今月は、菊五郎の弁天小僧菊之助を観に、歌舞伎座へ行った。
勿論、菊五郎の弁天小僧は、3回以上は観ている勘定で、このブログにも2回は書いており、最初は、10年前の團菊祭の時で、
菊五郎の弁天小僧に、團十郎の盗賊の親分然とした豪快な日本駄右衛門、悪餓鬼でコミカルな左團次の南郷力丸、白井権八風の美少年盗賊の時蔵の赤星十三郎、どこかニヒルで知的な忠信狐風の三津五郎の忠信利平と言った決定版の白浪で、
次は、この新歌舞伎座の柿葺落四月大歌舞伎の「弁天娘女男白浪」で、團十郎が逝去していたので、吉右衛門が、日本駄右衛門を演じていた。
ところで、今回は、三津五郎も逝ってしまって、時蔵も退場したので、三役は、一気に若返って、昔の三助、海老蔵の日本駄右衛門、菊之助の赤星十三郎、松緑の忠信利平に代わって、大分雰囲気が違ってきた。
特に、團十郎から海老蔵への代わり方は、直系の芸を継承している筈なのだが、私には、團十郎の印象が強く残っていて、全く違った舞台であった。
海老蔵の登場は、一寸出の他の二人と違って、浜松屋の場でも、極楽寺山門の場などでも、堂々たる日本駄右衛門を演じて素晴らしいのだが、泰然自若、威厳と風格に満ちた團十郎とは違って、若さとエネルギー故か、一寸、ギラギラした雰囲気であった。
何故、弁天小僧たちが、浜松屋に強請に来てまんまと騙して100両をせしめようとした寸前に、何処からか現れた日本駄右衛門が、弁天小僧を女と見破って強請を失敗させるのかよく分からなかったが、その後、日本駄右衛門が奥で感謝の酒席で持てなされて、安心させて、泊った日本駄右衛門の導きで、4人の仲間の白浪が、浜松屋に押し入って、身代根こそぎ奪おうと言う算段だと言う。
尤も、後の舞台で、弁天小僧が昔迷子になった浜松屋の実の息子で、現在の、浜松屋の息子の宗之助が、昔生き別れた日本駄右衛門の息子だと言うことが分かるので、日本駄右衛門たちは、微妙な会話を交わして、何もなく退散する。
この話は、先の團菊祭の舞台の「浜松屋の蔵前の場」で演じられていて、興味深かった。
「稲瀬川 五人男勢揃い」の場で、白浪五人男が稲瀬川へやってきて勢揃いし、名乗りを上げて大見得を切るのだが、既に取り囲まれていて捕手と渡り合う。
大盗賊一味が、いなせで粋な格好をして川っ淵に並んで、一人ずつ名乗りを上げ、河竹黙阿弥節の名調子で、来歴や悪の軌跡など個人情報を滔々と述べるこの舞台。
アウトローの大盗賊を、悪の華としてヒロイックに檜舞台に引き出して、舞台映えのする背景と衣装で魅せて、流麗な美文調で観客を楽しませる・・・他にはない江戸歌舞伎独特の美学であろう。

「極楽寺屋根・山門・滑川土橋」と続き、極楽寺の大屋根で派手な立ち回りを演じた弁天小僧は割腹して果て、南禅寺の山門屋根の石川五右衛門バリに、極楽寺山門に陣取った日本駄右衛門は、青砥左衛門藤綱(梅玉)に猶予を貰って落ちて行く。
さて、見ものは、冒頭の菊五郎の、鎌倉雪の下の浜松屋に、美しい武家娘姿で、早瀬主水の息女お浪と名乗って、婚礼支度の買い物に来るハイテーンの井出たちで、75歳の人間国宝と思えないような初々しさ美しさ。
それが、男の弁天小僧だと見破られて、ヤクザの盗賊に豹変して、大見得を切っての流れるような名調子の長台詞
この口絵写真の浜松屋の場での弁天小僧の見顕し
この菊五郎の名科白を聴きたくてこの歌舞伎を観に来ているようなもので、
”知らざあ言って 聞かせやしょう
浜の真砂と 五右衛門が 歌に残せし 盗人の種は尽きねぇ 七里ヶ浜
その白浪の 夜働き
以前を言やぁ 江ノ島で 年季勤めの 児ヶ淵・・・
・・ここやかしこの 寺島で 小耳に聞いた 祖父さんの似ぬ声色で 小ゆすりかたり
名せぇ由縁の 弁天小僧 菊之助たぁ 俺がことだ”
大向こうから、「待ってました!」の掛け声がかかる。
私は、所詮、アウトローの大盗賊を、美化すると言う感覚には、いつも、多少違和感を感じているのだが、例えば、シェイクスピアのオテロのイヤーゴのように徹頭徹尾悪質な救いようのないキャラクターを描くのとは違って、何処か人間味と弱さをにじませた人物に仕立てて、日本語の素晴らしさと視覚を満足させるセッティングで魅せて見せる芝居を作り上げる、その美学の冴えは、流石であると思う。
理屈抜きで、菊五郎の弁天小僧を観て満足する。
これが、歌舞伎鑑賞の醍醐味かも知れないと思っている。
勿論、菊五郎の弁天小僧は、3回以上は観ている勘定で、このブログにも2回は書いており、最初は、10年前の團菊祭の時で、
菊五郎の弁天小僧に、團十郎の盗賊の親分然とした豪快な日本駄右衛門、悪餓鬼でコミカルな左團次の南郷力丸、白井権八風の美少年盗賊の時蔵の赤星十三郎、どこかニヒルで知的な忠信狐風の三津五郎の忠信利平と言った決定版の白浪で、
次は、この新歌舞伎座の柿葺落四月大歌舞伎の「弁天娘女男白浪」で、團十郎が逝去していたので、吉右衛門が、日本駄右衛門を演じていた。
ところで、今回は、三津五郎も逝ってしまって、時蔵も退場したので、三役は、一気に若返って、昔の三助、海老蔵の日本駄右衛門、菊之助の赤星十三郎、松緑の忠信利平に代わって、大分雰囲気が違ってきた。
特に、團十郎から海老蔵への代わり方は、直系の芸を継承している筈なのだが、私には、團十郎の印象が強く残っていて、全く違った舞台であった。
海老蔵の登場は、一寸出の他の二人と違って、浜松屋の場でも、極楽寺山門の場などでも、堂々たる日本駄右衛門を演じて素晴らしいのだが、泰然自若、威厳と風格に満ちた團十郎とは違って、若さとエネルギー故か、一寸、ギラギラした雰囲気であった。
何故、弁天小僧たちが、浜松屋に強請に来てまんまと騙して100両をせしめようとした寸前に、何処からか現れた日本駄右衛門が、弁天小僧を女と見破って強請を失敗させるのかよく分からなかったが、その後、日本駄右衛門が奥で感謝の酒席で持てなされて、安心させて、泊った日本駄右衛門の導きで、4人の仲間の白浪が、浜松屋に押し入って、身代根こそぎ奪おうと言う算段だと言う。
尤も、後の舞台で、弁天小僧が昔迷子になった浜松屋の実の息子で、現在の、浜松屋の息子の宗之助が、昔生き別れた日本駄右衛門の息子だと言うことが分かるので、日本駄右衛門たちは、微妙な会話を交わして、何もなく退散する。
この話は、先の團菊祭の舞台の「浜松屋の蔵前の場」で演じられていて、興味深かった。
「稲瀬川 五人男勢揃い」の場で、白浪五人男が稲瀬川へやってきて勢揃いし、名乗りを上げて大見得を切るのだが、既に取り囲まれていて捕手と渡り合う。
大盗賊一味が、いなせで粋な格好をして川っ淵に並んで、一人ずつ名乗りを上げ、河竹黙阿弥節の名調子で、来歴や悪の軌跡など個人情報を滔々と述べるこの舞台。
アウトローの大盗賊を、悪の華としてヒロイックに檜舞台に引き出して、舞台映えのする背景と衣装で魅せて、流麗な美文調で観客を楽しませる・・・他にはない江戸歌舞伎独特の美学であろう。

「極楽寺屋根・山門・滑川土橋」と続き、極楽寺の大屋根で派手な立ち回りを演じた弁天小僧は割腹して果て、南禅寺の山門屋根の石川五右衛門バリに、極楽寺山門に陣取った日本駄右衛門は、青砥左衛門藤綱(梅玉)に猶予を貰って落ちて行く。
さて、見ものは、冒頭の菊五郎の、鎌倉雪の下の浜松屋に、美しい武家娘姿で、早瀬主水の息女お浪と名乗って、婚礼支度の買い物に来るハイテーンの井出たちで、75歳の人間国宝と思えないような初々しさ美しさ。
それが、男の弁天小僧だと見破られて、ヤクザの盗賊に豹変して、大見得を切っての流れるような名調子の長台詞
この口絵写真の浜松屋の場での弁天小僧の見顕し
この菊五郎の名科白を聴きたくてこの歌舞伎を観に来ているようなもので、
”知らざあ言って 聞かせやしょう
浜の真砂と 五右衛門が 歌に残せし 盗人の種は尽きねぇ 七里ヶ浜
その白浪の 夜働き
以前を言やぁ 江ノ島で 年季勤めの 児ヶ淵・・・
・・ここやかしこの 寺島で 小耳に聞いた 祖父さんの似ぬ声色で 小ゆすりかたり
名せぇ由縁の 弁天小僧 菊之助たぁ 俺がことだ”
大向こうから、「待ってました!」の掛け声がかかる。
私は、所詮、アウトローの大盗賊を、美化すると言う感覚には、いつも、多少違和感を感じているのだが、例えば、シェイクスピアのオテロのイヤーゴのように徹頭徹尾悪質な救いようのないキャラクターを描くのとは違って、何処か人間味と弱さをにじませた人物に仕立てて、日本語の素晴らしさと視覚を満足させるセッティングで魅せて見せる芝居を作り上げる、その美学の冴えは、流石であると思う。
理屈抜きで、菊五郎の弁天小僧を観て満足する。
これが、歌舞伎鑑賞の醍醐味かも知れないと思っている。