しようと待ち構えています。若緑の声がだしたいねぇ! 出しましょう。


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2022年04月11日 | 詩吟
詩吟をしているうえで、何が大事なのかを考えました。

最終的には、楽しくのびのびと詠えることなのですが、最初から自己流では、「のびのび」と歌える域には達しないように思います。

流派の約束事を守ったうえで、先ず、型に入って見よう。
型に入れ込むこともできなくて、何が自分らしさなのだろうかと、思います。

と、偉そうに思っていました。

果たして、私は、きちんと型に入ったのだろうかと、疑問に思うようになりました。

理想の型は、しっかり頭にあるのですが、果たしてどれだけ型を表現しているのだろうか。
自己流になってはいないだろうかと。

先日、他流の方々とご一緒に、八聖殿で、まことに自由に思うさまの吟詠をする機会がありました。
その、吟詠は、まことに自由でした。(ビデオ撮影をして下さって、速、見て聴きました。)それほどまでとは思いもせぬほど、自由でした。この気持ちよさはこれまでになかったなぁ...
フムフム、これだ。

自分の教室では、出してないつもりでも出た居たのだろうねぇ。
私の頭の中の理想と、私の発声する吟詠と、それを聞いて詠う会員さんたちの吟詠と、どこがどう違っているのだろうか。
何の疑問もなかったところに、先日の、昇段試験の講評で、「自己流」というキーワードが出ました。
それについて、会長をはじめとして複数の先生のご指摘、ご意見を頂いて、それは、会員さん向けの言葉でありながら、教室指導者の私に向けた言葉であったのだと、ふと、気が付いてしまいました。

はじめは、なんて優しいことと思い、次の感情の波は、何で直接ご指導ご意見をつたえてくれないのだろう!と言う感情に変わっていきました。

数年前の吟道大学で、「三半、三」に対する音程の不確かさに、とても丁寧なご指摘があってから、開眼したつもりでしたが、ややもすると、外れがちであることを思うと、そのほかの部分もあるのかもしれないと、思い至る。

そんな前から?う~~~ん、これは大問題。
これは、どう解決する?


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売りと買い

2022年04月10日 | 詩吟
同じ物のやり取りがあっても、その「売り」と「買い」の特徴は、それぞれに違うことがあるものなのだということが最近分かりました。
お互いの意味合いが違っていても、売買は成立するものなのだなぁ。

教室で、詩吟をしていても、私の「売り」と思っていることと同じ項目が、相手の「買い」ではないのねぇ。相手は、違うところを「買って」いるものなのだなぁ。。。。。

そんな食い違いのまま売り買いが、成立することなんて、驚きだが、ごく普通の事だったのね。
それが当たり前だから、こんな私でも、エネルギーのやり取りが成立していたらしい。
納得。ということは、コンプレックスを感じることはないということなのだ。

物事って、大いなる誤解の上になりたっているものなんだ。


所詮私の力なんてそんなものなのだ。
むしろ、買いかぶっていた私の方が、
お気毒にといわれる立場だったんだ。

ジグソーパズルのように、寸分の違いなく
ぴったりというのは、先ずあり得ないのです。
思うところを思うままに、自由にやっていいよと
お墨付きをもらった気がします。


考えても詮無いことに思い悩まず、あるがままにということか。
周りの人はそのように受け止めてくれているということらしい。

岡山友達は、「あんたは、天然だから」と、了解してくれていたようにね。

すごく肩の荷が下りて、楽になりました。



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夢松風 補習

2022年04月06日 | 詩吟
夢松風の練習後に、1時間の自由練習。
今日は、2人の参加がありました。

今日は、「2分を超えるくらいの時間で、詠いましょう。」を課題にしました。

どうでしょう!間延びして、退屈するかと思いきや、とっても豊かな吟詠をしてくれました。

この方の問題はそうだったのか。

何はともあれ、最初の目的としたところと30度ほど違っていましたが、当初の目的であったなら、こんな風には、行かなかったなぁ...

別人のように、しっとりとした大人の吟詠を聞かせてもらって、驚くことしきり。

すっかり、自信のなさが鳴りを潜めて、其の方らしい吟詠でした。

なんだこんなことでよかったんだ。と、頭をかしげることしきり。

何はともあれ、ご本人そのままの吟詠が展開されて、嬉しさしきり。

今までの助言は、小賢しいことであった。前のめりをやめて、一歩引いたら、良いことが起こった。
もう少しで、後ろを向いて一目散に逃げるところだったかもしれません。







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八聖殿と三渓園

2022年04月05日 | 詩吟
     ☆ ウグイス吟詠青空教室 ☆ 
          おかげさまで、晴天に恵まれました。


全国吟詠大会発祥の地 八聖殿に行ってきました。

館長のご厚意で、八聖人の居並ぶ前で、吟詠をさせて頂きました。
今日の私の吟詠は、自由に、勝手に吟じました。
先日の先生方のコメントは、私に向けられたものだと思い至るような、勝手気ままな、自由吟です。
流派の外に出ると、自分勝手な吟詠をするものだと、思いました。
本当は、外だからこそ、流統の通りに吟じないといけないのにねぇ。





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相手に届く声

2022年04月02日 | 詩吟
その一言で、動いたと思っていました。
「相手に届く声」


ところが、さにあらず、「滑舌」がキーワードでした。

若い世代の人に、「詩吟」という言葉だけでも耳にして欲しいという思いから、隣の会議室でまだ作業中の女性に声をかけました。

まさか、一言が、きっかけになって、お試し詩吟から実際の教室へととんとん拍子に物事が運ぶとは、思ってもみませんでした。

お試し詩吟が終わって、今日から月2回、夢松風土曜日教室が始まりました。

男女二名のこじんまりした教室の始まりは、奇しくも夢松風の始まりと同じでした。


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